新型コロナウイルス騒動から見るマクロとミクロ その74 ~どの数字を信じるのか~
安野モヨコ氏の「監督不行届」の中で、あんの家がダイエット部と化す回がある。その中でカントクくんは体重計に乗り一喜一憂する。増えたことに落胆し、減れば喜ぶ。乙女である。
新型コロナウイルスの感染者数が、緊急事態宣言以後に増加傾向にある。専門家も増加傾向にあると伝えているにも関わらず、政府側は「Go Toキャンペーン」を実施しても問題無いと判断している。実際、毎日出てくるどの数字を頼りにすべきなのだろうか。
まず重篤患者数と病床の空き率には注目しておきたい。どこまで真実か分からないが発症して入院まで時間がかかったケースもあるからだ。しかしながら、政府発表の数字がどこか信用出来ないことから自衛するしかないのではないかと思う。出てくる数字そのものは指標でしかないと考えるしかない。同様に政府が出している感染予防対策も完全なものは無いと考えるべきであり、常に新しい発見と共に更新していくべきである。マスクにしろ、フェースガードにしろ装着そのもので防げるものでは無いと考えるべきでもある。アクリル板などもどこまでの効果があるのか分からない。様々な施設が政府が対策として出しているために従っているものの懐疑的な人も多いと思う。
日本の政治家がここまで選択を迫られたケースは近年では記憶に無い。1つとして思い出されるのは、1977年の福田赳夫内閣総理大臣による「ダッカ日航機ハイジャック事件」における身代金の支払いおよび「超法規的措置」として、収監メンバーなどの引き渡しを行うことを決めたことである。その時、彼は「一人の生命は地球より重い」と述べている。今回も人命がかかっていることであり、局地的な問題では無い。何を優先すべきかを明確にしないとどこかで崩れていくことになる。全てを救うことが出来ないにしろ、最大数をどうにかしていく決定をすべきである。そこで救われなかった人たちのためにNGOなどあると私は思っている。
鬼滅の刃の冨岡義勇のセリフに『生殺与奪の権を他人に握らせるな!!』というのがある。新型コロナウイルスの対応も行政が出している指針に合わせれば大丈夫であると考えるのではなく、いくらかの自己判断をすべきである。大丈夫と考えて行動するのでは無く、どうすれば感染しないのかを考えて行動すべきである。それでも感染を防ぎきれないだろうし、その時はその時と考えてしまえばいいと思う。相手は肉眼で捕捉出来ないウイルスなのだから。出来る手洗いなどを行っていくしかない。そして、情報を鵜呑みにするのではなく、本質を捉えていきたい。
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