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「挑戦する選択をしたから、父と私は救われた」

#あの選択をしたから

父のうつ病

2年前、78歳の父がうつ病になった。

父は剣道6段の有段者。現役で剣道をたしなんでおり、背筋がピンと伸びた正しい姿勢。
健康に気を使い、毎年の健康診断もまったく問題がない。
同年代の中でも父はかなり若々しい方だろう。
剣道で培った厳しさと、持ち前の愛嬌で強さと優しさを兼ね備えた父。

そんな父が別人のようになってしまった。

笑顔は消え、感情が希薄になった。すべてに否定的になり、励ましの言葉も届かない。あまりの変わりようにショックで思考がうまく働かなかった。

一番ショックだったのは、長年続けていた剣道をやめると言い出したこと。

「もう二度と剣道はやらないよ」

その言葉を聞いたとき、私はなにも発せられず、口をパクパクさせただけだった。人は本当に言葉につまると、口だけが動いてなにも発せなくなるんだなぁと的外れなことを思い浮かべていた。

その日から評判のいい心療内科を探し、うつ病に効果がある食べ物を調べては料理を作り、以前の父に戻ってもらおうと必死に行動を始めた。

私の問題

ちょうどその頃、私自身も問題を抱えていて精神的に参っていた。
問題というのは転職活動だ。

勤務先の会社から「退職金制度の廃止」通達を受けて、自分の人生を改めて見つめ直そうと思った。流されるままに生きてきた私は、転職活動を始めて大きな壁にぶち当たる。

工場勤務の私には、履歴書に書けるスキルがなかった。
社内のみで通用するスキルしかもっていない。

自分の棚卸しをすればするほど、薄っぺらさに失望した。転職活動は撃沈の連続で、社外の世界を知った私は自信を失っていった。

「自分にはなにもない」

そんな思いが日増しに強くなっていった。
他人より自分が劣っていると強い劣等感を抱く。

自分だけが取り残されているような感覚に陥って、自己肯定感はゼロになった。

父と私はそれぞれひとり暮らしだが、幸いなことにそれほど距離は離れていない。

週末には実家に顔を出し、あれこれ父の面倒を見る生活。かかりつけの心療内科から薬を処方され、睡眠障害は緩和された。

適度な運動がいいと先生から聞き、父にウォーキングを提案するが、感情表現が希薄になった父は無言で首を横に振る。

つけっぱなしのテレビをボーっと見ている父の目。そこには喜びや哀しみといった感情はなく、ただただニュース映像を瞳に映しているだけだった。

父が元気な頃は、たわいもない会話で二人でバカ笑いをしていたものだ。
17年前に最愛の母を亡くした私たちは、後ろを向かないよう、笑顔で過ごすようにという母の遺言を守って励まし合いながら二人で前向きに生きてきた。

一緒の空間にいるけれど、心の距離は遠い。
そんな寂しさを感じ、実家なのに他人の家のようで居心地が悪い。

父に自分が抱えている悩みについてなど話せるわけもなく、私の心は静かにすり減っていった。

今まで楽しんでいた趣味に没頭できなくなる。
なにをしていても楽しさを感じない。
自分も感情を失ってしまったのかと動揺し、心が揺れる。

このまま親子ともに感情のない人生を送っていくのか。
毎日笑顔でイキイキと生きていた母は今の私たちを見てなんて言うだろう?

部屋の奥底にしまってあった、母からの遺言状を読み返す。

「おまえのことは心配していない。大丈夫だと信じているから。ただ、お父さんはああ見えて弱い人だから、支えてあげてね」

涙がとまらなくなった。
同時に、心の奥底から熱い気持ちが湧いてくる。

このままじゃダメだ。
弱った性根をたたき直さなくては。

そして私は、自己啓発、転職、メンタルヘルスに関するあらゆる本を読み、できることを行動に移していった。

運動がストレス緩和に効果があると知り、ジョギングと筋トレを始めた。
転職以外にも副業という働き方があると知り、狭かった視野は広がっていく。自分にはまだ可能性があると、希望が生まれた。

歩くときはうつむいてばかりで、地面ばかり見ていた私の目に入る色はアスファルトのグレーだったが、次第に空の青い色に変わり始めた。

noteとの出会い

父は薬物治療が効き、徐々に感情を取り戻していった。
うつ病の回復には時間がかかる。そして再発もあるため楽観視はできないが
時おり見せる父の笑顔に、私の心は軽くなった。

