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踊る菩薩 ストリッパー・一条さゆりとその時代

25年前に亡くなっている伝説のストリッパーの評伝。
生前本人への取材から始めて、今年に入っても改めて親交のあった人に聞くなど、かけた年月と得た情報の嵩の結果か紋切型のメッセージはない。
一条さゆりというストリッパーの名前は知っていた。全盛時代僕はまだ子供だったから、当然実際の舞台を見たことはないけど。
それでも成人してからの僕はストリップを単なるエロとは捉えていなかったし、その感覚は同世代以上の男たちに共通していると思う。
芸術だなんて思っていたわけではないけど、芸事としてプロフェッショナルの世界か。一条さゆりというストリッパーが裁判を争って、文化人も交えてのワイセツ論議が沸騰したニュースは記憶していた。

特出しショー

一条さゆりがナンバーワンストリッパーだった時期は数年。当時の彼女の”特出しショー”を見た人の記憶、劇場の記憶から往時の熱狂ぶりが垣間見られる。

…それを見る客は感動に酔いしれ、一条を労っている。客の表情にはただ感謝の気持ちが浮かんでいる。
…一条が再び姿を見せると、客席からは割れんばかりの拍手が響いた。
…一条が、股をご開帳に及ぶと、彼女の前の客席だけが周りの人を呑み込んで、こぶのように盛り上がる。その山が、一条の移動に伴ってあちこちで起こる。
…一条が自分たちの前から離れるとき、客は決まって観音様を拝むようにして、両の手を合わせていた。

 引退後の波乱人生と、誰にでも優しく接するものの嘘を話してしまう性格。大阪釜ヶ崎で暮らした晩年は日銭を稼ぎ、三畳間で寝泊まりするような生活で、68歳で肝硬変で亡くなった。

ストリップ劇場で鍛えられた最後の芸人は、関東ではツービート、関西では中田カウス・ボタンだという。
全盛の一条さゆりと共に劇場を周った漫才の大御所中田カウス氏が、一条さゆりの最後について最近話した内容を引用する。

芸人の幕の下ろし方

「…一条さんが「普通の家庭におさまって、孫に恵まれて大往生しました』。これはやっぱり反則です。ぼろぼろになって一人で死んだ。だからすごいねん。『つらい経験もしたけど最後は家族に会えてハッピーでした』では、ドラマにならへん。ぼろぼろになって死んでいく。彼女の花道やと思いました」
「芸人の幕の下ろし方としては、一条さんの死にざまは最高やったんとちゃいますか。 僕は芸人です。笑わすか、身体を見せるかの違いはあるかもしれんけど、お客さんを魅了することにかけては、互いに譲らない。それほど一生懸命やってきた。だからわかるんです。最後をどう仕舞うか。これが一番難しい。売れれば売れるほど、最後は悲惨なほうがいいんです。マイケル・ジャクソンを見てください。最後がドラマチックやから、今でもみんなが話します。一条さんも、ようあんな死に方したなと感心しますわ」

著者は、マイケル・ジャクソン以外にもエディッ ト・ピアフも、マリリン・モンロー、ジョン・レノンもそうだと書く。晩年の生き方や亡くなり方によって伝説になるのだと。

著者・小倉孝保/講談社 (2022年9月)

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