見出し画像

PRAKTICA VLC 2 [VLC2]という東独カメラ

東西分裂統治が行われていた戦後からベルリンの壁崩壊までの期間、東ドイツ、つまり東独ではソ連の考えを多く汲み取っていたのは有名な話です。(そりゃ占領下だし…)東ドイツではそのころは社会主義な国策により経済を運営していました。ここまで来たらなんの話しをするかは分かるでしょう。東ドイツの工業製品、プラクチカVLC2というものについて紹介します。


VEBという会社について

VEB人民公社という会社は東ドイツに存在していた名の通り公社。中でも映像、写真産業等が強く、光学製品政策には強い部門だったそう。

難しいことは言わず、まとめられたウィキの文献をそのまま引用します。

コンタックス製造ラインとその西ドイツ向けブランドペンタコンは、製造元を集中させる国家政策によりコンタックスFM型/ペンタコンFM型以降カメラ・ウェルクシュテーテンに移管された。1953年、カメラ・ウェルクシュテーテンはカメラウェルケ(VEB Kamerawerke )に社名を変更し、さらに1959年にはキノヴェルケカメラ&キノヴェルケ・ドレスデン(VEB Kamera & Kinowerke Dresden )に社名を変更した。

カメラ&キノヴェルケ・ドレスデン、ウェルタ、アルティッサ、アシュペクタが合併し、1964年1月1日に人民公社(VEB)ペンタコン(VEB Pentacon )となった。また、イハゲーの開発部門を吸収した。
1968年にコンビナート・VEBペンタコンに社名を変更、1970年にイハゲーを吸収、1980年にメントールを吸収、1985年にはコンビナート・VEBカール・ツァイスの傘下に入った。
1990年、ドイツ統一に伴い競争力を失い、6月30日にコンビナート・VEBカール・ツァイスから離れ、7月1日にペンタコン・ドレスデン(Pentacon Dresden GmbH Kamera & Kinowerke )を設立したが、ドイツ統一後の経済の変化に対応できず10月2日清算に追い込まれ、シュナイダー・クロイツナッハ(現・シュナイダー・オプティクス)に吸収された後、1997年に設立されたシュナイダー・ドレスデンに継承された

という感じです。VEBの部門の中には当然今のBMWの源流もはいっているということです。

VEBペンタコンはイハゲーなどの開発部門を吸収していることから決して技術力が低いわけではありませんでした。社会、共産主義というと競争力が落ち、モノのビルドクオリティや発展が問題視されますが、当時は技術力が世界的に見ても高かったドイツということもあって見劣りする部分は少なかったのです。

VEBペンタコンの諸注意

先ほどの説明では決して技術力が低いわけではなかったと打っていますが、それは1960年、70年代前半の話でそれ以降はやはり「社会主義の血」が徐々に表れるようになります。進化がゆっくりなだけあってほとんど機構が変わらなかったりします。

第一、初期に開発されたであろうプラクチカLのシャッター、「ラメレンシャッター」はその後壁崩壊まで需要が途切れなかったことからそのままで開発されて生産されていたんです。生産ラインが変わってないということです。

ある意味安定しているのでは?と思う方もいるかもしれませんが、堅牢性は決して高いとは言えず、精度もよくないことから、技術力、というにはほど遠いものになっていました。ただそれまでは布幕だったのでいくらか整備性は上がったのではないかという認識をする方もいます。

このラメレンシャッターを分解したことのある方ならばどういう構造をしているかもわかるでしょう。クロス型のシャッター機構部が備え付けられて縦走りのシャッター、かつユニット化されていません。非常に複雑な構造をしているのです。

標準化率

標準化率というのはそこで大きくかかわることになります。VEBでは生産ラインを統一するための東ドイツの国策(政策)により生産状況や工程を統一させ、安定した需要や経済を保とうとしました。そのため部品等は新しいカメラの開発時にも同じ部品を使うことはよくある話でその同じ部品を使う部分の比率がカメラ全体の何パーセントかを表す指標が標準化率です。要は使いまわしがどのぐらいあるかということですね。当然、少なければ新しい部品生産ということになりますのでコストは上がりますし、製造コストは、、上がったり下がったり。

