新型コロナウイルス騒動から見るマクロとミクロ その96 ~身の回りの変化~
真夏にも関わらずマスクを着けた人々で溢れている2020年、令和2年の夏は戦後ではこれまで見ることの無かった風景であったと思う。さらに東京がGoToトラベルの対象から外れてしまったことからもさほど旅行業が回復を望める状況では無い。
さて、2020年令和2年の秋は、新型コロナウイルスによってどういった日常が見られるのであろうか。引き続き多くの人はマスクを着けた外出を行うことになるだろう。そして、観光業や飲食店は影響を引き続き受けることになるのだろう。観光地の観光スポットが密な状態になることからも、観光スポットを中心にすることが難しい。色んなアミューズメント施設も通常の集客人数を抑えて運営しているのが現状である。そんな収益を極大化出来ない状況をどこまで続けるのかが我慢比べのように2020年中は続くのではないだろうか。
飲食店に関しては、感染症対策を施していても不特定多数との接触の機会が増えることからも、旬の食材を楽しむにしてもお取り寄せ等を使うことからお店に立ち寄る機会が減り続けるのではないだろうか。都心部では営業は続けているものの居抜き物件として売り物件になっている飲食店もあるという。「新型コロナウイルス」によって、感染防止を行いながら楽しむというスタイルが少しづつではあるが慣れてきたように思える。それがいつまで続くのかを見通すにはワクチンの開発が鍵になるだろう。仮にワクチン開発により、新型コロナウイルスが対処可能な感染症として世界的に扱われるようになったとして、働き方は以前と変わらないものと現状のもの、そして、さらに変化するものも現れるだろう。
特に会社は常にいるところではなくなってきているのではないだろうか。必要な時にだけ会社に行くという行為に変わってしまうだろう。今後変わっていくであろう変化に関してはまだ予測がつかない。多くの中小企業がさらに弱体化するような気がする。それは大学卒業後等に就職するのではなくフリーランスや個人事業主または起業するパターンが増える予感がするためだ。
新型コロナウイルスでよく見えるようになったこととして、1つに判子文化の無駄がある。無駄のある意思決定などに対して、今後のデジタルな生き方をこれからの世代は推し進めていくと思われる。そのために変われない会社は取り残されていくだろう。新型コロナウイルスが無ければもう少し価値観がこのまま続くことになったのではないだろうか。それが幸せなのは古い世代だけであり、これからの世代は自分たちの価値観が合わないのなら無理に合わせる必要なんてないと思う。新型コロナウイルスは古い価値観を消し飛ばすのに必要な推進力だったのだろうかと思うときが来るのではないだろうか。
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