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記録 10月14日・おだやかなじかん

10月14日。
6時ちょっと過ぎに目がさめる。4時間寝たからまあまあ眠れたんだな。
父のベッドだからって、別に夢枕には立たなかった。

7時ごろから近所の人たちが来て、あれこれ相談していく。
昨日よりはゆっくりだけど、やっぱり来客はそれなりにあってのんびりしている暇はない。
私の知っている人、知らない人。知っている父、知らない父の話を聞く。

合間を縫ってお昼は、父親メシ。私が子どもの頃よく土曜日の昼に作ってくれたチャルメラを作る。
当時と同じく、魚肉ソーセージとキャベツを一緒に煮込んで。
懐かしいなあと思うけど、もう何年も食べてないのと私は麺を茹でこぼすから、当時と味はだいぶ違う。

ところで新聞を見ていたら、お悔やみ欄にうちも載っていた。葬儀屋さんが載せてくれるらしいけど、見てびっくりしたのは、喪主である妹の名前どころか仕事の役職まで載ってる。。。
もちろん実家の住所も載ってるし、個人情報?なにそれおいしいの??状態だなと思った。

午後も同じようにいろんな人が父に会いにくる。
こんなにたくさんの人が来るなんて思ってなかった。仕事柄地域のいろんな人と関わってきたし、人付き合いも面倒見もよかったからこれが人徳というやつかな、と思ったり。
でもなんかもうその時の母の話っぷりが、常軌を逸すスレスレで、もう耳にするのもキツい。かと言って優しくできるわけでもない。とりあえず今日はちゃんと寝てほしい。
そうこうしてるうちに孫たちも到着する。父も会いたかっただろうなあ。

なんだか不思議な一日。
おだやかでいて、でも日常ではない。
どう考えても非日常なのに、いつもの日常の延長のような時間。
違うのは、父の笑顔も声もないこと。

夜は父の好物の秋刀魚を焼く。最近はみりん干しの方が好きだったみたいだけど、ちょうどシーズンでよかった。新米が添えられなかったのは残念。

葬儀の相談?で隣近所の人が集まる。その前にちょっとしたお焼香ラッシュがあり、
私は外に出た人間なので妹に一任。その間にちょうど幼馴染が来てくれる。
家族ぐるみの付き合いをしていた彼女は、父にとっても娘同然だと思う。
彼女がいる間、父だけでなく、父の友達でもある彼女の亡くなったお父さんもいたように感じた。

今日も父と一献。
キャビネットにあったローヤル開けてやったぜ!
美味い水割り作ってやった。特に父は酒好きなわけではないけど、せっかくなので美味しいものを。

この家でゆっくり父と二人で居られるのは、もうここが最後。
いよいよ明日はお通夜、その線香番もするけど、家じゃないしもう棺の中だもんね。

ふっと目をやると、そこには寝てるだけみたいな父がいる。
幼馴染みとも話したけど、そこにまだ身体があるということが安心するんだよね。でもそれが執着になるから。
既に、あともう1日父が家にいられたらなんて思っている。

でももう、父の存在は、肉体という限界を離れてそこかしこに偏在している。そんな感じがする。

でもやっぱり。昨日みたいに一緒にいられて嬉しいというより、今日は悲しいなあ。
もう本当に、父のこの肉体とはお別れなんだ。

でも、ばっかり。

肉体そのものが、過去でしかない今。


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