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新型コロナウイルス騒動から見るマクロとミクロ その98 ~変化できるのか~

西澤保彦氏の「依存」の中で、主人公がこんな風なことを言う場面がある。これまでの結婚生活で舅姑や旦那の姉妹からこき使われて、そういった苦しみを子供には与えたくないと思っていたのに、関係者がいなくなってくるとどうにもその子供に自分が受けていた苦しみを与えてしまっていたという。

こういった状況が現実世界でどれだけ頻繁に起きているのかは分からないが、心象的なものとしてはとても理解できる。逆にこれまで苦労してきたものに対してそういったものは過去のものであると理解している人もいる。今年の猛暑でエアコンを使用せずに熱中症で亡くなった方もいるが、twitterで率先してエアコンを入れる90代の方もいるという。新型コロナウイルスの影響により、社会は変わっていくのは間違いない。これまでの価値観とは違ってくる。過去の価値観を合理的に見直す機会である。

日本人が持つ美徳に変化しないことがあると思う。「頑固」や「職人気質」と言う言葉はどちらかと言えば褒め言葉として使われることが多いと思う。しかしながら、生き残ることに関しては強さよりも柔軟さ、変化できることが必要になってくると思われる。本質的に学校を含めた教育全般において変化出来ればいいと思うが、おそらく絶望的だろう。

明治の時に100年後を見据えようとしたけれども、今の教育は何を見据えているのだろう。壊滅的であると思っている。既に新型コロナウイルスにおいていくつかの「教育の敗北」を感じているのでここで教育の変化については書かないこととする。今後、どのような変化があるだろうかと考えてみる。

在宅勤務がある程度一般化することで、地方都市への移住はある程度増えると思われる。同時に、過疎化地域の過疎化は拍車がかかるのではないだろうか。携帯の4Gの電波は国内をある程度網羅していることから、情報へのアクセスは可能になったものの色んな不便が付き纏うのは間違いない。そのため、その不便の解消としての都市部への移行が起きると思われる。ただし、どこかでまた都会への依存度が高くなり、これまでと同様になってくる可能性もあるとは思われる。

しかしながら、これまで考えられているような住環境からは脱却していかないといけない。新型コロナウイルスの影響がどれだけ長引くかによっても、住まいや仕事場への考え方も変わってくることは間違いない。カラオケボックスがリモートワークを場所として提供したようにこれまでと違ったサービスが増えてくることもあるだろう。

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