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3年目、3回目のフルマラソン

10㎞過ぎ、大きな富士山を背にして河口湖大橋を渡るとき、(さあ、ここから長い道のりが始まるぞ)と思った。
視界が開け、沿道の声援もあってハイペースになりがちなだけど、僕は自分に言い聞かすように、(ゆっくり、ゆっくり、マイペース、ゆっくり、ゆっくり、マイペース)と呪文のように歌うように唱え、そこから数キロ先までこのフレーズを繰り返してリズムを掴んだ。

河口湖北側は、湖の向こうに見える富士山と右手は赤く染まったもみじ。
足を止めて記念撮影をする人も多い。
もう足を痛めてしゃがみこむ人、パートナーの足をマッサージしている人もいた。

20㎞。西湖に登る急坂。歩きと変わらないスピードだけど、“走る”を辞めないで登り切った。

28㎞地点の「いやしの里」は2年続けて足が止まってしまった場所。
茅葺屋根の古民家が保存された一帯で、だらだら続く緩い登りに気力を落とす魔のエリアだけど、なんとか走り抜けた。

32㎞紅葉台キャンプ場を過ぎると、カーブが連続する湖畔道。ペースはガクンと落ちたが、“走る”は辞めないように自分を鼓舞し続けた。
70歳代半ば猫背のおじいさんが隣についたり離れたり。競歩のような独特のリズムだ。

僕のような遅いランナーに限ったことなのかわからないけど、近いタイムでゴールする連中は、レース中も案外見かける者同士だったりする。
競っている感覚とは違うけど、ある区間で抜きつ抜かれつみたいな関係になる人がいる。振り返るとあの時間の登場人物を、何人かの姿格好や足取りを思い返すことができる。

台湾国旗のシャツのカップル、ウルトラマンの恰好の男性、パイナップルを頭に載せたピンクのおばちゃん、音楽を流しているおじさん、なぜかイヤホンなしでiphoneだけを手にしている綺麗系お姉さん。

35㎞の下り坂。ついに歩いてしまった。もう無理。
高校の学ラン応援部が、手拍子と太鼓で応援してくれているけどもう無理。

それからは歩いて走っての繰り返し。

後ろのファスナーをだらしなく下げたウルトラマンがよろけていた。

5時間30分と書かれた風船を運ぶ3人のペースメーカレディーたちとそれに食らいついていこうという集団が後ろついた。

声援に笑顔も返せなくなって、誰に言うともなく「よしゃあ!よっしゃあ!」と一回叫んだ。

気合いを入れても蘇らない腿キン。

残り距離を1㎞ごとに刻む看板。

もう少し。

レースを終えた選手たちが帰路途上で僕たちに声援をかけてくる。
「あと1㎞!それぐらい走れる!はいガンバッテ!」とやけに感情移入してくれる。(わかってたって走れないんだからもう)

振り絞る。
振り絞り、残り10mごとにカウントダウンする心の声。
ゴール。

ゴールエリアから100mぐらいの誘導路を歩いていくと、今年もまた子供たちが完走記念のメダルを首にかけてくれていた。
僕は、丸く太った男の子の前にしゃがんで首を差し出した。

男の子がメダルをかけてくれた。
「ありがとう」と言って小さな手に握手をし、頭を撫でた。

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