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音楽と言葉

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クラシックの音楽家たちによるエッセイ集。#音楽と言葉 ライター: 齋藤友亨(トランペット奏者) 副田真之介(オーボエ奏者) 馬場武蔵(指揮者) 出口大地(指揮者) 山口奏(チェロ…
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#クラシック音楽

クラシックの音楽家によるエッセイをまとめた共同マガジン「音楽と言葉」

身近にクラシック音楽を生業にしている人はそういないだろう。 ・食べていけるとは思えない ・なぜなろうと思ったのか ・どんな人たちが「クラシックで食っていこう」などと思うのか 全てが理解不能だし想像もつかないだろう。アンケートサイトで職業の選択をするときはほぼ「その他」になるし、ひどいときは「その他・無職」と一括りにされる。一度だけ「アーティスト」という欄があるのを見たが随分感動したものだ。 音楽を職業にする人たち音楽を職業にする人たちは変わった人が多い。「音楽で食べ

【逗子でバレエ】バレエの作品を一から作ること

【逗子で本物のバレエを】 みなさんは生でプロが踊るバレエを観たことがありますか? 日本は世界で1番バレエ教室の数が多いと言われていますが、実際にプロの舞台を観る機会は多くありません。 バレエを習っていなかったらまず観に行くこともないでしょう。 バレエはクラシック音楽やオペラと同様に、とても敷居が高いイメージがあり チケットも高価なので興味はあってもなかなか足を運びづらいところがあります。 しかしバレエは「経済力のある大人が楽しむもの」であるべきではありません。もっと子どもた

即興することと音楽 山下光鶴に学ぶ

先日、ベルリンにいた頃20歳からの友人であるギタリストで作曲家の山下光鶴が長崎から鹿島に来てくれ、3泊4日を共に過ごした。 彼は本当に素晴らしいアーティストで、初めて出会った頃から既に成熟した考えを持っており最も尊敬する同世代の音楽家の1人だ。 ベルリンに住んでいた頃、sophie charlotte platzというU2沿いのところに住んでいて、彼も最寄りが同じだった。 当日19,20歳でドイツに来ていた同世代はほぼいなかったのもあり、よく一緒にコンサートを聴きにいったり

日本人の子どもにクラシック音楽を学ばせると良いこと

ドイツやロシアにいた頃良く思ったのは なぜ西洋の伝統音楽をアジア人の自分達がある意味当然のように小学校で学んだり、多くの人がピアノを習ったりするんだろう ということだった。 日本の伝統芸術で外国で当然のように教育されるようなものはないし、なんなんだろう。 ドイツで聞かれた 「なんでトランペットは吹けるのに日本の楽器は一個もできないの?」ということ 確かにそもそも日本人なのになぜ西洋の伝統的な音楽をありがたがって自分の国の文化を蔑ろにしているのだろうと思った 学校でリコー

モミジの赤と聴いてもらう喜び

鎌倉のモミジがいつの間にか真っ赤になっていた。毎日見ているはずなのにそれに意識が向いていなかったのだと気がつくと、今はそれを楽しむほどの余裕があるのだと安心する。 Ensemble Lenzコンサートに向けて5日間東京に通って缶詰になってリハーサルを重ねていたところから、一昨日ついにハリス記念鎌倉幼稚園で団体として初のコンサートをすることができてひと段落ついた。 7月に顔合わせをしてから長期にわたってずっと準備してきたコンサート、こんなに長く練習しているのに披露する機会がなか

クラシック音楽を日本が保護するのか

今回の自主公演はありがたいことに文化庁の支援で成り立っている。難解な書類の数々で少し不備があったら採択されないという話だったが幸運なことに支援してもらえることになった。 演奏会を開催するにあたっての経費をほぼ全額補助してもらえるという大変ありがたいシステムで、コロナで客席数を減らしてもなんとかコンサートを開催することができる。 音楽家の自主企画は9割が赤字で、黒字になっていたとしてもリハーサルにかかる時間やその他事務作業の時間まで考えたら100%赤字になる。 スポンサーを

なんでオペラ歌手がV系の曲歌うん?

