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音楽と言葉

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クラシックの音楽家たちによるエッセイ集。#音楽と言葉 ライター: 齋藤友亨(トランペット奏者) 副田真之介(オーボエ奏者) 馬場武蔵(指揮者) 出口大地(指揮者) 山口奏(チェロ…
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#クラシック

クラシックの音楽家によるエッセイをまとめた共同マガジン「音楽と言葉」

身近にクラシック音楽を生業にしている人はそういないだろう。 ・食べていけるとは思えない ・なぜなろうと思ったのか ・どんな人たちが「クラシックで食っていこう」などと思うのか 全てが理解不能だし想像もつかないだろう。アンケートサイトで職業の選択をするときはほぼ「その他」になるし、ひどいときは「その他・無職」と一括りにされる。一度だけ「アーティスト」という欄があるのを見たが随分感動したものだ。 音楽を職業にする人たち音楽を職業にする人たちは変わった人が多い。「音楽で食べ

ベルリンで聴いたラドゥ・ルプーのベートーヴェン

ラドゥ・ルプーが亡くなったそうだ。彼は1番好きなピアニストだった。 ベルリンに住んでいた頃、毎週のように指揮者やピアニストの巨匠がきていた。最初は正直全員良いとしか聴こえなかったが、不思議なことに同じ場所で同じオーケストラで聴いていると違いがわかるようになっていった。 ソコロフ、アルゲリッヒ、バレンボイム、シフ、ツィマーマン、ユジャワン、内田光子など巨匠達を聴いた中で、最も印象に残ったのがルプーだった。 ベルリンフィルには必ず立ち見で聴きに行っていたから、特に前情報は調べな

初めての日本のプロオーケストラでの客演

先日初めて東京フィルハーモニーさんに客演する機会をいただいた。初めての日本のプロオーケストラ。 お話をくださったのは東京フィル首席の野田さんで、神代門下の昔からとてもお世話になっている憧れの先輩。一瞬動悸がするような緊張をすると同時にとても光栄な気持ちだった。 野田さんは湘南ユースオーケストラの先輩でもあり、トランペットをはじめた小学6年生の頃からずっとお世話になっている。 初めて野田さんとお会いした12歳の頃のことはよく覚えていて 楽器を初めてまだ数ヶ月でユースに体験入団

現代音楽の演奏会 Cabinet of Curiosities

今日は現代音楽の演奏会。 青山一丁目を降りて気がついたが、ここでB2を受けたのだった。薄紫色に染まるビルの前に映る鏡面のビルを眺めながら歩いていると、あれが何年前だったのかもすぐには思い出せず不思議な感覚になった。ゲーテに聴きにいくとわかっていたのにゲーテに行ったことを駅を出るまで思い出さなかったのだ。 こうやって色んな記憶はどんどん風化していくのだろう。逆に大事なことだけを覚えていられるようにできてるとも言える。 人工的だがどこか品のある街並み、港区赤坂という青い住居表示の

みんなで一つの演奏会をつくること

ロシアから結婚式のために帰ってきてからロシアに戻れなくなってもう1年半近く経ってしまった。 日本で季節を一周するということ自体があまりに久しぶりで、去年は嬉しかった紅葉を見るとなんだか焦りと虚しさも込み上げてくる。 日本に帰ってきてコロナで演奏活動はほぼ制限されてきたというところが大きい。 ロシアにいた頃は毎日のように公演があってトランペットを休みたいと思うほど毎日レパートリーの勉強に追われて過ごしていた。しかしこの一年はそれが全くなかった。家業である不動産と建築の建築もやり

愛を込めて室内楽を〜カルテット留学のその先〜

10月1日。成田からアムステルダム経由でプラハへ。 空港にも機内にも人はまばら。皆マスクで顔を包み、心なしか表情は暗い。 異様なタイミングでの留学が始まった。 Hector Quartet私達エクトルカルテットは、この10月よりプラハ芸術アカデミーに入学。師事するのはパノハ弦楽四重奏団。私の中の彼らの思い出はここにある。雑誌サラサーテで留学体験記『ないしょの手紙』を連載するが漏れてしまう細かい雑記をここに残そうと思う。 プラハ、現在コロナ禍の中での留学には常に困難が付いて

ソプラノ歌手、詩を書く。

友人の勧めでnoteを始めてみた。 昔アメブロとかもやってたけど、媚び媚びなコンサートの宣伝ばかりになってしまって書くのが面倒になり、ほぼFacebookにたまに書いたマジメな文章を貯めておく倉庫のようになってしまっていたから、心機一転こういうのも悪くないかなと思う。 私はソプラノ歌手だ。 -ああ、スーザンボイルね! 音楽に詳しくない方と話すと、大抵こう返ってくる。 まぁ、そんな感じです。 ザックリ言うと、綺麗な裏声で色んな歌を歌う人。 今はシンガーソングライターと

