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記録 10月16日・送る

異常によく眠れた。7時に目覚まし起床。
結局すぐには眠れなくて、1時過ぎまで祭壇の前で酒飲んでた割にはまあいい睡眠。

妹が買ってきた朝ごはん食べて、着替え。
今日は着物。着付け室も姿見もあるから着付けは楽々。いつもの普段着物よりはフォーマルに着たはずだけど、なんかしめやかじゃない。
どうでもいいけど帯締めが短いのはなぜ??

支度終わって外を見てみたら、しとしと雨。涙雨とか言う人いそうだな〜。。。
私きょう着物なんだから雨止ませて!って父に言ってみる。

9時少し過ぎから親族が到着。
それと、今日は告別式の前に火葬というイレギュラーな順番だから、最後に顔を見たいという人がちらほら来てくれる。

そうこうしているうちに、10時少し前、すでに霊柩車が横付け。

出棺の儀。
告別式の前だから、親族のみ。
みんなで、お花をたくさん入れて。花に埋もれた父は、すでに彼岸にいるように見える。
近しい人たちの書いてくれた手紙も入れる。
母がずっと父に声をかけている。

ついに、蓋棺。
釘打ちってしたかな?覚えてない。

位牌を持った妹を先頭に、親族が並ぶ。私は遺影を持つ。本来は母の役なんだろうけど、足腰の悪い母は、花束。

雨は、止んでいた。

棺が霊柩車に乗り。
10時10分、出棺。

急いで各自車に乗り、移動。
斎場から火葬場は車2、3分だけど、とはいえ忙しない。

火葬場に着き、すぐに読経。あっという間だ、浸ってる時間はない。時間をおいたらそれこそ執着になるんだということはわかっている。

最後のお別れを、と言われ、もうさわれない顔を見る。

ああ、もうほんとうに、この世ではお別れなんだなあ。
でもさ、これからも見ててくれるの、知ってるよ。
さよならは言わないよ。
再び会うまでの遠い約束、って何かで聞いたな。。。

またね。

10時半、火葬。

炉に入る瞬間は、視界が霞んでよく見えなかった。

読経が終わり、待合室に移る。
皆にお茶とおにぎりを配って、しばし談笑。ここまで来るともう会話に笑いも出てくる。文スト文アルの話で盛り上がり、新技を考えるなど。
緊張が解けた証拠か小腹が空いて、火葬場では食事ができないからお茶とか持って一回車に戻る、とまた雨振りだしてる。
父め、、、自分が移動するときだけ雨止ませるなんて。着物パールトーン加工してあったからまあいいけどさー。
ぶつぶつ言いつつパックを開けたけど実際はあんまり喉を通らず、少しだけ食べて戻る。

11時半、まだまだかかると思ってたらもう収骨。
骨だけになった父。
やっぱりというか頭蓋骨や肋骨などの病巣付近は崩れた骨ばかりだったけど、意外にも大腿骨が立派に残っていてびっくり。
道理で入院前まで自分で歩けたわけだ、と感心。
入れ替わり立ち替わりお骨上げをして、妹と母がしめの立会い。
室内には入れないけど、最後の作業が外から見える。せっかく残ってたお骨でも、入りきらないぶん崩してるのはちょっと切ない。


骨壷を渡され、あー終わったなあ、と実感。
壺自体も重いし、お骨も全体量が結構あったみたいでかなりずっしり。
葬儀屋さん迎えに来てくれるのかなと思ったら、まさかの自家用車で骨壷持って斎場戻り。

12時ごろ斎場到着。
もう参列客が来てる、けっこう続々と思ったより人が来る。
まだ時間あると思ってたから、急いで残りのおにぎり食べてお腹を満たす。このあと夕方までたぶん食べてる時間ないし。

13時、告別式、七日法要。
なんかもうほんとに記憶がない。
喪主の妹が立派な挨拶してた。
最後にお供えのお花を配るのが、ものすごい数。たくさん供えてもらったのはありがたいことだけど、一人3束とか持ってってもらっても余るので、あとはいい花だけ包んでもらって家に飾ることに。

15時くらい?帰宅。
妹がお寺さんにお礼挨拶行ってる間、私と母は親類に精進落とし?を。
仕出しの弁当と家に用意してた箸休めに酒類出して…とはいえ皆車だから、飲む人は一人二人。むしろ私が飲む側っていう。

16時くらい?妹が戻り、四十九日の日取りを連絡して、あとはまあ軽く宴会??
失言おじちゃんの各種ハラスメントすれすれ発言とか、まあ田舎の昔ながらの宴会だなあって会話にテキトーに相槌。
もーいろんな意味でぐいぐい酒飲むしかない。

親類がみんな帰って、とりあえず片付け。
明日以降の話をして、妹も自宅に帰る。
流石に気が抜けて、20時くらいからもうねむい。

ぜんぜん、お別れをしたという感じがしない。
ただ流されるままに決められたことをこなしたという感じ。

そう、ただ送り出した。
どこへ?彼岸へ??
それすらも今はよくわからない。

あー、でもまだ明日から数日色々やることあるんだなあ。。。と思いながら、
22前後?寝落ち。。。


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