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自由のリフレーミング③

「自由のリフレーミング」をトピックに様々な角度から対話を重ね、本日がプレを含めると3回目のゲストダイアログになりました。気になる方は、これまでのハイライトも以下のリンクから見れますので、気軽に覗いてもらえたらと思います。

▼ これまでの研修のハイライト
・プログラムの概要(リンク
・第0回プレゲストダイアログ(リンク
・第1回ゲストダイアログ(リンク
・第1回哲学対話(リンク
・第2回ゲストダイアログ(本ブログ)

第2回目となるゲストダイアログも「自由のリフレーミング」をトピックに様々な気づきが生まれたのでシェアできたらと思います。今回の研修に参加してくださった方が書いてくださいました!

まゆさんのグラレコ(リンク

このグラレコに本日の研修のハイライトがギュッと詰まっており、このままnoteを閉じようかなと思いましたが、今回参加した人の感じたことを中心にシェアをしていけたらと思います。

◎ 研修のセントラルアイデア
その人/地域のアイデンティティを尊重することで、誰もが自由に生きていく最初のきっかけをつかむことができる。

まずは、ゆるっと今期の研修の重要な概念でもある「アイデンティティ 」をテーマに「あなたが感じる土地へのアイデンティティ」を切り口に、この場に集まった一人一人のバックグラウンドがちょっと垣間見れる時間になりました。

▼ アイデンティティを感じる土地で出てきたキーワード

・自分のやりたいことで繋がったコミュニティがある
・自分に影響を与えた土地
・名前にあるフランス語
・今の自分をかたちづくっているものに影響を与えたもの
・色々な人との出会い
・自分に新しい価値観や考えに影響を与えてくれた人に出会えた場所
・自分と似ているあ〜行った時に帰ってきたな〜と感じる場所(今回ゲスト)
・自分の価値観の多くが作られた場所
・色々なものことの見方が変わった場所
・今思うとアイデンティティを感じる/離れたら感じるようなものなのかな?
・今私が関わっていることにつながっている場所
・行ったことも住んだこともないけど、人生を大きく変えた場所
・自分のしたいことして楽しかったり悩んだり、全ての責任が自分にあって、沢山の人に助けてもらった感謝と、成長もさせてもらえた場所
・すぐ馴染むタイプなのでその時住む場所によって、その場所にアイデンティティ感じてると思う(前回ゲスト)

アイデンティティと紐づくキーワードとして、価値観や見方・考え方に影響を与えた場所、今との繋がりを感じる場所のような共通点があるように見えました。

ここでセントラルアイデアをシェアすることで、この3時間の研修の中でもフォーカスするポイントを共有し、深い気づきが生まれる予感がしました。
「その人/地域のアイデンティティを尊重することで、誰もが自由に生きていく最初のきっかけをつかむことができる。」このセントラルアイデアを見て、気になるキーワード、考えたこと、疑問に思ったことのシェアを行いました。

Interest(何か気になる)
最初のきっかけ
地域のアイデンティティ(2)
Think(考えたこと/ふと思ったこと)
「最初のきっかけ」が好き
自由のリフレーミングって言葉が素敵ですね!
地域のアイデンティティって、地元にいる方と移住してきた人で全然違う気がします!
尊重する中で自分の自由が奪われてる時もあるけど、最近は自分の自由も出せるようになってきたなぁって感じです!
Wonder(気になった疑問)
きっかけをつかんだ後、離さずくには?

