マウント取りたがりと、メンヘラ地雷系の共通点がわかったかもしれない話
今回は、初の1日2投稿目noteです。と言うのも、今日は有料記事を出したのですが、有料記事って当然全員が最後まで読めるわけではないので、何か、最後まで行かないのって区切りが悪いというか、「ちゃんと終わった」って感覚が弱い気がするんですよね。
内容は別にしても、ちゃんと一つの作品を読み終わったっていう読み手の目線を大切にしたいので、無料記事も挙げていければと思います。
*何となくマイルールで、連続投稿につぶやきや有料記事をカウントしないようにしているのですが、特に、誰かを貶めたい意図はないので、それぞれ自分のペースやルールでいいと思っています。
自分の存在にOKを出していない
最近、考えることが多かった「存在価値」。「存在しているだけでいい」とはわたし自身がなかなか思えていないなかで、色々な本や動画を見ていました。
そのなかで、いわゆる”メンヘラ女性”の特徴として、ご自身もその体質だと自覚されている方が言っていたのが、「本来、自分に対する愛情分ごと相手に求めるから、相手は通常の2倍愛情を表現しなくちゃいけなくなる」というもの。
かつ、自己肯定感が低いため、相手にとっての「価値がある」と思える状態もそれがなくなることに不安を覚えるし、「価値がない状態」の自分を愛してくれるなんて理解できない。
だからこそ、何度も自分が好きか確認してしまう、という話でした。
何と言うか、これまた久しぶりに頭を殴られたような衝撃を受けました。
この論理を使うと、自分の考え方が綺麗に説明できると思ったのです。
マウント取りたがり、勝ちたがりの深層心理
他のnoteでも触れましたが、わたしは、点数が付くものや勝敗がつくものは結構こだわります。もちろん、何が何でも勝ちたいわけではないのですが、例えば、温泉などで遊びで卓球をやっていても、自分としては、公式ルール的に「今のは自分の得点になっていたか」を基準にプレーしてしまいます。
サーブから鋭いコースが出来たかとか、今のは相手が打ち返しにくいコースだったかとか。楽しくラリーしたい人からすると、完全にイヤな奴ですよね。
そこにあったのは、これも何度か書いている自分自身が優位性を出さないとやられてしまう、居場所がないという感覚。
自分に自信がないわけではないのですが、ただ、成果を出せなければそこのコミュニティでは価値がなくなってしまう。
だからこそ、適応障害になって休職した直後は、何も生産性を生み出していない自分が「こんな、のうのうと暮らしていていいのだろうか」とかなりその状況に苦しみました。
また、相手を知りたいという感情も、マーケティング的な視点も、根っこには相手をなるべくコントロールしたいという感情がある気がして、吐きそうになりました。
ただ、その感情が「いいか/悪いか」という話ではなく、より根本が見えてきました。そう、わたしは、自分自身に「存在するだけでいいんだ」というOKを出せていなかったのです。自分に自信はあります。しかし、それは自分に「価値(勝ち)を出す」自信でした。
ありきたりな話をすれば、それは、わたしの親が存在価値ではなく、何かをしたときにしか褒めてくれなかったということになるのかもしれませんし、確かに、どちらかといえば、父に対して長年持っていたイメージはそれでした。
「ハードモード」の選択を選んだのは…?
しかしながら、今、冷静に考えると、確かにコミュニケーションが上手くなかった部分はあるにしても、恐らく父にはそんな気はなく、ただ、わたし自身がそういう考え方になっていたのだと思います。
実際に、母は完全に「存在価値」側でしたが、わたし自身がそれに甘え続けていたら、自分がダメになると自ら引きはがした形でした。
アドラー心理学ではありませんが、やはり、そのほうが自分にとって都合がよかったのだと思います。なぜならば、何かで「価値」を出し続けていられたから。そして、それはビジネスの世界に身を置いていると、まるで、スタンダードな考え方のように錯覚されがちです。
もちろん、ビジネス的には赤字を垂れ流し続けていては法人が持ちません。一方、人の人生という軸で考えれば、まったく違うはずです。
そのことに気づくのに40年かかりました。
すごく正直に言うと、わたしのアートの対象は、メインは水、光などの自然、そして、景色など「人」は介していないことが多いのですが、他方で、「人の感情」は間違いなく対象に入っています。
人との違いはある。でも、それは優劣じゃない。すべてを大切にし過ぎる必要もないし、かといって、見下す必要もない。
最近読んだ『アルジャーノンに花束を』のように、これから学び続けても、それを思い出せなく日が来るのかもしれない。あの物語を読んで、改めて「自分が自分が」という姿勢は引っ込み、学ぶ姿勢とそれを誰かの役に立てる大切さにシフトしていきました。
そして、わたし自身が、その存在に感動し、それを分かち合える人と一緒に、生きやすいコミュニティを広く、薄く、そして、複数広げていきたいと思います。
すみません、今回もまたもやジャーナリング的なnoteで、あまりまとまりがない内容になってしまいました。同じような感覚やモヤモヤを抱えている方の参考になればうれしいです。
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