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ディズニーふしぎの国のアリス(Alice in wonder land)の製作風景の概要と白雪姫との関係性

Outline of Alice in Wonderland's production scene. Here is the production scene of the 1951 Disney animated feature film ""Alice in Wonderland.""And I'll tell you about the relationship with Snow White.

初めに

1951年にアメリカ、カリフォルニア。ウォルトディズニーアニメーションスタジオから制作されたルイスキャロル原作「ふしぎの国のアリス」表記上、不思議と言う単語はひらがなのふしぎという表記になっています。これは原作とディズニー作品での混在を防ぐためでもあります。

1951年8月に公開された同映画はウォルト自身が白雪姫制作よりもずっと前の1930年代初頭から映画化を夢見ていました。当時ではなぜ白雪姫やディズニーファンタジアなどが先に公開されたのか少しだけお話しします。

(ここから文末はレポート作成時の観点で「である調」に変わります。理由はこの文がもともとレポートの文字起こし文であるためです。)

制作においての苦悩

当初ウォルトがアニメーションとしての製作を熱望したルイスキャロルの本、「不思議の国のアリス」これは実質の公開は熱望してから20数年ほど後になっている。
当時白雪姫等を製作していたスタジオには約100人ほどの人がいたと言われている。もちろん、かの有名な「ナイン・オールドメン」もいた。

白雪姫のMovieNEXで収録されている1935年からの製作での後述ではデザインについて語られている。

❶“本作では実写モデルも使われているわ”
ディズニーアートディレクター ローレライ•ボーヴ氏
❷解剖学(生物学的)的に見てもかなり正確に描かれている。ムーアの画力で-絵が意味や物語を一層持つようになった。
同ディレクター ビル•シュワブ氏
❸ウォルトはアニメーターを映画の配役のように適材適所で選んだ。ムーアの感受性がおとぼけを生んだ(生み出したんだよ)

❶の本作はディズニーモデルとして実写のモデルを採用しているとのことだが、これは現代の3DCGアニメーション方式や放映技術発達が急速に発展し出す1980年代までこの採用を使用していた。例えば以下の動画を見てもらえるとわかるようにー

ウォルト自身が1956年に実際にインタビューで答えた映像がある。最初の動画や当時の映像からにもわかるように、実際にディズニーのキャラクター自身に人のモデルが採用されて製作されている。

「だが当時はまだ技術不足。あと2ー3年あれば(1940年ごろ)よかったと思う。製作ではアーティストの特訓から始めた。何より大変だったのはいかに静止画から脱し、動きをつけるかだった。1日の半分をアニメーターと『汗かき部屋』で過ごしたよ。残りの半分はストーリー製作。動きを分析するにも一苦労。教えてくれるものはいない。独自に学ぶしかなかった。難題は真実味を持たせること。モデルを使い、仕草や表情、体の動きなど画のヒントを得たんだ。演技を撮影して描くときの参考に当てたんだ。道化に見えては良くないのでね。」
ウォルト•ディズニー氏1956年ディズニーインタビュー内での発言内容

と言った内容が公開されている。ディズニー作品は❷の説明にもあるように解剖学的にも生物学的にも不自然のない限りなく人間に近い動きをしていることが特徴だ。
これにはディズニースタジオで製作する際にモデルを採用して描いていることが動画内でも紹介されている。
ムーアというのはフレッド•ムーア氏のことを呼んでいて、7人の小人のアニメーション担当をしていた。このムーアの作品や当時の製作班によってディズニーの根本的なポリシーが出来上がったと言われている。

当時のアニメーション製作陣は他のどのアニメーションとも違う、滑らかで優しいイメージを施したウォルトの望みを実現すべく、自らが鏡に向かって体の動きを観察してそこから描く様子や腕の動きを他のアニメーターと観察して描いていたことがわかっている。

ふしぎの国のアリスを製作する際にも同様の技法が使われた。その時の写真を一部紹介する。

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ディズニーのアニメーション技法に使われる実写モデルの動きを再現したアニメーション技法では実に膨大なほどの絵画が必要になる。ディズニー作品では一つのアニメーション長編作品に10万枚ほど使われていることがわかっていて、実際にギネスにも登録されている。
ディズニー作品1秒の動きを持つキャラクターを製作するのには当時の技術上、24fps、つまり1秒に24枚の絵を描く必要があった。これを当時のスタジオでは1人が一週間ほどで描き上げたのだ。

