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2020年東京都知事選の大喜利化について

都知事選の候補者を見ていると誰に投票するのか考えていると、中々決められないでいる。多くの人がこの状況を大喜利のように感じていると思われる。都知事選が大喜利化しているのはいつからだろうか。多くの人が今思い出すのは、2006年の東京都知事選に出馬した外山恒一氏を思い出されるのではないだろうか。スクラップ&スクラップというビルドしないのかという内容で、「外山恒一・衝撃の政見放送演説内容全文」から一部を抜粋してくると、彼がどこまで本気なのか当時でも分からなかった。

私には、建設的な提案なんか一つも無い!
今はただ、スクラップ&スクラップ、全てをぶち壊す事だ。
諸君、私は諸君を軽蔑している。
このくだらない国を、そのシステムを、支えてきたのは諸君に他ならないからだ。
正確に言えば、諸君の中の多数派は私の敵だ!
私は、諸君の中の少数派に呼びかけている。
少数派の諸君、今こそ団結し立ち上がらなければならない。
やつら多数派は、やりたい放題だ。
私ら少数派が、いよいよもって生きにくい世の中が作られようとしている。
少数派の諸君、選挙で何かが変わるかと思ったら大間違いだ!

彼が出馬した2006年は、ADSLが普及しYou Tubeやニコニコ動画が出てきたことで情報の拡散がされたことも大きいと思われる。しかしながら、私は東京都知事選が大喜利化した転換点として、青島幸男が都知事選に出た時と考える。以前、聞いたことがあるのだが、彼が選挙で使用した費用はポスターだけであったと聞いている。特に街頭演説などもせずに知名度によって当選したと思われる節はある。彼は知名度が高さだけで当選したのだろうか。その時の公約として都市博の中止が効いたものと考えるべきである

今回は山本太郎氏がオリンピックの中止を公約にしているものの、青島氏のようにはならないように思われる。都市博がバブル経済崩壊後の中でのことである。今回も新型コロナウイルスの影響で同様のような状況ではあるものの、都民にはオリンピック中止を強く願っている人たちはどこまでいるのか分からない。あまりそこまでいないのではないかと思うのだ。それは開票後の彼の投票数を見れば分かることであろう。宇都宮健児氏もそれなりの票を得ることにはなるとは思うものの、決定的な何かを持っていない。東京都北区の選挙戦も大喜利化しているようだが、それは機会があれば別で考えてみたい。昭和のバブル経済が崩壊前のような時期から選挙を見てきた年代の方々にとっては、見るに耐え難いのかもしれないが選挙も時代と共に変化してきていると捉えるべきである。

この大喜利大会と化した2020年東京都知事選の期日前投票に行ってこよう。

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