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私のアジャイルジャーニー

こちらは、シン・アジャイルコミュニティのアドベントカレンダー20日目の記事です。

シン・アジャイルコミュニティとは、日本の組織に「アジャイル」を宿すため、知見を共有し、発信していくコミュニティです。さまざまな業界・業種・文脈を持ったメンバーが集まっています。どなたでもご参加歓迎です!

さて、そんなシン・アジャイルコミュニティのアドカレテーマは、3つあり、1つを選ぶスタイルです。

今回私は、『私のアジャイルジャーニー(アジャイルとの出会いからこれまで)』をお題にしました。

書いていたら込み上げるものが多く、いつもより長くなってしまいました。

アジャイルの旅に出る前

キャリアのはじまり

私が新卒で入社したのは、金融系の事業会社でした。いわゆる総合職としての入社しました。
新人研修を経て、最初の配属は、情報システム部門。若手は、システム開発・SI業務を担当する関連会社(同じビルで働いています)に研修を受けにいきます。
そこで初年度末まで研修を受け、2年目になるタイミングで関連会社へ正式に出向しました。ちなみに、基幹システムのインフラ部署で、メインフレームのDB管理を担当していました。

この時点では、アジャイルのアの字も知りませんでしたし、業務はすべて標準手順書に則って行うもの、という先輩からの教えを守るのに必死でした。
(が、実際に業務を行うと、標準手順書にないようなことばかりだったり、そもそも手順書が見つからなかったりして、不便を感じていました。)

少し幅ができ始める

会社としては、基幹システムの脱メインフレームを目指しており、Javaに移行できないか検討を始めていました。

しかしながら、インフラ部署にJavaを堪能に扱えるメンバーはおらず、社内から数名を募り、Javaをゼロから学ぶプログラムを立ち上げました。このときに、育成メンバー(兼運営メンバー)として参加をしたあたりから、自分の業務に幅ができ始めたような気がします。

アジャイルという言葉は、このプログラムのテキストや、情報処理試験(!)の教科書の中で簡単に(半ページくらいで)紹介されていたな、というくらいで、目の前の現実からは遠い存在でした。

今思えば、実はアジャイルと接触していた

Javaトレーニングをひととおり修め、いよいよ次期基幹システム検討プロジェクトか、当時業界で注目されていたオープンAPI開発プロジェクトか、どちらに参画するのだろうか、といったころに別の役割を担うことになります。

時期的には、(事業会社が)ある海外企業と共同で開発した新商品のシステム開発の佳境で、リリースが非常に近いのにバグが山ほどあるバグが管理できていないリリースに必須な機能の開発も終わっていない、そもそも優先順位がついていないいつまでに対応が終わるのかわからない、という状況でした。

この状況をなんとかしてこい、というお達しのもと、この開発プロジェクトに飛び込むことになりました。いわゆる大炎上プロジェクトの火消しというやつです。

当時は、事業会社・関連会社の人たちがその海外企業の開発のやり方に文句ばかり言っていた印象があります。

自分たちが埋めたバグなのに、なぜか直すためにも追加対応扱いさせられる
追加対応扱いなので、控えている開発とどちらが大事か決めないと直さない
月に「これだけ」しか対応できない、ということを月初に決めるから、月内での追加対応に応じない

これが実は、海外企業はアジャイルで開発していたということに気付くのはずいぶんとあとのことです。

なにが問題だったのだろうか、と考えると、いくつも挙げられますね。
(※いずれも推測です)

  • そもそも開発の進め方の合意がされていない

  • アジャイル開発をしているという認識がない(社内で「アジャイルだから」という論調すら起きていなかった)

  • アジャイルをしていたとして、マネジメントがうまくいっていなかった

  • 開発中のコミュニケーションがうまくいっていなかった

当時は私も、振り回される(と思っている)側だったので、もっとちゃんとしてくれよ、という意識が強かったです。しかしながら、これは自分自身や社内のメンバーの不理解による認識の齟齬だったのだな、ということに気付けていませんでした。なぜならば、アジャイルをしているとも知らないし、アジャイルについての知識もなかったからです。

アジャイルとの出会い

火消しもだいたい終わったころに、次の役目が来ました。アジャイル開発です。

事業会社の情シス部門で、「うちでもアジャイル開発ができないと」という気運が高まり、ラボ型でアジャイル開発のトレーニングを集中的に行う企業へ、1チームを送り込もうとなっていました。このメンバーとして、最初のアジャイルチームへ参画したのが、アジャイルとの出会いでした。

このプロジェクトでは、仮想的な案件を題材に、スクラムを軸としたイベント・役割ではなく、独自の考え方で開発を進めていましたが、根底にある考え方はまったく純粋なアジャイルでしたし、プラクティスはスクラムに通ずるものも多かったです。

