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すべては神さまが創られた

 

「すべては神様が創られた」

 

すべては

神様(かみさま)が創(つく)られた

神様が創られた。

すべては

神様によって生まれたのだ。

 

すべてのいのちに、

すべてのものに、

神様の思いがこめられている。

 

口は、

宣戦布告のためではなく、

誰かを蔑(さげす)むためでもなく、

「愛」のことばを語るため、

「あなたを赦します」

「ごめんなさい」と言うために創られた。

 

手は、

武器を持つためではなく、

奪うためでもなく、

誰かを抱きしめるため、

支え合うために創られた。

 

目は、

無残な死体を見るためはではなく、

声を失った

子どもの顔を見るためでもなく、

笑顔を見るために、

感動の涙を流すために創られた。

 

耳は、

人々の慟哭(どうこく)や叫びを聴くためではなく、

母たちの嘆きを聴くためでもなく、

小川のせせらぎ聴くために、

歌声を、こころの声を

聴くために創られた。

 

鼻は、

火薬の臭いを嗅ぐためではなく、

破壊された街の焦げた臭いを嗅ぐためでもなく、

森の吐息や花のかおりを感じるために、

焼き立てのパンのこうばしさに

お腹を鳴らすために創られた。

 

道は、

戦車の隊列のためではなく、

難民がさまよい歩くためでもなく、

人が人と出会い、

手と手をつなぎ

散歩を楽しむために創られた。

 

空は、

戦闘機が飛ぶめではなく、

ミサイルを他国に送りつけるめでもなく、

「ピースピース」と鳥は歌い羽ばたくため、

星々が夜空にきらめくために創られた。

 

海は、

戦艦を浮かべるためではなく、

領海を争うためでもなく、

生命の源(みなもと)として、

別れた大陸を結びつけるために創られた。

 

そして、人は……。

人はなんのために創られたのか。

 

人は、

愛し合うために創られた。

助け合うために創られたのだ。

ただ、そのために人は創造された。

だから神様は

人を極めて弱く創られた。

 

ひとりでは

生きてはいけないように創られた。

だから人は他者を求める。

ともに生きるために出会う。

それが人なのだ。

 

なのに、人は

殺し合う。

相手を認めず、

支配しようとする。

時に脅し、時に力づくで。

 

それは人が

人であることを

否定すること。

神様は、

そんなことのために

人を創られたのではない。

 

勝手なまねをしてはいけない。

人は人として、

創られたまま生きるしかない。

それが人らしい生き方だし、

しあわせな在り方なのだ。

 

明日(あした)は、

なんのために創られたのか。

今日がどんなにつらくても

夜明けを信じて生きられる、

そのため明日は創られた。

 

夢は、

何のために創られたのか。

人は悪夢にうなされる。

つらい現実がそうさせる。

しかし、まだ見ぬ明日は存在する。

過去の悪夢ではなく、

未来を夢見るため、

神様は夢を創ってくださった。

 

国は……。

国は、何のために創られたのか。

人間のエゴを具現化するための道具なら、

いっそ国など無いほうがいい。

しかし、国が

人のいのちを守るため、

ただそれだけのために存在するのなら、

国は神の恵みとなる。

 

自分の国が大事だという人は

他の国を尊重できる。

それが

国と国とが存続するための

最低限のルールだ。

「自国第一主義」は、

神の創造の意に反する。

 

世界は今、

闇の中にある。

日々、闇は

深まっている。

 

しかし、闇もまた

神の創造であるのなら、

私たちはこの闇のただ中で

光を見出すことが出来るのだ。

 

「光は闇の中に輝く」。

闇は光には勝てない。

闇は光を際立たせる脇役に過ぎないからだ。

闇が私たちに光を希求(ききゅう)させるなら、

あえて闇を見つめよう。

目をそらさず、この闇を。

 

神が創られた人々は、

今、気づき始めている。

そう、自分は何のために創られたのかを。

 

この口は、

この手は、

この耳は、

この目は、

この鼻は、

この道は、

この空は、

この海は、

何のために創られたのか。

闇の中で世界は

その答えを見出しつつある。

 

剣(つるぎ)をおさめよ。

剣をとるものは

剣にて滅びる。

おさめた剣を鋤(すき)に打ち換えよう。

今が、その時なのだ。

そうだ、今が

新しい世界のはじまりなのだ。

 

あきらめてはいけない。

顔を上げて歩みだそう。

ほら、

青空が見える。

 

 

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