プラクチカLシリーズとPLシリーズでは大きく外観が変わるというある意味部品の刷新が行われていますが、それ以降のLシリーズボディは世代ごとに分類され標準化率が上がっています。ただし一部の製品は堅牢性に長けているものがあり、精度のきちんとした個体があるそうですが、年々やはり減っているようです。当然、修理となるとほかの個体から移植するか専門業者が新しい製造を行うかのいずれかになるのでライセンス修理もあったもくそもありません。

ただこの標準化率。素晴らしいことが一つ。同じ部品をそのまま何世代も流用してるだけあって、例え自分の好きな型番のものが壊れても他のものから取ってこれる、という利点があります。ただし分解はかなり難しいのでお察しを。

今回のカメラの根源であるLLC

LLCというものは1969年に発売された当時ペンタコンの中でも最高級と言われるカメラで非常に生産コストをかけて作られたものなのかと思われます。

ただといっても製造は1968年前後、やはり非常に年代がたっているので程度の良くないものも多いです。

ちなみに東ドイツ製カメラの市場価値というものはさほど高くありません。汎用性の高いM42マウントに標準化率の高いカメラですので悪く言えば似たり寄ったりなのでさほど名称ごとで大きな差別化を図ることができないためです。

LLCにはこのような記載があります

ボディ側の金メッキを施された三つの接触点と、交換レンズの接触点によって絞り値を電気的に伝達させる機能を世界で初めて持たせた35mm一眼レフカメラで最高級モデル

東ドイツカメラの全貌p.262

 何度も言うようですが根気を入れて作られたもののようです。

その後改良品で別のモデル、LTLが開発されて販売されました。これはTTL絞り込みの測光を採用しています。

ただこの表記は若干語弊があります。確かにLLCの基準が採用されている面もありますが、本当に正当な受け継ぎを行なっているのはファインダー等が共通なRTL1000であると言われています。

VLCの開発と発売

需要があったのか、ウエストレベルファインダーや交換式プリズムなど高級志向のカメラを求める人が増えたためにVEBが1973年ごろから開発を始めたのが今回のカメラの前進VLCです。VLCは1974年に発売されたもので規定値をまずLLCとして製作を開始しました。なぜ増えたのかは不思議ですが。。

その後LTL系と並行して販売され続けました。もちろんそれより前の世代のカメラも販売は続いたわけです。

その後改良を重ねようと元のカメラを標準化して作られたのが第二世代のカメラです。

主にはウィキペディアにも記載がありますが東ドイツカメラの全貌、を基に打っておくと

・反射防止構造の改良
・MCコーティング系レンズの登場
・巻き上げレバーとシャッターボタンの改良、大型化

などです。ほかにもいろいろな改良がされていますが、ほとんど外観が変わっていないのがまた社会主義の血を感じます。ある意味安定化ですね。

まずは第一世代のカメラの標準化カメラを基に制作されました。
LTLはLTL3になりました。1975年です。LLCはPLC2などになりL、LBも後ろに2をつけて改良したことを示していました。

その中の一環でVLCを改良して発売されたのが1976年のVLC2というわけです。これも第二世代の最高級カメラとして扱われたそうで、当時のマルク価格でも最高で取引されていたそうですが、この話には諸説があるようです。何しろ、当時の東ドイツにはシュタージという秘密警察がいたので、どのように情報が取り扱われて、どのように発信していくかは半ば管理がされていたようなものですから。

その後の三世代カメラというのは皆さんもよく知っている、あるいは見たことがあるかもしれません。MTL系の登場です。MTL3なんかはまさにそれです。なんと三世代で一番売れたカメラで70%以上のシェアがあったそう。VLC2を基にVLC3も作られましたが、MTLのように安価ではなかったためあまり売れなかったそうです。

実はその後4世代で1989年でベルリンの壁が崩壊するまで生産は続けられて有名な最後のM42マウントMTL5Bが発売されていました。Lシリーズは廉価なうえに需要が低下しませんでしたが、高価であったPLC系、VLC系、EE系はすでに生産を終了していたようです。