そしていよいよゲストダイアログに入っていきました。

ここからはゲストダイアログで印象的だった話をゲストの言葉と参加者の考えたことをセットでお伝えしていきます。

重力と無重力の話

無重力だからこその自由
重力があるからこその自由
*しかし、そもそも重力がないと私たちは地球上で生きていけない。
「この自由の違いとは何か?」

ここでは、京都大学にある熊野寮とシモキタカレッジの例を出して自由をトピックに話をして頂きました。熊野寮は学生が主体で運営しており、ここは何かのルールがあるわけではないので、ここに住んでいる人は自分の好きな時間に起きて、寝て、好きなことをして過ごしているみたいでした。また寮費も高くはないので、金銭的に何か重みがかかっている環境ではないそうです。一方でシモキタカレッジは高い寮費を設け、さらにある程度の共通言語を共有することで同質性を担保しながら多様性を担保した環境になっています。ここには、高い寮費を払っていることもあり「何かしないといけない」という重みのようなものがかかっているからこそ、より深い気づきがコミュニティの中で生まれている感じの印象を受けました。
ここで、生まれたのは、自由といっても何もプレッシャーや制限のない無重力だからこその自由と、何かプレッシャーや共通言語がある重力があるからこその自由では、全く環境も異なってくるので、自分自身がどれ位の自由を実感するのが幸福なのかを探る重要性について考えました。

▼ 参加者の考えたこと
● 今は重力を感じているし、そこにしっかり乗れてる感覚があるけど、本来は無重力でいたいんだろうなって思ってるかな。ただ、この無重力も本当に「無」な訳じゃなくて、その場をこうしていきたいとかっていうコンセプトやその場を良くしていこうとする意識は持っていたいなって思ってる。
● 大量ニート輩出する寮で手放せたとらわれの話が印象的でした。
● 常に頑張ってることが善!いい事言うことが善!みたいな社会全体の雰囲気に確かにとらわれているなぁと。あとは、"自分が自由でいられてる感"が自分が優しくいられる土台になってる気がする。

参加者の声

◎ 自由に生きるために必要なマインドセットのようなもの

「自分が決めた道を正解にしようとする意思が重要なのではないか。」

この言葉の背景には、ワンピースの主人公であるルフィをロールモデルにありました。ルフィーは漫画の中で「自分の意思を何よりも優先する」ことと「自分が決めた道を正解にする」言動を一貫しており「自由には責任が伴う」ことをルフィーの生き方と繋げていました。

▼参加者が感じたこと
●「正解にする」っていう言葉が個人的に好きじゃないなのかなって思った。たぶん、解釈としては好き。不正解はなく、そう思っているのは全て過程、後悔で終わらないマインドのようなことは大事にしたいと思った。なんでだろう。正解って言葉を他の文脈で使うときに、それを良しとしないように考えるのが良いっていう経験をしてきたからかな。子どもたちに算数を教えている時によくあったかな、正解することが目的じゃないよって。
● ここでいう「正解にする」というのは、「正解にするためのプロセスのようなもの」ではないかな。
● 正解というよりは「最適解」という言い回しの方がしっくりくるような。
● 自分が決めた「道」というのは「仮説」のようなもので、そうであれば間違うプロセスもあって、その中で試行錯誤しながら正解を探していくようなイメージかな。

この1文から自然と正解のない哲学対話のように、ここに集まった一人一人が自分のこれまでの経験をもとに自由に言葉を焚べていく時間になりました。

◎ 2つの自由の教育の役割

「〜からの自由」… ハード面なので、政治の仕事
「〜への自由」…ソフト面なので、教育の役割

マズローの欲求5段階説

これは、マズローの欲求5段解説とも繋がっているように感じました。「〜からの自由」というのは、自分の力ではどうしようもない、金銭や安全でない環境による不自由さは教育で解決するのは難しく、政治の役割として考え、その一方で自己実現などの「〜への自由」は教育の中で育むという考え方でした。

ゲストトークの後は、ここに集まった人で感じたことや考えたことを焚き火を焚べるように哲学対話を行いました。その中で出てきた問いも印象的だったので、シェアします。

「ここに集まっている人はどんな時に自由を感じるのか?」

ここに集まった1人1人が自分の経験を焚き火を焚べるように言葉にしてシェアをする時間になりました。

▼ 参加者のリフレクション
今日の時間、雰囲気とても好きでした。自由の話をしてるからか、皆さん肩肘張らずに対話できてる雰囲気で、ありのままの言葉で焚べまくってる時間、にやにやが止まりませんでした。おかげで私も頭ごちゃごちゃのままでも安心して吐き出せる自由時間でした。

