学校は「コロナ感染ゼロ」を目指すべきではない
よく聞きませんか…
むしろ言ってしまっていませんか?
「本校からコロナにかかる人を出さないためにも、みんながしっかりと予防対策をすることが大切です」
「コロナにかかった人がでるとまた休校になってしまいます。そうならないように、一人一人が気をつけてくださいね」
「誰か一人でもコロナにかかったら部活停止だからな!しっかり手洗いしろよ!」
これらの発言の意図は、「みんなで予防対策をとろう!」という呼びかけです。
それ自体は大切なことですし、責任ある立場の先生方には、ぜひ呼びかけや指導に力をいれていただきたいです。しかし、その枕詞として「誰もかからないように~」と言うのは、もうやめませんか。
すでに全国さまざまな地域で、児童生徒・学生の感染が分かっています。
正直、「○○市の学校で陽性、3日間の臨時休業」というネットニュースの見出しを見ても、驚かなくなってきている自分がいます。それが県内であっても。
ニュースではもちろん個人が特定されるような書き方はしていませんが、同じ学校にいれば、何年何組の誰がかかったらしい!という噂は一瞬で広まるでしょう。隠し切ることはできないのです。
新型コロナウイルス感染症の出席停止期間は短くても2週間。臨時休業明けも登校して来ないあいつが犯人か!みたいな。いや、その前の濃厚接触者の判定でもうバレバレですよね。
子どもは悪くない
感染者(特に成人)の中には、軽率な行動で責められても仕方のない人もいるかもしれません。
こんな時に接待を伴う飲食店に行かなくても、都会に遊びに行かなくても・・・。
普段我慢を自らに強いながら生活している、大多数の一般市民ならそう言いたくなる気持ちも分かります。
しかし、感染した児童生徒が責められるような事態は、絶対に避けなければなりません。児童生徒の感染経路は、その大多数が家族間の感染です。子どもには何の罪とがもないのです。
学校は、子どもが責められてしまうような風潮作りに加担してはいけません。
前述のような「誰一人かからないことを目指して!」という言葉が刃になることを、教職員は自覚しなければいけません。
子どもたちはよくわかっています。もし自分がかかったら、大変な数の人数に迷惑がかかると。
子どもだって、社会的に死ぬ、という観念はあります。
先日高熱で保健室に来た児童は「学校第一号はいやだ・・・」と言って泣いていました。喉に特徴的な所見が見られたのでかかりつけ医への受診を勧めたら、やはり溶連菌感染症でした。
この時期は、アデノウイルス感染症やヘルパンギーナなど、急な発熱を伴う感染症が流行しやすく、その度に普通に生活していただけの患児やその家族は、必要以上に怯えています。
違う診断面がついたと、心底安堵したように電話をかけてくるのです。
病気への恐怖だけではなく、社会的な圧力への恐怖です。
率直に申し上げて、日本は既に誰が感染してもおかしくないフェーズにはいりつつあります。
現在妊娠5ケ月で抵抗力がすっかり落ちている妊婦のわたしも、他人ごとではありません。
これから夏休みを迎え多くの人の交流が活発になるでしょう。
2学期には、運動会や修学旅行、部活の地域交流試合を控えている学校がほとんどです。感染した児童生徒が出た場合には、これらの行事の開催自体が危ぶまれます。
きっと感染者が校内で出た場合には、それを原因としたいじめが起こらないように、指導が入るでしょう。
しかし、それでは遅すぎます。
一人の感染者もいないうちから、
「誰がかかってもおかしくない」
「だから感染予防をしっかりやろう」
「行事はできたら御の字。今は命が一番大事」
というスタンスの指導が必要なのです。
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