そのためVLC2は1976年から1978年と発売期間は意外にも長くないのです。

1979年には4世代のBシリーズがすでに販売され始めていたので話の筋は合います。最後のMTL5Bは1985年です。

これを日本に照らし合わせるとミノルタのα7000が登場したのと同じ年なんです。そう考えるといかに進化がゆっくりだったかがわかります。というのもその二年前にT50、3年後にはF4が登場しています。T70も前年度です。

VLC2のスペック

かなり長くなってしまいましたがスペックを紹介します。

クイックリターンミラー方式採用
B,1~1/1000sまでのシャッター。独自鉄幕ラメレンシャッターユニット
駆動部全機械式、露出計のみ電池使用(4.5V)
Made in G.D.R(東ドイツ民主共和国)
プリズム、ファインダー交換可能(アイレベル、ウエスト、ウエストマグニファイヤー)
革タイプの外観製法
特徴はシャッターボタンが前にあり斜めに設置されている
ASADIN優先表記のみでISOは非採用
ファインダーはアイレベルはプリズムマイクロスプリット
生産台数は39960台(推定)

M42の完全互換マウントではなくヤシカのM42や一部の押し込みピンが長いタイプのレンズは装着すると外れなくなる可能性が非常に高いので注意してください。

http://www.praktica-collector.de/196_Praktica_VLC2.htmと自分

写真で見る

写真はもう一つの救出ジャンク品Sony α700で撮影。α700についてのブログは後日掲載(そのうちここにもブログ貼る)

前面部
別視点

前面部はいたってシンプルな一眼レフカメラという印象。ロゴの下に黒いラインがあり、前の世代のモノよりもスタイリッシュでより現代的なデザインになるようになりました。上のファインダー部はアイレベルで、アイレベル自体のつくりは良いものの精度が悪くはまり方がいまいちですが、まず使えます。はまってしまえばファインダー距離像のずれが起きることはないので安心です。配色は白と黒のパンダ塗装でファインダー部がブラックなためほかのPRAKTICAカメラとは一線を画す異質なものになっています。

ファインダーの素材はアルミのようなプラのような、合金のような音がします。少なくともプラの外装ではないようです。特殊な吹付塗装がされていますが、はがれると銀のようなとにかくギラギラした日本のカメラとは何かが違うものが露出します。

VLC2ロゴ。印字が落ちている、削り出し。

ここにロゴが記載されるようになったのが二世代目の特徴です。前のシャッターが特徴的なプラクチカのラメレンシャッターはMTL5Bまで続きます。ドラマにも使用されたことのある機材で、時々登場します。特に革の部分には特徴はなく、いたってシンプルな日本のものと変わりません。

ノブも一般的な引き上げて裏ブタを上げる仕様黄色の目印は露出に関する設定ができます。

シンプルですが三角環はついていません。

アイレベルを外した状態。右側にあるのが巻き上げたかどうかをお知らせする指標、左は露出計。ファインダー部は四隅が丸く加工されておりその部分には反射材等もなくハレーションは盛大です。なぜこのような構造なのかはよくわかりません。
ファインダー部。シンプルゆえの構造。精度は出ていますがちょっと心配なレベル。手間ではなく上でもなく少しだけ斜め上に引き上げます。
みんなが見たかったこのロゴ。底部にあります。特徴的なマークです。左はエルネマン塔、右はQ1証と呼ばれるもので党jのグラスヒュッテ工場の一部の製品にこのようについていたとか。主に時計に使われていましたがカメラに印字されているものは同じ機種でもあまりないようです。
おそらく一番癖が強い巻き上げ部。

巻き上げ部は特徴的で一番癖が強いと思う部分です。個人的に装填時が一番癖が強いのかと思います。まず巻き上げシャフトの左側の溝にフィルムのスプールをひっかけるところまでは同じですが、そこから下の四角い箇所にフィルムを挟み込んでから巻取り部のばねにフィルムを巻き取らせます。

慣れればとてもシンプルで千切れることもないので裏ブタを外すタイプのカメラを使い慣れている人には楽勝だと思います。ただ巻き上げができているかどうかは確認した方がいいでしょう。この巻き上げ部は時計回りにフィルムを巻き込むタイプです。鉄の棒の部分に巻き付けるとうまく巻き上がります。