ふしぎの国のアリスでの製作風景は。

まずは以下の写真から。

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これらの写真は1950年にディズニースタジオ内で撮影された実写モデルを使ったスケッチである。この人物はキャサリン•ボーモント氏。当時13歳でウォルト自身が採用し、アリスのディズニーモデルとして活躍。他にもいろいろなディズニー作品でモデルを飾っており、1990年代後半にディズニーで貢献して特に輝いた人たちを銅像手形に収めるディズニーレジェンドに登録されている。

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また当時のスタジオ付近の新聞を読む様子も描かれている。ちなみにこの新聞は1950年冬ごろ発行のMoscow Urges Yugoslavs To revolt Against Leaders。つまり日本語にざっくりで訳すとモスクワでユーゴスラビア政府が反乱声明を出す。またはモスクワの意見に対してユーゴスラビアは反対意見を述べた。と言ったところだろうか。当時のソ連諸国の情勢を窺うアメリカ政府側の意見を述べた新聞である。サンタ•バーバラ•ニュース•プレスは現在でも“カリフォルニア”で発行し続けている。

このシーンは映画冒頭の木に座るシーンで採用されている。

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実際には白黒ではなく下のように青色のアリスと同じ衣装を着ている。

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1951年、1月14日週刊発行のThe Detroit News。当時の原題「Alice in movieland」の文字がある。

このように実際の人物を使い、アニメーター自身も体の動きなどを習って位置から自身で学び動作一つ一つの細かい動きを数秒という短い時間で描き、表現することに成功したディズニースタジオはのちに映画史に残る伝説的なアニメーション作品を作り上げていった。
当時動物ものの映画を製作していたダンボも当時の白雪姫やシンデレラほどの興行を得られず、ディズニーではしらばく動物ものの作品を作ることがなかったと言われている。

細かな写真説明(重複写真も含まれます)

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ボーモント氏の後述が語られたマガジンの一部の画像。「私の行動に合うように描かれていく絵とフィルム。実際のセットで演技をするときに家を建て私がどれだけ窮屈で狭い家にいるのか表現してアニメーターにしっかりと理解してもらえました。まるで本当の物語のようでした。」と翻訳した。(翻訳は苦手ですのでご容赦ください。)

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当時の映像の一部。画質が悪いのはご承知おきを。

Morris Warman
Bernard Baruch and Kathy Beaumont, thirteen years old voice of Walt Disney...と続く文が綴られている。名前はキャシーではなくキャサリンと読む。
「13歳の時にウォルト自身に声をかけられアリスのモデルとして活躍した。」
バーナード•バルークという人物はルーズベルト大統領の側近官僚である。

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ロイ•ロー•ディズニーとキャサリン、ウォルトの3人が映ったと言われている画像。右耳に音を収録するためのオーディオ機器を付けている。ディズニーでは人の動きを人間を使い行うのは紹介したが、音も実際に録音したものを取り入れている。これは現代でも使用されている映画製作技法で大元はディズニー作品が起源と言われている。

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これが加工によってできたものなのかそうでないものなのかは不明。

RVP100フィルムによって撮影された写真と言われているが真偽が不明。階段を降りる場面を撮影している。撮影者は不明。アリスが青い服を汚さないようにと姉からかけられた白のエプロンは青の布を一緒に縫われている。靴下とスカート部分は一体していないのも原作と変わらない。

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キャサリン自身が木組の上に乗り、それをアニメーターが揺らしている画像。フラッシュガンから派生したライトで光を当てて影まで表現するという細部のこだわりぶりは当時からで今も変わっていない。下には板を半円状に切ってそれを格子状に組み合わせている。

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部下(?)が描くアリス。実に何万枚の紙で描いただろうか。左には当時の黒電話も置かれている。ちなみにRKO RADIO社とTECHNICOLOR社は1936年に製作に協力する懇談会を行っている。

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アリスがドアの鍵穴を覗き込むシーンを映した画像。ここは非常に難しいシーンだったと語られており、MovieNEXに収録されている。

アリスについての製作裏話(なぜ映画化に20年かかったか)

1920年代当時からルイスキャロル原作のとは違う観点でアリスシリーズを展開して中編、短編部門としてアリスを製作していたディズニー。だが長編アニメーションとしてルイスキャロル原作の世界線に沿った映画を製作するのには実質20数年かかっている。ではその原因はいったいどこにあるのか。

