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【6歳娘の体感日記】かなしいきもち。

おはようございます。ちえです。
今日は、6歳の末娘のはじめての体感を言葉にした記録を、まとめてみたいと思い筆をとりました。

この記録は、
笠村裕子さんの「感情を感じるメソッド」を実践した
田中直子さんの「なっちゃんメソッド」を、さらに私自身が実践体感し、
それを落とし込んでいる最中の段階で、
「娘にも実践してもらったらどうなるかな?」のところからやってみた、今朝のホヤホヤ記録です。

※各種参考URL

笠村裕子さんのYouTubeはこちら。

なっちゃんのInstagramはこちら。

なっちゃんメソッドをまとめたものがこちら。

娘に体感を感じてもらった

「感情を感じるメソッド」に出会って、1ヶ月半。
まだまだ実践中の私ですが、私自身も、驚くような現実創造が身に起きています。ここに関しては、すぐにでも公開したい気持ちと、
ざわざわとしたまだ、公にひけらかすには勇気がいる、という状態との葛藤で忘れないように記録している段階です。
(きちんと、公開するときが必ずきます。お楽しみに。)

そんな中でも、なっちゃんと共通する想い
「大人が楽しんでいたら、子どもが勝手になんか楽しそうってなるやつ」
(抽象度が高すぎる表現ですみません。くみとって)
このメソッドが、孫の代まで、とか
教育業界に普及していく、とか
本気で、”これまで散々頑張ってきたんだけれど、どうにもこうにも現実が変わらなかった大人たち”
”心に蓋をするのが癖付いているポジティブ変換信者たち”
”能力がありすぎるのに覚醒できないでいた勇者たち”
が、本気で、自分を生ききって、
最高の世界が繰り広げられるための、
自由創造がはじまるきっかけになるメソッドであることは、
確信を持っています。

そして、最高なのが、間違いなく、
「その人だけのオリジナル」が生成されるということ。
協会のこういう縛り、とか
誰々さんが作ったメソッドだから、それに沿ってやってね、とか
そういうものではなく。
(そういうものを、真っ向から否定、とかではなく、
良い面を認めた上で、ということをご理解ください)

否応なく、感じる体感はその人だけ、その人限定のもので。
ひとつとして同じものがないんです。
苦しい人には苦しすぎる、
「自分」を直視することになるものなので、
ごまかせない。

だからこそ、本気で変わる
覚悟を持った人には、ヒットするし、
間違いなく変われる。
そして、頑張って頑張って頑張って維持する、みたいな
疲弊する生き方から開放されていく。

そんなやり方があるんだったら?
誰に薦めたいか。

そう。私は、家族です。私と関わってくれる人たち。
だからこそ、自分自身も実践して、実験中だし、
子どもにも、伝えていきたい。だから私は実践しました。

朝のあるある事件

子育て経験のあるお母さんであれば、必ず経験されたことがあるかと思うんです。。。

我が子が、急に立ち上がったりジャンプしたりして、
顎から頭突きをくらうやつ。
そう。あの、いったいやつです。

い``…ってなって、一瞬言葉を失う、あれです。

今朝ね、あったのです。
無論、娘は悪気があったわけでもないし、
なんならテンションが高いわけですよね。

いい気分でいたところからの、
お母さん悶絶からの、地獄。みたいな。

「いっ」となっても、私、あんまり怒る、みたいなことがなくて
悶絶からの、次の行動、みたいにしてしまうんですよね。
すると、どうなるか。

娘は、ぶつける先がなくなるんです。
もちろん、「ごめん」となって。
すぐに、いいよ、と私はなるんだけれど、
いいよ、となっても、娘はしょんぼりしている。

で、朝なので、色々やることあるわけですよ。
お皿片付けたり、
保育園に持っていく水筒準備して、はい、いくよー、みたいな。

だけど、しばらくしょんぼりしていて。
「いや、痛いしたのお母さんだから!」ってなったわけです。

だけど、いや、待てよ。

自転車にのりながら、体感

自転車に乗る前に気がつきました。
このしょんぼりは、感じる案件じゃないか!!!

