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CORGI TOYS No.238 JAGUAR MARK X

クラシックミニカー、ネオクラシック玩具シリーズ初回は舶来ミニカーのジャガーからスタート。

このシリーズは不定期に行われるジャンク収集からすでに持っている過去の日本製玩具を扱うクローズドシリーズ(マガジン等に個別指定しないもの)です。
主にクラシックミニカーは1970年代より前、ネオクラシックは80年代以後を指しますが明確に定義しません。

Ⅰ. CORGI TOYSとメーカーの栄枯盛衰

お察しの通りコーギーと読み、ジャガーですのでイギリスです。

これは会社名ではなくあくまでブランド名。企業はイギリスのメーカーMettoy社。厳密には1933年にドイツの亡命者が創業したのが始まりです。おっと?30年代のドイツ…ジプシー…亡命…ソンム…うっ、頭が…ちなみにジプシーは表現上不適切なので本来はロマが正解です。悪しからず。

茶番は置いておいて、第一次世界大戦後にソンムの戦い後、ユダヤ人の迫害が深刻化したからイギリスに亡命をしてきたわけで、その後にも第二次世界大戦による事実上の連合国の完全勝利となり、イギリスにも経済発展は訪れていました。そこから現EU、少し前のECSCなどの連合、連盟、協定などが取り決められるまでは経済に対する規制は弱く、広く開かれた、自由放任主義な経済活動が推奨されていました。

撮影: SONY α700 MINOLTA AF 50mm f2.8 Macro

イギリスは戦後、落ち着いていた戦争特需の景気が弱まり、自国産業をうまく発展させる必要がありました。同時に近代化によって都市部には徐々に高級住宅街や建築物がつくられていきました。

戦争の時代にはすでに自動車産業は珍しいものでもなくなり。街中でも自動車はよく走るようになっていました。ですが炭鉱や船舶に関連する事業が徐々に衰退していく中で新たに工場を運営するのは難しく、その時に玩具生産の工場を建設したことがCorgi Toysの成長の始まりとなります。

撮影: SONY α700 MINOLTA AF 50mm f2.8 Macro

1950年代に本格的な生産が始まると同時期にライバルとして登場していたDinky Toysとライバル関係となりここで強い競争が生まれました。

初期のものはメカニカル機構を備えた高級なものも多く、モーター内蔵、オイル潤滑の機構を搭載したモデルなどがありましたが堅牢性の観点などから廃止。すぐにスタンダードなモデルに変換されてこれが商業的にも成功を収めました。現代のフリクションタイプ(少しづつ前へ押しながら回転させ、手を離すとそのまま進んでいくモータ機構をそなえたもの)とほぼ同義と言えるでしょう。

成功後、様々な国に輸出されましたが、そのうちでもごく少数が日本でも入っています。なぜごく少数という表現かというと、それが百貨店、デパート、舶来品販売などの若干特殊な事情で取り扱うことができたのみでそう多くはないためです。

今回紹介するMARK Xはその中でも最もカラーバリエーションも多く、かつ生産台数も多いもので、そのうちBy Special Requestという特殊な受注品という位置づけに当たります。

70年代でも商業は当然成功し、イギリスの玩具メーカーとして地位を獲得、その後トミカも登場していますが良きライバルでした。このころ日本は高度経済成長期で目覚ましい発展を終えたところでした。

日本の開発スピードと勢いは珍しく、玩具メーカーも工夫を凝らす必要が出てきました。こどもの消費行動と言えど同じミニカーをずっと作り続けるには金型などの生産や販路など戦略が意外に難しかったためです。

当時日本企業は70年代後半からコンピュータ、エレクトロニクス産業が発展しており、Mettoyはこれに着目しました。自社の生産技術を生かしてコンピュータ、ゲームのドラゴンコンピュータを製品開発しようとこぎつけたのです。

ですがそんなものもつかの間、日本では過去にトランジスタラジオなどで成功を収めた当時新参者のSONY、松下、三洋、東芝などすでに産業形態として家族経営などまるで成り立たなかったイギリスにこの強大な日本の発展力に打ち勝つことはできませんでした。