1930年代から熱望していたウォルトだが、制作が難しかったのにはさまざまな要因が絡んでいる。まず一つの原因としてはキャラクターの個性
キャラクター自身の個性、そしてアリス自身の主人公としてキャラクターが内容的にも薄く、取り扱いづらいものであったためである。
ウォルトはこれを逆手に取り、それぞれのキャラクターの個性を主張して強調しすぎないようにアリス自身の主人公としての立ち位置も描いた。よってそれが現代でもチェシャ猫やイカれ帽子屋などの強いキャラクター印象を残す作品となった。

次に挙げられる原因が制作スタッフ陣の育成
当時1秒24枚という膨大な枚数で描き上げていたスタジオには数100名程度といえど年1作スペースでは追いつけないことがあった。50年代当時800名ほどまで大きくスタジオが成長してようやく完成することができた。当時のアーティスト育成に白雪姫で「汗かき部屋」と表現していたように情熱的だったウォルト。それでも白雪姫の公開によりカリフォルニア中に名を轟かせてアリスの政策に取り掛かろうとした。だがそれは結果的に50年代の公開まで空白となる。

ダンボやファンタジアなどが公開されてその後に50年代まで作品がないのには理由がある。
これが第3の原因、「第二次世界大戦の勃発」だ。
世界大戦によるアメリカの参戦により冷戦化に入ったアメリカも映画の製作は停止。代わりはプロパガンダ映画に。
よって45年の終戦まで見送られてそこからアメリカ政治や娯楽の解放により落ち着く50年に入るまで製作のみが行われそこでシンデレラによってペースは再開した。当時からディズニーはプロパガンダ映画を制作していたがディズニー公式での発表作品ではなかったため実際にウォルト自身が制作に関わったのかは作品ごとに審議が必要でどれが関わっていて、どれが関わっていないのか細かく調べる必要がある。

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これらが大まかな原因で製作が遅れていたのだ。ふしぎの国のアリスにはこのような製作背景があったのだ。


ここまでは当時のレポート草案をもとに制作した文字起こし文でした。画像は一部書籍他、PINTARESTからの転載画像が含まれます。いずれも制作から70年以上が経過しているため著作権フリーの画像です。

まとめ

ディズニーに関連する意外な白雪姫との関係性。そしてキャサリン氏のモデルや描画背景、製作秘話についてここまで話しました。まとめといっても概要を見ることが一番かと思いますが、ディズニーはこうした苦労の末に今のウォルトの「夢」をまた一つ実現させたわけです。ウォルトの「夢」を叶えられる日が続くまでスタジオは今も作品を作り続けています。(ウォルトの夢は世界からあらゆる差別がなくなり平和で子供に夢を与え続ける、である)ウォルトはアリスを製作するのにどんな背景がありどのような視点で、どんな思いで作ったのか、読んでいただきました。

おまけ。ナイン•オールドメン

ナインオールドメン。ディズニースタジオで30年代から中心的な役割を担っていたアニメーターで全員がディズニーレジェンドとして手形が残されている。(ディズニースタジオ内)
白雪姫では1937年公開で全員が原画担当をしている。またシンデレラ、ふしぎの国のアリス、ピーター•パンでも全員が作画監督をしている。(作画担当にムーアは白雪姫でも中心的に参加していたが、1950年に不慮の交通事故により死去している。実質的にはテンオールドメンと呼ぶ人もいる。)
メンバー、ウォルフガングは長編アニメーション監督の経験を持つ唯一の人物で、メンバーにもオリー、フランク、ジョン、ミルトを起用することが多くストレスフリーに見ることができる。ダンスシーンは必ず前作品のイメージを取り入れているユーモア的なものがあるが、実際はコスト削減のためのものである。アリスでは含まれていない。
ジョンストンの死去時も、「いつまでも一緒にいることはできない」と残されていたメンバーは痛感していた。ジョンとレスは海外にテーマパークを展開した初の東京ディズニーランドの開園を見ることはできなかった。なお、ウォルト自身も66年死去時ながらテーマパーク建設について言及していた。
メンバー全員がアニメーションの監督として一緒に手がけた作品は唯一ピーター•パンのみである。

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画像、情報はWikipedia、ディズニー公式、ディズニーMovieNEX、1952年ニューヨークタイムズ誌、tumblr、ディズニークラシック、ディズニーヒストリー館を参照しています。(版権著作権等は半世紀以上が経過し有効期限切れのためそのまま掲載しているものもありますが全てディズニー公式に帰属します)

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