これまでも、私は、都度子供たちの気持ちに寄り添う、
本音を吐露してもらう、ってよくやっていました。
正直な気持ちを吐き出してもらって、
吐き出すにも、語彙が少ないから最初はわからないわけですよ
だけど根気強く、本当はどう思っているんだろう?って
子ども自身がわからない感情を、根気強く気がついてもらう。

やっていた。やっていたけれど、違う。
これだ。体感だ。

感情を感じるメソッドでは、
体感=幼少期のお母さんとの間で生まれたもの

これって、結構母である自分自身にとって酷。
母の役割、やばいじゃん!!!
一生消えないネガティブ体感植え付けちゃってるんじゃん!!ってなるわけですよ。
これはね、どんなに母親側が一生懸命だろうが
優しかろうが、勉強してようが、関係ない。
だって、絶対与えてるからね、ネガティブ。
けれど、それがあるから、楽しさや喜びや幸せみたいなものも感じさせてあげられてる。
全ては陰陽。


今回も、自転車に乗る前に、声をかけたわけです。
ずっとしょんぼりしている。
あ、この子は、
「大好きなお母さんを傷つけてしまった、自分自身を許せないのか」

それに気がついた私は、
「そうかそうか、お母さんのこと、痛いさせちゃったから
悲しかったんだね」と言うと、
その瞬間に、おさえていた涙がぽろぽろと流れ出しました。

その後、そっと抱きしめて、しばらく、彼女の感情をおさえないで、だしてもらうことに努めました。
もう、私からは「ありがとう」しか出てこない。

だからといって、痛かったのは事実だから
痛かったのはどうしてか。
顎に頭がぶつかって、舌を噛んでしまった。
だからその時もまだ、少し痛みはあったから。
娘に「いたいのいたいのとんでいけ」してもらって。
本当に、こうやると、痛いの飛んでいくんだよ、と話して
私も「痛み」をちゃんと感じて。
悲しかったね、優しいね、ありがとうね。

言葉もかけるけれど
言葉じゃない

全身全霊で娘自身に向き合うこと。

それをやってから。

自転車に乗せ、シートベルトをしめながら。

「かなしいきもち、体の中のどのへんにいる?」
「ここかな?ここかな?ここかな?」
お胸や、お腹や、手を当てて、
どの辺にいるか、探してもらうと。

ちゃんと、「ここ」と。
お胸のあたりを意識してくれたんです。

それから。
「色は、ある?」
「うーん、色は、ない」

「形はある?とげとげ?まるい?」
「まるい」

「重い?軽い?」
「うーーん、重い」

すごい。
ちゃんと、感じている。

「このかなしみちゃんをさ、
保育園につくまで、ちょっと観察しててくれる?」

そうお願いして、
自転車で保育園まで。
秋晴れの気持ちよいお天気の中、自転車を走らせました。

なくなった、体感

保育園について。

「さっきの、まるいの、まだ、いる?」

少し考えて
「いなくなった」

すごい。

「だけど、悲しいきもちはまだちょっとある」
という娘に、
「その悲しいきもち、もしかしたら隠れてるかな?
もう一回、探してみようか?」

お胸に手をあてて、探してみました。

うーーん、いない…

その後は、保育園の時間もあり、
そのまま保育園へ登園、となったけれど。

・娘が体感を感じられたこと
・お胸のあたりにあって、まるくで色はなくて重い

この経験が私にとっても何か財産で。

ここから、どんな風に娘が受け止めていくとか
どんな風に気持ちと付き合っていくとか
娘の現実創造に何が起こるか、とかは
全くの未知な状態ですが、

家族でやっていきたいメソッド

こういうものに、出会えたことがまず嬉しいし、楽しい。
今日は、感じたてホヤホヤの情報を、一気に記録して届けたくて
書きました。
これからも、実践・実験結果は続きます。

自分のストーリーをどう伝えるか。
どうやったら皆さんに伝わりやすく、伝えられるのか。
まだまだこちらも修行中ですが、
今、このタイミングで、これを読んでくださっている出会いやご縁というのが、まず本当にすごいこと。

私の文章を、ただ読むだけで終わらせずに、
何かあなた様の行動のきっかけに、
え?こんなことでいいの?というくらい小さなことで構いません。
何かのきっかけになってくださったら、とても嬉しいです。

読んでいただき、ありがとうございました^^

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