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ソードアート・オンライン アリシゼーション War of Underworldを視聴していて感じたこと

このnoteは批判を意図としない。また、私は原作を読んでおらずネタバレを望んでいるわけでもない。

ソードアート・オンライン アリシゼーション War of Underworld(SAO A WoU)のアニメの最新話を視聴していて、今季特に違和感を感じていた。簡単に言ってしまえば、これまでのシリーズにあったワクワク感のようなものがあまり感じることが出来ていないのは何だろうか。

そして、今日、散歩していてふと気づいてしまった。1つは、どこかでキリトが復活すること、完全では無いにせよアリスは救出されること、キリトが皇帝を倒すことが、どうせそうなんだと思えてしまっており、その間の物語が陳腐に見えてしまっている。つまりは物語を盛り上げるための流れがクライマックスに向かって盛り上がりを見せなければいけないはずなのに盛り上がってきていないのは、どうせもう少しすればキリトが復活するに違いないというそういった前提で動いているように見えるからである。物語的にアリスには行き先が決まっているのに対して、キリトの復活条件を全く示されていないことが間延びしていると感じてしまっているところだろう。

SAO A WoUは、STLの話であり、その進化をどうするかのアリスの物語が中心のはずであるが、伏線を引きすぎた過去との繋がりを引っ張っておりそこも物語の構成として十分に組み込まれているとは言い難いからかもしれない。アニメにリアリティを求めていることは無いが、簡単に納得しづらい流れが続いているように感じている。

恐らくこれが新規の作品であれば、来週から見なくていいやと思ってしまうのだが、SAOがこれまでの流れがあるからこそ、上記のように感じながらも見てしまうのである。それは作品の強さとこれまでの流れがあるからだろう。ひょっとするとSAO A WoUが終わる頃にはあの話が必要だったという意識に変わるかもしれないが、同じ様に最後まで間延びしてしまったと感じるかもしれない。どちらにせよ、SAOという作品を見てしまうことには違いない。

しかしながら、SAOの過去作品の構成を含めて考えてしまうのだ。恐らくこれまでの作品のゴールがそれなりにきれいなのに対して、SAO A WoUは少し不明確でキリトの復活の条件が曖昧だったりする。原作の小説ではそこをうまく表現しているのかもしれないが、アニメには私はまだそれを感じられていない。原作付きのアニメ化の難しいところではあるが、うまく映像に昇華出来ることが常に理想ではある。それにしてもSAOの世界感が今回で飛躍していると思い、作品としての収拾がつくのか疑問になってきている。

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