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無くても生きていけるものね

新型コロナウイルスのために在宅時間が長くなることで分かってくることも色々とあったのではないだろうか。

中高生の頃の私はアニメ好きでラジオ好きであった。四国、香川の私にとって大学生として大阪での暮らしは、さらなるオタク生活に拍車がかかると思っていた。しかしながら、そうはならなかった。演劇部に所属したことで大体毎日の帰りが21時頃であった。録画をしてまでアニメを見ようと思わなかったし、何故かラジオもあまり聞かなくなった。ラジオが無くても生きていけるんだと思った。パーソナリティの声に深夜までかじりついていたのが懐かしい。最近はAmazon echoでNHKニュースを聞くくらいである。そろそろドイツ語とフランス語の勉強も再開したいのでNHKの教育を聞くと思うがインターネットラジオで聞くことになるだろう。

大学時代に合わせて1年半ほど留学していた。20世紀から21世紀に変わるころであるから、今のようにインターネットで動画などが見れる時代ではなかった。漫画もアニメもない生活を送っていたのだが別段生きることが出来た。無くては生きていけないと思っていたのは錯覚だったのだろうか。その頃の留学がきっかけで仕事を数年したあとに大学院のために再び留学することになる。昔は貪るように読んでいた漫画雑誌を今はもうほとんど読んでいない。未だに少年ジャンプを30年以上買い続けている人を知ってはいるが、私は留学したこともあって習慣からは消えてしまった

大学院修士を取得し帰国したあとに就職先と新しく住む住居が決まった。新しい生活道具にテレビは無かった。今も含めてテレビの無い生活を10年以上続けていることになる。不便かと思っていたが意外とどうにでもなるものである。さらに最近ではいくつも動画サイトなどもあるからテレビがある必要性が変わってきているように思える。こうやって書いていくと覆うのは、子供のなりたい職業にYouTuberが入ってくるのはわかる気がする。テレビで流れてくる内容はチャンネルを変えるしかないが、YouTubeで面白くなければ閉じればよく、自分にあうものをテレビのチャンネルより多くから選ぶことが出来る。職業選択も同じだろう。ただ、人は選択の幅が広くなると決定することが難しくなりやすい。昔は年長者の指示で決まっていたりするものもあるが、今は自己決定しないといけない。そこに不安があるのはわかる。

新型コロナウイルスが収束した頃には、生活スタイルは一変していると思っている。

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