そのためMettoy社は決して玩具メーカーとしての失敗はそう多くなかったのに別のプロジェクトに多額その資金をつぎ込んでしまい倒産してしまうという悲しい末路を遂げることになってしまいました。

Dinky Toysも3年前に別の原因で倒産をしており、このころすでに英国製の古びたミニカー産業はエレクトロニクスでなんでも電飾で彩られていた時代にとっては魅力的に見えなかったのです。

ただそれでも現在でもちゃんと直系のブランドが存続されています。模型製作で定評のあるホーンビーホビーが買収を行いコーギーリミテッドとしてリミテッド会社として再出発ができたのです。

Ⅱ.コーギートイズのミニカーたちのライバル

日本では圧倒的な知名度を誇る玩具メーカーのトミーあるいはタカラトミーのトミカシリーズ。ただ登場は1970年(構想はそれより前)と他のイギリス玩具と比べるとかなり歴史が遅いものでした。というのも、日本では玩具においてまだまだ認識が浅く、外で遊ぶことやコマやブリキなどの先代の遊びが多く残っていました。
かつ愛されていたことからそこまで需要を見出せるかが市場開拓の視点から見ても不安定だったためです。

ただトミカは発売2年と少しで一気にラインナップを広げたため急速に人気になります。それまでのフィギュア、プラモデルの感覚に近かった高級なものよりもより子供に、身近にと開発されて送り出されたトミカは価格も比較的安かったことから販売スピードがはやかったのです。

輸出が始まると露骨に売れるスピードも上がります。日本製の品質の良い玩具はそれまでのドイツの玩具などと同等、もしくはそれ以上に扱われるようになりました。イギリス、アメリカでもミニカーは多くあり負けることはないと考えられていましたが結果はご覧のとおりです。

1970年代はトミカもまだまだ途上。それでもすでにマテルのホットウィールやイギリスマッチボックスより品質は良く売れ行きを伸ばしたのです。

後れを取った各企業はギミックにこだわることよりも簡素化して多車種の金型をラインナップして販売することでバリエーションを図りました。

コーギートイズは結局トミカは愚かマッチボックスやホットウィールに翻弄されて最後に別事業への資金調達の失敗でM&Aによる破綻からの再出発になったことを述べましたが、これではやはりそうならざるを得なかったと言わざるを得ません。

Ⅲ. ミニカーの特徴

シンプルですが時代なり。ゴム素材のようなもはやゴムでもないぐらい硬いゴムや、サビ、傷は置いておいて、本当に時代なり。

それを言ってしまったら終わりじゃないか、と思われるので説明しましょう。

金型はそのまま昔のものを使っていました。一番売れたと言われるこのジャガーマークXはその後ヘッドライトをダイヤ型の装飾ジュエリーにして再販したものがありました。非常にカラーのバリエーションも当時は多く、同じカラーリングのものを探そうとするとかなり見つからない部類になってきました。もちろん、現在もこの金型は残っていません。

当初からタイヤには溝の切り込みがあり窓もあり、ラゲッジ(イギリス英語ではブートですかね)やボンネットも開きます。そして中にはトランクが入っています。他の車種にはウェールズのコーギーが座席の上にいたりするアクセントさを持っていました。

Ⅳ. コレクターズアイテム?

前提の話ですが、1960年代、さらにはそれよりも前は当たり前のように子供がこのような玩具を買えるわけもなく非常におもちゃ、としては高額な高級玩具でした。それこそ、ブリキや他の玩具よりは遥かに高いのでそもそもの販売数は多くありません。まして輸出ともなるとこれは提携のアサヒ玩具やデパート、いわゆる高島屋、三越などがそれでイギリスであれば三越の学びの元のHarrodsなどがあるでしょう。Harrodsのペン、一本だけあるなあ…

そうなると日本では希少アイテムになります。ただ希少性、という側面からこれを持つにはあまりにももったいないですしロマンがありません。それなら自国のトミカの古いやつとかを集める方がまだ良いです。ただこのイギリス、全く違う生産方法でこのような歴史を辿って行った中での玩具を見ると、不思議とコレクターズアイテムになるのは確かでしょう。言い表せない特別独創な感覚です。ぜひジャンク巡りで探しながらおともに一つどうでしょう。ぜひ探してみてください。

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