そのなかで、私はプロダクトマネージャという役割を中心に、アジャイルの基本に加え、特にユーザーリサーチやビジネスモデルの検討を学びました。

アジャイルを広げる

一定の期間ラボへ常駐したのち、社内へ戻り、「ラボでやったことを社内で取り組む」ことを目標に、環境整備を進めました。チームとしては、半分くらい人が入れ替わり、新たなメンバーを迎え、新チームとして再始動することになりました。

ところが、事業会社の業務部門はアジャイル開発を知らないため、「今までのやり方でやってほしい」という声が多く、結局私たちのチームが受けられる案件がなく、やはり仮想的な案件で、メンバーの育成と社内でのアジャイル知名度向上のためのプロジェクトとなりました。

ここでの敗因は、「アジャイルをやること」を目的におかざるを得なかったことかと思います。情シス部門はアジャイルをやりたいと思っているが、その目的が定まっていない、事業部門はアジャイルがなぜ必要かがわかっていない、そのため、アジャイルをやるためにアジャイルをやる、となってしまいました。

このころから、カンファレンスやコミュニティの勉強会へ足繁く通うようになり、書籍も読み漁るようになりました。

もっとアジャイルを広げる

2チーム目のプロジェクトも一区切りし、いよいよ事業部門を巻き込んだ、本番プロジェクトが始動することになりました。

情シス部門が強く関わり、ある事業部門で検討している大型案件の、ユーザーインタフェース〜基幹までの新設プロダクトの開発案件をアジャイル開発で行うこととなりました。

事業部門としては、従来のつくり方を想定して立ち上げたプロジェクトでしたが、「より良いものができるなら」ということでともに進むこととなりました。

案件を実際に進めるのは、既存の開発部門の人たちで、プロジェクトマネージャの方がプロダクトマネージャを、画面設計担当者がユーザーインタビュー担当者を、内部設計担当者が開発者を、という単純置き換えの体制をつくっていました。
また、情シス部門が強く関わったことで、ステークホルダーが大量にいる、重厚長大なチーム編成となっていましたが、その全員が兼務者で、ほとんど稼働の時間が取れなかったり、朝会の時間さえ合わなかったりしていました。

このときには私が社内で期待される役割は、プレイヤーというより社内でのコーチのような役割に変わってきていました。はじめてアジャイルに関わる人たちが多いチームでしたので、はじめは私がプレイヤーを、そして伴走を、という構想を描いていましたが、上記のとおり兼務で稼働が取れないため、最後まで私はプレイヤーをすることになりました。

このプロジェクト中では仮説検証を繰り返し、サンドボックス環境内ではありますが、今まで社内では使ったことない技術でモダンなWebアプリケーションを開発しました。

大型案件だったため、基本検討のフェーズと実開発のフェーズの間に大きなゲートがありました。このプロジェクトは基本検討の期間に進めていましたが、ゲートで止まってしまい、その先の実開発は結局従来型でいくことになりました。
開発側の体制が整わなかったことが一番の原因でした。

この期間には、社内やチーム内で勉強会を開催したり、積極的にアジャイルの話をする飲み会を開いたりしていました。

もっともっとアジャイルを広げる

その後は関連会社の社内でアジャイルを広げるために、他部署での学習会を行脚したり、翌年度以降の計画を立てたりしつつ、実行可能な案件を探していました。

社外のコミュニティ活動へも参加するだけでなく、運営に参加したり、イベントで発表したりするようになったのこの時期です。

そんななか、自分が所属している組織内でのアジャイルだけではなく、より多くの組織でアジャイルの価値を活かしていきたい、と感じるようになりました。
組織のアジャイルが進めば、組織が提供する価値が高まり、その連鎖で世の中がもっと良くなるのではないか、と考え、縁のあったレッドジャーニーにジョインしました。

そしてこれからの旅

レッドジャーニーにジョインしてからは、アジャイルの力を感じる日々である一方で、同じくらいアジャイルへ取り組む壁の多さも感じる日々でもあります。

私はもともと、特定のプロダクトをつくる1チームのメンバーでしたが、組織によってはさまざまな文脈でのアジャイルを必要としています。ですので、いろんな現場に出会わせていただいています。

プロダクトをアジャイルにつくる」から、徐々に「新規ビジネスをアジャイルに立ち上げる」「組織をアジャイルに運営する」という領域にまで、アジャイルが求められる場が拡大しているのを感じます。

多様な背景を持った人たちがアジャイルにふれ、学び、実践しようとしています。エンジニアの方、エンジニアでない方、IT文脈の組織の方、そうではない組織の方、役員の方、マネジメントの方、担当レベルの方、などなど。そういった方々と関わることで、私自身いろんな気付きを得ることができています。

シン・アジャイルコミュニティは、文脈を超えてつながり、実践知を蓄積し、再利用できるように立ち上がったコミュニティです。私は、このコミュニティの狙いに共感し、運営や、知見蓄積に関するチームで活動をしています。

多くの文脈を交差させ、また新たな文脈を作り出し、再び交差させながら、少しずつ日本が良くなるよう、アジャイルの力を借りて前進していきたいと思います。

まだまだ旅は続きます。


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