命日、スメタナを想う

5月12日。1884年のこの日にスメタナは60年の音楽家人生を終えた。 136年前の出来事だ。ふとそれを思い出したので、スメタナの室内楽について書きたいと思う。 ベドルジハ・スメタナはチェコを代表する作曲家で、指揮者でありピアニストだった。今でこそ作曲家として名高いが、彼のキャリアのスタートは天才ピアニストからだった事はあまり広く知られていない。 スメタナが生きた時代、チェコは独立への切望の中にいた。長くオーストラリアの支配下にあった反動から、国民は祖国への愛を強く持つよう

初めてのオーケストラ

数日更新しなかったら指名されちゃったよ! ということで、僕の初めてのオーケストラ体験について書きます! 当時の僕は中学3年生、吹奏楽でユーフォニアムはじめて3年目、ビッグバンドで(バス)トロンボーンを初めて1年ちょい。 とにかく色んな音楽をやってみたかった上、その前年にエーテボリ交響楽団/ネーメ・ヤルヴィの来日公演を聴いてからオーケストラ音楽を聴き始めてた僕は、学校のトロンボーンを持ち出し、中学高校(一貫校)の先輩が入っていた湘南ユースオーケストラの門を叩きました。

いっぱしの呑兵衛に赤ワインは作れるか

「酒を、作りたい」  世の呑兵衛なら、誰しもが一度は見る夢。  時には仲間と楽しく盛り上がるお供として、時には仕事のストレスを一人慰める夜のお供として、また時には気になるあの子とお近づきになるお供として。いつでも酒は我々呑兵衛のそばに寄り添い、素敵な時間を生み出してくれる。  そして我々は日々酒に愛情を注ぎ愛でるように飲むうち、また愛ですぎてお財布が寂しくなっていくうちに、一つの発想にたどり着くのである。 「これ、自分で作ったら安上がりでない?」  以下で述べるのは

「月に憑かれたピエロ」に憑かれた僕(5)

「月に憑かれたピエロ」(以下「ピエロ」)は、オーストリアの作曲家アルノルト・シェーンベルク(Arnold Schönberg, 1874 - 1951年)による、アンサンブル伴奏付き連作歌曲(全21曲)です。 先にお断りしておくと、この記事は「ピエロ」の紹介記事・解説記事・ファン記事のどれでもありません。 なので、「ピエロ」自体について詳しく知りたい方は、こちらに川島素晴先生(作曲家・国立音楽大学准教授)の素晴らしい記事と演奏動画がありますので、そちらを御参照ください。

絶対に笑ってはいけない盲腸24時前編

 今回は、知ってる人は知っているあの話、です。4年前盲腸になった時の体験記。 月曜朝 もし駆け出しの指揮者が盲腸になったら 太陽が昇る少し前、私はあまりの痛みに目が覚めた。この痛み、身に覚えがあるぞ…ベッドの上をのたうち回りながら記憶を巡らせる。  右下腹部を中心とした刺すような激痛。今まで幾度となく同じようにのたうち回り、その都度医者に急性腸炎と診断された、持病とも言える痛みだった。  またあいつか…悪友の登場にやれやれとため息をつきつつ置き時計に目をやる。病院の診察

絶対に笑ってはいけない盲腸24時後編

~前回のあらすじ~  盲腸の診断を受け、手術台で一瞬にして眠りに落ちた。  あーよいしょよいしょ…… 月曜夜 罪と罰と罰と罰 私は夢を見ていた。なんだか心地の良い夢だった気がする。薄まばゆい光の向こうから、こうもりの美しい旋律が聴こえてくる……。  ドゥイドゥー……ドゥイドゥー……あーよいしょよいしょ…… 「出口さーん、出口さーん」  誰かに呼ばれている、起きねば……。合宿で明け方まで飲んでたのに朝食のため叩き起こされたような感覚で、私はゆっくり目を開いた。  そ

「月に憑かれたピエロ」に憑かれた僕(4)

「月に憑かれたピエロ」(以下「ピエロ」)は、オーストリアの作曲家アルノルト・シェーンベルク(Arnold Schönberg, 1874 - 1951年)による、アンサンブル伴奏付き連作歌曲(全21曲)です。 先にお断りしておくと、この記事は「ピエロ」の紹介記事・解説記事・ファン記事のどれでもありません。 なので、「ピエロ」自体について詳しく知りたい方は、こちらに川島素晴先生(作曲家・国立音楽大学准教授)の素晴らしい記事と演奏動画がありますので、そちらを御参照ください。