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日本に丸一年いて感じる日本人の季節感と自然への価値観

早くも梅雨が明けたようでまだおとなしいが蝉が鳴き始めた。当たり前のようにあった梅雨はドイツにもロシアにもなかったから、「梅雨が明けて一気に夏になる」というこの爽快感は久々のことだ。

夏を実感すると、改めてもう丸一年も日本に住んでいるだなとしみじみと思う。鎌倉の四季の流れをよく観察してしていると、本当に穏やかでゆっくりと変化していく。
大きく気温が変動することもなく季節が安定して変化していくことのありがたみは、住んでいるとあまり実感できないかもしれない。ドイツは1日の寒暖差がもっと激しかったり、夏も冬も突然にやってくるように感じた。
シベリアはそれがもっと極まっており、夏は40度で冬は-40度という恐ろしい気温差を行き来する。とても厳しい環境。

日本は四季だけでなくそれをさらに細かく割った季節も花や自然で感じることができ、人々がみんなそれを楽しいでいるところも素敵だ。やはり自然と共生することに根本的な美意識があるのが西洋との違いだ。

海はいつでも心が落ち着く

2月になると梅が咲き始める。まだ寒いがシベリアから考えると完全に春の気温だったなと思う。
年が明けると春に向かっていることがよく感じられ、植物にも変化が見られ始め2月は暦の通り春になっていく。
梅の花がそれを知らせてくれるというのもなんとも風情があるし、あちこちに植っているところをみると、その季節の変化に喜びを感じたり美しいと思う価値観が日本人にはある。

梅が咲いたらすぐに河津桜が咲き始める。
まだ寒いうちから満開の桜を見るとなぜかすごく春が来た安心があるというか、不思議な感じだった。
そもそも十代の頃は花を見に出かけたことがなかった。

河津桜も山桜も散るとソメイヨシノが咲き出すわけだが、常に何かの花の見頃があってそれを知ることで季節の変化を知れるようになっているとはよくできているなと思った。
満開の日本の桜を見たのは20代になって初めてだったかもしれないが、やはり桜には他の花とは違う現実離れした魔力的な魅力がある。
やはりあの色なのか、たくさん咲いているとまさに天国のような幻想的な雰囲気。天国では常に桜が満開というような描写があるのも無理はない。

ヨーロッパに植っている桜は河津桜のような色の濃いものが多いし、やはり噴水のある豪華絢爛な庭に桜が咲いていてもあまり良さは出ないものだった。

モノクロを極めたような日本の自然の中にあるから綺麗。


この頃になるとウグイスが活発に鳴き始める。他の野鳥もよく鳴いているので朝は野鳥の声で目が覚める。

それにしても鳥の各種類のメロディーやリズムはどのように受け継がれているのかとても気になる。
きれいな三連符から必ずゆっくりになっていったり、ウグイスに関しては懸命にある特定の音程を目指して歌っているようにも感じられる。

春告げ鳥とも言うがシベリアにはいないのでとても平和な気持ちになった。

いろんな種類の桜が散る頃になるとちょうどツツジが満開になる。子どもの頃よく蜜を吸ったりしていたが、初夏の花だということもすっかり忘れていた。ツツジを見るのも久々だった。

新緑も本当に鮮やかな色でとても癒される景色ばかりだった。

新緑の頃には藤の花もあり、久しぶりに見るときれいだった。藤の花はこの季節だったかと思い出したのも嬉しかった。

そして6月になるとついに紫陽花の季節。ドイツにいた時写真をみていつかは明月院に観に行きたいと思っていたがコロナのお陰で実現した。

紫陽花は色は本当に単色ではなく、青の中に様々な青が混ざり合っているから魅力がある。油絵を見るように見るほど複雑な色合いをしている。
長谷寺もきれいだったがやはり明月院は圧巻だった。
一面が真っ青な中を歩いていると桜に似た現実離れしたような幻想的な雰囲気。
梅雨で鬱々としたような気候になっても人々が紫陽花を見られることに喜んででかけていくのはとても前向きだ。雨が降っていて暗い時こそ楽しめる花というところが日本的で良いと思った。
そして紫陽花がこんなに長く咲いているとは初めて知った。

そして短かった梅雨があけて、蝉が鳴き始めた。ロシアの情勢的には年末までは日本にいる可能性が高まってきたがまた日本の季節を感じられると前向きに考えることにする。

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