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男の子になりたかった

幼いころの記憶で一つ強烈に覚えていることがある。それは4歳の自分の誕生日。

日差しがまぶしいくらいよく晴れた日のお昼前、近所の友達と少し遊んで家に帰ると、台所のテーブルにケーキが置いていてあった。私のbirthdayケーキだとわかったので 嬉しくて人差し指でちょこっとだけクリームをすくってペロッとなめてみた...
その瞬間眉をひそめた私はものすごく悲しい気持ちになった。
そのクリームは、私の嫌いなバタークリームだった。
よく見たら真っ白いクリームではなく少し黄みがかっていた...
それが悲しみの前兆だった...

それから母と居間に行き、テーブルをはさんで座った。母が語り始めた

「うちはね商売をやっているから お父さんは3人目は男の子が欲しかったの。」
私は3姉妹の末っ子だった...
「なのに生まれてきたのはあなただった。男の子だったらお父さんの名前を一文字付けて幸太郎って名前だったけど、女の子だったから結局お寺さんに頼んであなたの名前つけてもらったの」
「生まれたのが女の子だったから、お父さんは病室に一度も来てくれなかったんだよ!」
と、ため息交じりに喋った...
4歳の私には返す言葉も見つからなかった。多分あれは母の単なる愚痴だった。

少し大きくなって、私が生まれた日に父の本当の親(私の祖父)が亡くなって、父は県外に行くことになり 慌ただしくしていたため病室に来れなかったという事実を聞かされた。

4歳の誕生日から私の日常は変わった...

男の子じゃないとと嫌われてしまう!男の子にならないと捨てられてしまう!と、幼い私は考えるようになった。

姉たちのようにピンク色の服や、ひらひらスカートなんて言語道断‼
いつもGパンか半ズボンかオーバーオールを履き、ショートヘアーで、男の子みたいに喋った。
知らないおばさんに「可愛いボクちゃんだねぇ」と言われたり、クラスの男の子から「おとこおんな~」と言われることもしょっちゅうだった。でもそれでよかった。

それは小6の卒業まで続いた...
中学校で、女子がセーラー服だったためにスカートをはかなければならず、私は泣いて抵抗したし、友達も心配してくれた。

結局私は中学生になり、普通の女の子に戻った...
というか好きな子は男の子だったし、いくら男の子になりたくても私の心は本当はずっと女の子のままだった。小6で、生理に初めてなった時にはもう限界だと思っていたけど引くに引けない自分もいた。
その頃には あんなに大好きで嫌われたくないと思っていた父親の事が大嫌いになってたし、思春期特有の大人の男性も(先生とか近所のおじさんとか)無理だった。

私の場合は 自分を守るために男の子になりたい、ならなければと思っていた。男の子になれなくて悲しかった部分もあるけど私の心はそんなこと望んでなかった...
今の時代なら私はLGBTと思われていたかもしれない。それほど多分男の子らしかったから...
私でさえ あの当時は周りから変わってる子だね!と言われ、複雑な気持ちをいつも抱いていたのだから、大人になっても私のような偽物じゃなくて本当に苦しい思いをしている人達はもっともっとつらいんだろうなと思わずにはいられない。

私は今 女性として生きている。
母が私にかけた呪いの一つは解くことができたけど、その当時の男尊女卑の一つでもあるんだろうな...
今は女性だって親の跡を継ぐ人はたくさんいるし、なんだってできるよね!

あと子育て中のお母さん、子供に愚痴をこぼすときは くれぐれも言葉に気を付けてくださいね。

ご自愛ください。




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