「自由とは目的なのか?手段なのか?」

▼ 参加者のリフレクション
自由とは、目的のような感じで考えられてしまうことがあるが、自由とは手段のようなもので、自由に生きる力を育むことで、その人が幸せになることを目指すのではないか?
その時々によって使い分けてるけど、手段でいたいなぁって気持ちがある。それは、自由の先を考えた時に「幸せ」が自分の中で思いついたからだと思う。
今いる学校での年度スタートは、自由に選択できる場とそこにいる人たちの意思がある状態があったかな。ルールないし、どこに向かっていくのかはそこにいる子どもとスタッフの想い(風越、指導要領、学校などのフィルターも含む)を出し合って、「じゃどうする?」「ここは決めない方がいいかな。」「そこまで自由にしたら決まらないよ。」「これは大事だと思う」「なんでこれをやることになったんだっけ?」みたいなやり取りの中で進んでいっている。
その中で、「自由」って言葉が出てきたらその都度考える時間はあった※けど、自由に向かっている感じはないかな。みんなが楽しめたり、どんなことしたいか、じゃあこうしよう!って感じ。そこにしっくりきてるから自由は手段って方がイメージしやすいかなって今の自分の中では思う。
自由と自由じゃないとの行ったり来たりな感じもあるかな。その中で他者と生きていく事を考えているかな。
※結構始めの時期に子どもから「ここは自由な学校だから何をしてもいいんだよ!」って言われた。その後「本当にそう?みんながそれぞれやりたい事をやりたい放題やったらどうなるんだろう」って話し合った経験。自由の概念について考えたけど、自由がいいよねーとはならなかったかな。
てか、2年生なりたての子達から「自由」って言葉と、自分が生きている場のことを「自由だ」って言ったところにもこの時は驚いたのを覚えている。

▼ その他の参加者のリフレクション

● 人がほぐれていく瞬間は、私の場合は留学先であり、シモキタカレッジに慣れてきた瞬間であったりだったなあ。留学先で「いつまでいるの?」みたいな質問をいろんな人に聞いていたけど、それは留学とかいう名前をつけて期限付きで海外に行くという当たり前になっていた証拠で「いつまでかはわからない」とかいう返事が当たり前に帰ってきて、私もそろそろ人生の時間をゆるーく捉えていけばいい気がしたことを思い出しました。
みんなのほぐれた瞬間を知ることで、私ももっとほぐれていけるかな。軽やかに変えていく。今日もほかほか深く面白い研修でした。
▼ まだモヤモヤとまとめきれてないけど、心に残ったことば……
・「遊び」との境界線を曖昧に
・ 事実はない、あるのはただの解釈のみ
・ 長い間いる場はラベリング、レッテルを貼られるからそれに応えようとしがち(=自由がない…?)
あまり自由になりたい!という思いがないのは今自分が自由だから?
● 夏休みみたいな膨大な自由時間を与えられることが私は嫌いなのはなんで?をぼちぼち考えたい。とにかく今回の研修大好きでした…!ひゅうたさんの話がとにかく響きまくり。言葉が脳に届くまでと脳で考えてることが言葉になるまでが遅いのでたぶんディスカッション最中受け取れてない話が多いので動画見返して落とし込みたいです。
● 相対的自由と主観的自由
こんな言葉が最後に出てたけど、豊かなのは主観的自由を感じられる瞬間かなって思った。他者との比較した上での自由だと自分の生き方の指針、歩いてきた道を他者視点で考えることになるから。こうなりたい、やってみたいっていう未来の軸を他者を通して見るのは面白そうだけど、その後には他者を超えた自分のしたい、こうなったら自由だよなって主観的な方向にいけたら良いなって思った。

ここまで読んで頂きありがとうございます。まだまだ、自由のリフレーミングは続いていきそうです!

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