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新型コロナウイルス騒動から見るマクロとミクロ その35 ~新型コロナウイルス」と共に生きる~

研究者が新型コロナウイルスに対してまだ調査中であるから結論は急ぐべきではないが、熊本県の20代女性が再発したという事例からも抗体を持ちにくい病気ではないかと推察してしまう。もしそれが正しいとすると、今使われている新型コロナウイルス後という表現が正しくないように思えるのである。今後、我々は新型コロナウイルスと共に生きていくことになると思うのである。マット・リドレーの「繁栄」ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」にあるように段々と凶悪さを潜めていくことが分かる。病原体が生き残るために人を残さなければならないからである。新型コロナウイルスもすぐにとはいかないが数年後には何も無かったかのような状況もありえるのではないだろうか。これも楽観的な推測である。研究がされるにつれて分かってくることもあるだろうが、病原体の進化スピードがどうなっていくのかによっては第2波、第3波はどうなるか分からない。思っているよりも酷いことになるかもしれない。まあ、その時はその時であると考えるしかない。

その時にならなくても病原体を駆逐出来るわけではなく一定の割合で新型コロナウイルスによる重篤化した患者は医療機関に運ばれてくるだろう。未だに十分な薬は無いことからも対処療法が続けられていくことになるだろう。今、報道では新型コロナウイルスでの感染者数や死者数は出回っているものの、それ以外での死者数がどうなっているかの統計情報を注目していかないといけない。NHKのラジオニュースでも伝えていたが東京都や愛知県では全体的な交通事故は減少しているにも関わらず死亡事故が増加しているのである。また、先月、心療内科や精神科での診察にて新型コロナウイルスに対する不安に関するものであるというニュースもあった。

状況が変わったからこういった結果も出てくる。少し前に「生産性」という言葉が世間を騒がせたと記憶している。もしも誰かが新型コロナウイルスの死亡率は60歳以上が高いから、生産性の面から自宅療養としてトリアージを提言したら大炎上は免れないだろう。そうなった場合、年金の支出が減り、贈与税などで政府が潤うのかと考えてしまった。ついでに、医療現場での治療数も減り、安定するのだろうか。不幸なことを考えてはいけないものの、「新型コロナウイルス」と共に生きるのであればどういう生活が待っているかは分からない。ただただ収束を祈るばかりである。

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