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ボローニャ

ボローニャの旧市街、イタリアではチェントロ(Centro)と言う中心エリアは半径2㎞程度。北端の鉄道駅からど真ん中のマッジョーレ広場まで15分ちょっとで歩けてしまう。
古都、美食、音楽、鉄道の要衝とかいろいろな形容詞が付くけど、チェントロを歩くとすぐわかるたぶん世界中のどの街にも無さそうなのがポルティコと呼ばれるアーケード。チェントロ内ほぼ全建物に備わっていて、建物同士くっついているからどこへ行くにもほとんど雨に濡れないで移動できてしまう。チェントロ内のポルティコ総距離は40㎞だそうだ。
ここは、11世紀創設のボローニャ大学以来今も学生の街だ。
ポルティコの始まりは“国外”から大勢やってきた学生を安く住まわせるための増築だった。
さすがにもう使われていない旧ボローニャ大学内の、世界で初めて人体解剖をしたという講義室へ行ってきた。「ガリレオもコペルニクスも在籍した」という解説にびっくり。
ポルティコを歩いていると、ローマ・ギリシャ時代風のルネサンス期らしきものあったけど、実際にはもっと前、13世紀には政府がポルティコ建設を建て主に義務付けたそうだ。
観光ガイドではなくて、僕が書きたかったのは、そんな1000年近く前から学生の街だったここの雰囲気。
明るいうちから賑わう赤羽状態のワインバーエリア、古本屋、学校帰りらしい学生連れ。
そして、僕の英語が上手くなったのかと錯覚するような“見下されない感じ”というか、ちょっと大げさに言えば街に溶け込める感じ。
狭い店内にお客がいっぱいだった量り売りチーズ屋さんでのこと。通常は紙で包むのを少量にもかかわらず真空パックして持たせてくれたおじさんの対応は嬉しかったな。
学生たちを受け入れてきた街のDNA。その気風や、品、懐の深さを短い旅で感じられたのが良かった。

で、なんでボローニャを書いたかというと、先週AbemaTVで「中田英寿20年目の旅~セリエA在籍5クラブを訪ねて~」という番組を見たから。
中田がイタリアでプレーした5クラブを訪ねて懐かしい人と話したり、取材に応えて振り返ったり、その街の想い出などを語った。
鮮烈なデビューを果たしたペルージャや、優勝を経験したローマ、フィレンチェだって超有名な所だし、ハムで有名なパルマでは中心選手として期待されての移籍だった。
それにもかかわらず、最短の在籍だったボローニャのわずか半年が一番良かったらしい。
発言の詳細まで再現できないが、共感する深く頷けるものだった。
確か、「この街のもっている雰囲気と適度な大きさ、街の人たちとチームとの距離感…」そんな風な表現をしていた。

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