記録 10月8日・覚悟?

10月8日。
安堵感でよく眠れるかと思ったけど、変わらず早朝覚醒。
寝るときに地震があったり、寝冷えしたりでてきめんに津波の夢を見たw

朝イチで母から電話。
昨日の様子どうだったっていうのと、今度は葬式代の話。。。これもある種の防御反応なんだろうなとは思うけど、ドッと疲れる。

いろいろ聞いてくれている友人たちにも連絡しながら、昨日の父の様子を思い起こす。
視覚情報というのは大きい。
母から聞いていた話だけでは自分の知りたいことがわからなくて(母は自分のしたい話しかしない)、不安しかなかったのが少しだけ解消された。

入れ歯がなくてモゴモゴしてたけど、だいたいの話は通じたし
無意識に点滴取っちゃうからってミトンはめてたけど、腕は動かせてたし
ちょっと前にビデオ通話をした時は「髪が減ってる!!」てびっくりしたけど、短くなっていたからか逆に髪あるようにも見えたし、
なんといっても、眼が、空(くう)を見るような目ではなかった。

祖母(父の母)が亡くなる前、私は小学生だったけれどよく覚えている。
少し言動がおかしくなってきて、だんだん目つきが変わっていった。
悪くなったってことじゃなく、なんていうか、この世を見ていないような感じ。
話が通じないのはともかく、どこを見ているのかわからない、この世ならざるものになってしまったような目が怖かった。
それから祖母は恍惚の人になり、亡くなった。

父が私をしっかり見ていたかと言ったらちょっとあやしいんだけど(ど近眼なのに眼鏡かけてなかったし、緑内障もあって多分そこまで見えてない)、祖母の時のような感じはなかった。昨日のところは。

安心はまったくできない。脳の症状は、いつどうなるのかわからない。
逆に回復することもあるかもしれない。

一つ言えるのは、
父の「死」は、必ず来るということだ。

そのことをまず受け入れなければならない。
期待や希望にすがりたいけれど、それは大事な「いま」を見ないことになってしまう。

父の大事な時間。その残りがどのくらいなのか、私にはわからないけれど
過去ではなく、いまの父をしっかり見て一緒に過ごすことが、前へ進むこと。

そう思ったことは私にとって、「破壊」と「再生」だった。

帰ってきて日常に戻って、父に面会してきたのが別世界のような気持ちになる。
でもこれ、現実なのよね。

ファイブスター新刊が届いてて、今日だったかと思い出す。ページめくってみたけど、全く内容頭に入ってこない。すえぞうはかわいい。
これ予約する頃は、こんな状況になるとは思ってなかったなぁ。。。

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