最近、昔から好きなV系の歌を歌ったりしている。 オペラ歌手がV系を歌う物珍しさももちろんあるかもしれないけど、たまに知らない方から「聴いたよ」とか「いいね」って話しかけて頂けるのは本当に嬉しく、ありがたいことだ。 もちろん、歌を聴いてくれたってだけで嬉しいんだけど、 きっと私がV系の曲を歌う事でソプラノ歌手の歌を初めて聴いたって人もいるかもしれないし、逆にクラシック界隈の人がV系の曲に対して「良い曲だな」って思ってくれるかもしれない。 もしそうだったらもっともっと嬉しい。

命日、スメタナを想う 2

前回に引き続き、スメタナの人生に思いを馳せたい。 今回の鍵となるのは弦楽四重奏曲第2番ニ短調、最晩年の作品である。 私はこの題材を心に留めた時、とてもしっくりと来た事がある。昨今のコロナ騒動で疲弊している今、スメタナの音楽が私をはっとさせたのだ。 今回はその事について、大切に書いていきたい。 ・・・ 命が尽きるまで、彼を突き動かしたもの 弦楽四重奏曲第二番を書き上げたのは、1882年から1883年の間。すでに聴力は完全に失われ、医師からは作曲を辞めるように言われて

フィルハーモニーに住んでたベルリン時代

2011-17年、僕は仲間に「フィルハーモニーの住人」と言われるほど、ベルリンフィルを始めとするコンサートに通いつめてました。現在、無料で観られるようになっているベルリンフィルハーモニー管弦楽団の「デジタルコンサートホール」 フランクフルトに来てからというものの、ベルリンフィルの演奏を聴くこともほとんどないので、昔聴いたコンサートを眺めて見てる最近。そしたら いるわいるわ笑6年以上、ベルリンというオーケストラ都市にいて、山のように音を浴びた話。 1)「演奏会に通わなきゃ

命日、スメタナを想う

5月12日。1884年のこの日にスメタナは60年の音楽家人生を終えた。 136年前の出来事だ。ふとそれを思い出したので、スメタナの室内楽について書きたいと思う。 ベドルジハ・スメタナはチェコを代表する作曲家で、指揮者でありピアニストだった。今でこそ作曲家として名高いが、彼のキャリアのスタートは天才ピアニストからだった事はあまり広く知られていない。 スメタナが生きた時代、チェコは独立への切望の中にいた。長くオーストラリアの支配下にあった反動から、国民は祖国への愛を強く持つよう

自分にとっての室内楽

初めに書く文章として、自分が何で出来ているのかを書くのが良いような気がした。日本にいる残り数ヶ月、自分を見つめ直す良い機会として。 そして同じように日本でクラシック音楽を学び留学を考えている人や、心の底から室内楽を愛している人の目に留まればと思う。 私は9歳でチェロを始めた。 学校にある弦楽合奏の部活に入って何とは無しにチェロを選んだ。ソロを学ぶのではなく、みんなで音楽するための道具がチェロだった。始めて数ヶ月で音楽の道に進む事を決めたが、これだけでも、私を構成するものが相

初めてのオーケストラ

数日更新しなかったら指名されちゃったよ! ということで、僕の初めてのオーケストラ体験について書きます! 当時の僕は中学3年生、吹奏楽でユーフォニアムはじめて3年目、ビッグバンドで(バス)トロンボーンを初めて1年ちょい。 とにかく色んな音楽をやってみたかった上、その前年にエーテボリ交響楽団/ネーメ・ヤルヴィの来日公演を聴いてからオーケストラ音楽を聴き始めてた僕は、学校のトロンボーンを持ち出し、中学高校(一貫校)の先輩が入っていた湘南ユースオーケストラの門を叩きました。

「月に憑かれたピエロ」に憑かれた僕(5)

「月に憑かれたピエロ」(以下「ピエロ」)は、オーストリアの作曲家アルノルト・シェーンベルク(Arnold Schönberg, 1874 - 1951年)による、アンサンブル伴奏付き連作歌曲(全21曲)です。 先にお断りしておくと、この記事は「ピエロ」の紹介記事・解説記事・ファン記事のどれでもありません。 なので、「ピエロ」自体について詳しく知りたい方は、こちらに川島素晴先生(作曲家・国立音楽大学准教授)の素晴らしい記事と演奏動画がありますので、そちらを御参照ください。

「月に憑かれたピエロ」に憑かれた僕(4)

「月に憑かれたピエロ」(以下「ピエロ」)は、オーストリアの作曲家アルノルト・シェーンベルク(Arnold Schönberg, 1874 - 1951年)による、アンサンブル伴奏付き連作歌曲(全21曲)です。 先にお断りしておくと、この記事は「ピエロ」の紹介記事・解説記事・ファン記事のどれでもありません。 なので、「ピエロ」自体について詳しく知りたい方は、こちらに川島素晴先生(作曲家・国立音楽大学准教授)の素晴らしい記事と演奏動画がありますので、そちらを御参照ください。