私は非常に目が悪くRF(レンジファインダー)機が大の苦手でデザインや使い勝手には惚れ惚れするもののピント合わせにはうまくいかずまいったことが何回かあります。

つけているレンズはTokina 35-135mm f3.5-4.5。海外専売モデルでPassedシール付き。

使用所感

非常にシンプルな一眼レフカメラ。ある意味シンプルすぎてつまんないというかもしれません。ですがそのシンプルさがかえって東ドイツの一眼レフ生産技術を感じます。と言ってもないわけでもなく、PETRIのカメラ同様シャッターが奈々枝に配置されており人間工学に基づいて作られているとかペトリは言っておりました。

シャッターは非常に硬いです。かなり深くそしてしっかり押し込まないと切れません。そのため手振れが怖くなります。上の画像の通りPRAKTICAのカメラは人間工学に基づいた斜めのシャッターでペトリもこの方式を採用しています。実際押しやすいんですがやはり固いので自分はレリーズボタンを拡張して幅を広げるアダプターを付けました。

ただでさえ手振れが怖いのにミラーショックは中判機並みのシャッター威力を叩き出します。すさまじいのでしっかりと構えましょう。レリーズボタンで切るとカメラ自体が揺れるのがざらにわかります。本当に実際に手にすればわかりますが、想像以上の音の大きさとショックのでかさです。まじ音だけいっちょ前に中判機。なんていうか、「バシャン」とか「ジャン」とかそれに近い音です。

繰り返しですが、巻き上げの癖はやはり強いです。ジャリジャリ言う感じ。ゴリゴリ?でもあるかも。巻き上げるにも挟み込んだりするのが必要なので少し面倒。じっくり撮るのを強制されたような今ではいいですね。

作例等は後日フィルムの上海申光をとおして現像に出したいと考えています。

参考文献

・東ドイツカメラの全貌

作例

フィルムにて次回は上海申光を利用して撮影したいと思います。レンズは基本的にIndustarを利用したいと思っています。このレンズについても今現在勉強中です。そのうちブログにすると思います

お待たせしました。この記事を書いてから実に1年ほど経過しそうですがようやくその上海のフィルムを通したのでこちらに掲載したいと思います。

少ないですがだんだんとスキャンができ次第掲載枚数が増えていくと思いますので今しばらくお待ちください。実はフィルムカメラはカメラを記載してもフィルムとレンズで決まるのだからあまり意味がないと思っていたそこのあなた。実はこのVLC2。先述の通りほんの少しだけフィルムの撮像部分の端が丸くカットされていて実際にフィルムの撮像範囲の四隅が丸くなっているのが大きな特徴であり、これが唯一「フィルムカメラのカメラとしての大きな特徴」を示しています。

レンズとフィルムで決まるのだからカメラを記載しても正直あまり意味がないと思っていたそこのあなた。こういう違いもあるのですよ。しつこいですけどこれを醍醐味にする人もいるんです。一興、みたいなイメージなんですかねえ。

Индустар 50-2 f3.5。上海申光。縞模様はすべてスキャナの不良で故障ではありません。今は縞模様でないように修正済みですがまだこれらのフィルムはスキャンしていません。
Индустар 50-2 f3.5。上海申光。痛みが意外とあるようで22年の12月に切れているというのにこの痛みは正直品質を疑いたくなるのが中華製フィルム。これもこれでおもしろいんですけどね。
余白多めにしました。少し四隅が丸いんですね。
建設省。これは意外と時代を感じさせる置き方。といっても切り替わったのは2001年ですけど。
絞るとИндустар 50-2 f3.5は半端なく写る。ゴミはこれ除去するの忘れて取り急ぎのモノなのでご愛敬ということで。正直それでも多いので恥ずかしさはある。
これとかは花の撮影で意外と色は出るんです。

実はこの上海。元ネタがAGFAの詰め替えともいわれていて非常に赤の色の出方が強いのが特徴です。実際Kodakのカラーフィルムとはまた違うフィルムパトローネ印字があることからコダック製フィルムの流用ではないことは明白ですし、AGFAのフィルムを幾分か真似て制作された中国の一応のオリジナルフィルムなんじゃないかという説が有力視されてはいるんですが、これには根拠も証拠もない憶測の話ですのであまり真には受けないように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?