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虐待は遺伝し、自己相似図形(フラクタル)を描くのか

僕が世話になった大学の先生は1940年代〜1970年代のアメリカのヒッピーやビートニクと言われるムーブメントを乗り継いできた人だった。

酒を飲むと色々と教えてくれた。
NYのスラムに長らく住んでいたから「ピストルだって、前からなら戦える」といった武勇伝らしいものから、文化的な考察のようなものまで、未だに覚えている話も多い。

特に覚えているのは先生と中国人の女性とのエピソードだ。
先生がアメリカ人の友人の家に遊びに行くと、友人の中国人のガールフレンドが食事を振る舞ってくれることになったそうだ。

食事が始まったものの、彼女と話をしていてもどこか「目線が合わない」感じがしたそうだ。
何かが引っかかっているようで、どうも気まずい。
しばらくして、先生はどうも我慢できなくなり、改まってこう告げたそうだ。

「僕は日本人で、先の戦争ではあなたの国に酷いことをした。本当に申し訳ない。そんな僕と食事をしてくれて感謝しています。もし不快な思いをさせているのであれば遠慮なく言ってほしい」と。

すると中国人のガールフレンドははらはらと涙しながら、自分は日本を良く思えないし、そうなるように育てられてきた。
だから、あなたにどんな顔をすればいいのか分からなかった、と謝罪したそうだ。

その後、彼女とも打ち解けることができ、とても良い食事会になったと言っていた。

Think Grobal. Act local. と先生はよく言っていた。


虐待というのは、どうも遺伝するという話を聞いたことがある。
遺伝という言い方は「比喩」すぎるが、要するに虐待された子供はそのつらい思いでがあるにも関わらず、自分の子供にも同じことをしてしまうという。

恩師はそれをとても不思議がっていた。

おそらく彼は、この状況をみて同じ疑問にぶち当たっているだろう。

こういう時、ぼくらは何ができるのだろうか。

#イスラエル #ガザ #パレスチナ #ひろゆき

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