ただ、剣道の話になると心を閉ざしてしまう。

「もうブランクが空いたから剣道はやらないよ」

「周りについていけないだろうし、恥はかきたくない」

あれだけ好きで打ち込んでいた剣道をまた再開して欲しい。
その思いは私のエゴであることはわかっている。
それでも私はどれだけ時間がかかっても、威厳と優しさに満ちた父に戻って欲しかったのだ。

さまざまな本を読むのは楽しかった。
「知る」ことは新しい世界を教えてくれる。狭い常識の壁をとっぱらってくれる。その中で私はライターという仕事について知り、心が揺さぶられた。

調べれば調べるほど、魅了されていった。
自分でも文章を書いてみたくなり、noteを始めた。
自分の思いを文章にのせて人に伝える。
なんて素晴らしいことなんだろう。

学生時代、義務的に書いた読書感想文とはまったく違う感覚。
初めて人に伝える思いでnoteを書いた気持ちは、初めて好きな子に告白したときのそれとよく似ていた。

そして、noteで見つけたライティングスクールに興味を持った。
内容は「言葉の力で自由に生きる人を増やす」をコンセプトに、電子書籍出版に特化した
ライティングスクール。

電子書籍って?
自分の本を出せるのか?

心が踊る。こんなにワクワクしたのはいつ以来だろう。

しかし、父が不安定な状態でスクールに入学してもいいのか?
こんなときに自分のやりたいことをやってもいいのか?
初心者の私がやっていけるのか?

不安ばかりがぐるぐると回る。
私の悪いクセだ。石橋をたたいてたたいて、ひびが入るまでたたいても、結局渡らない。その積み重ねが今の自分じゃないのか?と思い直し、思い切って入学を決めた。

挑戦する選択肢を選んだのだ。

がむしゃらな日々

スクールが始まり、私の生活は一変した。
講座で知識をインプットし、SNSでアウトプット。
課題作成に費やす日々。
新しいことを学ぶのが楽しかったし、なによりも生活にハリができた。

電子書籍を出版して、ライターとして収益を得る。
私の道ははっきりと定まり「自分にはなにもない」と悩むこともなくなった。

それまでは単調な毎日に飽き飽きし、退屈を毛嫌いしていたが、
心の奥底ではその退屈さに安堵していたのかもしれない。
なにも始めなければ、退屈だが不安も恐怖もない、安定した毎日が約束されるからだ。

だが、もうそんな自分とはサヨナラだ。

新しい環境に飛び込むと、すてきな仲間ばかりだった。
なりたい自分を目指して、挑戦する人たち。

「同じクラスのみんな、熱量がすごいんだよ!」

「読みたい本が多くて時間が足りないよ」

「先生はとにかく『書け!』って言うんだよ」

報告を重ねる度に、父のリアクションも元気のある内容に変わっていった。

「そうか、よかったな」

「おまえなりにがんばっているんだな」

「応援しているからな、オレもやる気もらえたよ」

電話越しからでもわかる、父の弾んだ声に私は胸が熱くなった。

あの選択をしたから

講座が始まって2か月後。

実家に帰ると、父はおかえりも言わずにこう言った。

「あのさぁ……」

「剣道を再開することにしたよ」

言葉が出なかった。しかし今回はうれしさのあまり感極まったからだ。
口を開けたまま固まっている私を見て、父は照れくさそうにこう続ける。

「おまえのがんばりを聞かされているうちに、オレもやらなきゃって思ってさ」

「恥を捨てて再挑戦だ」

その日の夕食は久しぶりに二人で祝杯を上げた。
私の得意とするアーモンドミルク入りのカレーを頬張りながら、
父は剣道の仲間に連絡をとったこと。温かく迎えてくれたことなどをうれしそうに話した。

父もまた、挑戦する選択肢を選んだのだ。

なにかを新しく始めることは不安で、二の足を踏んでしまう。
それでも勇気を出して飛び込んでみると、そこには新たな出会いが待っている。尊敬できる先生、成長した自分、仲間たち。

そして挑戦することは自分のみならず人にも影響を与える。
一滴のしずくが水面に落ちて波紋がゆっくり広がるように。

あのとき、スクールに入学する選択をしなかったら、どうなっていただろう?父も私も、いまだにうつむきがちで毎日を悩んで過ごしていたのだろうか?

胸を張ってこう言える。
あの選択をしたから、私たちは今、イキイキと人生を生きている。

P.S.
その後、私は電子書籍を出版できました。
Kindle書籍のなんたるかも知らない父は、私のスマホを仏壇に飾るほど大喜び。遺影の母も笑っているように見えました。
そして父は剣道仲間と「剣友会」というグループを立ち上げて、今も剣道を楽しんでいます。

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