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写真を撮ることと美意識

最近カメラを買った。

FUJIFILMのX-H1というモデルで、好きな写真家の保井崇志さん(https://note.com/tuck4)が以前使っていたらしい。こんなに良いカメラを手にするのは初めてで、初めてプロモデルのトランペットを買ってもらった時のような高揚感。
FUJIFILMの記憶色とも呼ばれるようななんとも言えない色が好きでカメラを買うならこれにしようと思っていた。写真は子どものころから好きで、ドイツでもロシアでもたくさんの写真を撮った。

それもnoteの記事に載せている。20代前半の頃はとにかく明るくて鮮やかな写真が好きだったがそんな好みも変わり、今は陰影が現れた立体的な色味の写真が好きになった。
中学生の頃はマーラーであったりとにかくトランペットが派手な作品こそ好きだったが、今はバロックや古典が好きになったのと近いかもしれない。やはりそういった意味での価値観や美意識というのは全て共通して動いていく。音楽、絵画、建築、そして写真と一つの共通した好みというものがでてくる。建築も華美で豪華なものよりも陰のある美というか、くすんだ美しさを感じられるものに魅力を感じる。

桜を撮るために買ったというわけではなかったのだが、今年はいつまでも桜が咲いており、いろんなところで撮ることができた。まず鎌倉に行ってみると、段葛の桜が満開だった。iPhoneでは撮れない色や画質に夢中になる。
全てを忘れて目の前のことに打ち込むというのは楽器を吹いている時に近く、心地よい集中状態になる。
とにかく美しいものを求めじたばたと動き回るのは楽しい。普段素通りしている風景を芸術にしようという目線で見ること自体に喜びを感じるし、他にはない創造性が刺激される。

もちろんInstagramにアップして多くの反響をもらえたらうれしいし楽しいのだが、何よりもそれを創作する時間自体を楽しめるのが良いところだ。そして音楽と違って人を集めてライブで発表しなくてもいいというところもある意味良い。

楽器も実は自分でそれに打ち込んだり成長を感じたりすること自体にも楽しみがあり、発表ができなくともある程度までの満足感が得られるから毎日毎日何時間も練習できるわけだ。(もちろんコンサートがないことほど辛いことはないけれど)

それぞれの価値観

写真を撮っていると、自分がどんなものに美しさを感じるのかということをじっくりと見つめることができ、あとから客観的にみることもできる。
ドイツにいた頃、ドイツの自然があまりにきれいに感じるから木や森の写真ばかりあげていた。朝日や夕日の差した木。自分はきれいだと思っていたがある時友人に
「これをきれいと思ってるんだね…」と言われたり
初めてInstagramを見せた韓国人のクラスメイトに
「は?なんで自分の写真なくて木ばっかりなん?」
と言われて逆に驚いた。

確かにそれを言ってきた彼らのInstagramには自然の写真などなく、自撮りや食べ物、友達との写真ばかりだった。
自分にとってきれいと思うものを他の人がきれいと思うとは限らないということを改めて知った機会だった。

狭く深く

だからみんながきれいと思うような写真があるわけではなく、多くの人に共感されようとするほどに個性はなくなるのだろう。自分が見ていて良いと思えるのはやはりその人の美意識を感じられる一連の写真たち。いろんな雰囲気にとびとびになってもその人の魅力にはならない。

音楽にも言えることだと思う。もちろんオーケストラであったり人と演奏する限りは自分自分になりすぎてはいけないが、それでもやはりその人ならではの色がないとつまらない。FUJIFILMのような色味が出せる音楽家になろう。

公開できないのが非常に残念だが、先日友人と初めての方々と会う機会があり、そこでも写真を撮った。やはり人を撮るのは楽しい。たくさんの写真を撮る中で、何枚か「笑ってください」と言ったら絶対に撮れなかったであろう自然でいい表情が撮れた。
写真には最高の画を切り出す職人的な能力に加えて、人々の自然な表情を引き出すコミニュケーション能力も必要なことがよく分かった。
これからも遊ぶときにはカメラを持って、そんな良い瞬間切り出していきたい。
欲を言えばアーティストのプロフィール写真であったり、コンサート中の写真も撮っていきたい。仕事にできるかは自分次第だが、地道に自分を高めていきたいと思う


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