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「もっと哀れなのは―2023年度抱樸互助会偲ぶ会」

「ケアは家族が担うもの」。それが常識とされてきた。それは悪いことではないが、ケアを家族だけに押し付けた結果、周囲の人々は「身内の責任」との関与は薄まり「ケアの社会化」は進まなかった。「身内の責任」と関わることを躊躇してきた。身内がいない、いても縁が切れてる。そんな人がふぇている。
抱樸と出会った人の大半は「最期の場面」で家族が来ない人々だった。葬式もしてもらえず死んでいく。その悲しみと空しさの現実に耐えきれず抱樸では葬式をしてきた。当初は病院の霊安室で、警察の遺体置き場で、火葬場の炉の前でささやかではあるが葬式をしてきた。その後、地元葬儀社の協力も得て教会で葬式を行うようになった。2005年に自立者のピア組織「なかまの会」、2014年には誰でも入れる「地域互助会」がスタートした。「家族だから葬式を出すべき」と世の中は言い続けるが、現実は誰も担わない(担えない)。だから赤の他人が葬儀を出す仕組みを創った。「葬式(という機能)した人が家族」なのだ。だったら「他人が家族に成ればいい」と僕らは考えた。家族を機能として捉え、機能を担った人を家族と呼ぶ。
これまで多くの人を見送ってきた。秋に故人を「偲ぶ会」が毎年開催さる。先日あった「偲ぶ会」にも多くの方々が参加された。「〇〇さんは大酒のみで大変な人でした。昼過ぎにタクシーで出かけて夜にパトカーで帰ってくる。そんな人でしたが大切な人でした」。自身もアルコールに振り回され苦労してきた友人が「アル中だった仲間」を振り返る。笑いと涙が会場にあふれる。今年は208人の写真と名前が並んだ。昨年より10人増えた。実は前日も葬儀がありMさんを送った。抱樸は出会いから看取りまで。
高田渡さんが「鎮静剤」という歌を歌っている。マリー・ローランサンの詩に高田さんがメロディーをつけた。「退屈な女よりもっと哀れなのは悲しい女です。悲しい女よりもっと哀れなのは不幸な女です。不幸な女よりもっと哀れなのは病気の女です。病気の女よりもっと哀れなのは寄る辺ない女です。寄る辺ない女よりももっと哀れなのは死んだ女です。死んだ女よりもっと哀れなのは忘れられた女です」。死ぬよりも哀れなことは「忘れられる」こと。そうだと思う。振り返ると抱樸の35年は「忘れられる」こととの闘いだった。病気や死は避けられない。しかし忘れることは避けられる。皆が覚え続ければ良いのだ。悪口でもなんでもいい。困ったことや大変だったこと、面白かったことは、「良いこと」以上に記憶に残る。だから「あいつは大酒のみやった」と懐かしむ。それでいい。
しかし、人の記憶は曖昧だ。悲しいかな忘れてしまう。忘れることで自分を守っているのかもしれない。しんどいこと、辛いことをいつまでも覚えていたら身が持たない。自己弁護的に言うと「あなたのことを忘れたのではありません。思い出せなかっただけです」ということになる。人が出会った事実は記憶だけではなく心の深層に刻まれる。時になんだか懐かしくなることがある。悲しくて涙があふれたりする。それは出会った人々が、逝ってしまった親父さんたちが風景の中に現れるからだ。「あああ、久しぶりです。あなたは死んでしまったけれどお元気ですか。僕はまだ生きています」と間抜な挨拶を交わす。風の中で親父さんたちが笑っている。
抱樸は「ひとりにしない」ということを追求してきた。他人のためではない。僕自身ひとりじゃさびしのだ。だから死んでからも僕らはつながり続ける。思い出せなくてもつながり続ける。意地でもつながり続ける。分断と孤立、薄情が絡まりあったこの世界に対する闘いだ。抱樸はそうであり続けて欲しいと思う。 

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