ワクチンと反ワクチン

ワクチンについて様々な意見があるので「真に」科学的な観点からの私見を。

医学と科学と政治

まず、ワクチンに関する様々な意見について、科学的な見解と政治的、医学的な見解はわけで考える必要があります。というのも科学的見解は事実の問題であるのに対して、政治的、医学的見解は「判断」の問題になるからです。

科学的というのはコロナに関わらず「全てのワクチン」、「全ての感染症」に対して言えることです。

ワクチンの効果や原理については科学的な根拠がありますが、それによって人間の健康に害を及ぼすかなどは医学の部類です。

さらにその医学的な効果からどのような政策を実行するのがよいのかの判断は政策の問題になります。

政治や医学は「判断の問題」なので、事実に基づくのが一番なのですが、多くの場合判断に十分な事実が存在することはなく、その元になった根拠が事実とはことなる場合もある。

極論すると必ずしも事実に基づく必要がないのが政治、医学であって科学と大きく異なります。

つまりどこのレイヤーへの批判なのかを冷静に見分けることが正しい批判に繋がっていきます。

科学からわかること

基本は封じ込め→集団感染

感染症予防法は封じ込めに失敗した場合は集団感染しか方法がありません。
これは簡単な感染症の数理モデルから導かれますし、過去の事例も同様の収束です。

ワクチンは感染拡大に効果がある

反ワクチンでは「ワクチンに効果なし」と言われていますがそれは正しくはありません。一般的にはワクチンは「その感染症にかかったのと同じ効果」を「無症状もしくは比較的軽症」な症状で抗体を得られるものです。

ワクチンには副作用が存在する

これまた当たり前ですが、どんな薬でも副作用があるように、ワクチンにも副作用が存在します。

mRNAワクチンは原理的には効果がある

mRNAワクチンへの批判がありますが、ウイルスの感染症メカニズムから効果があるのは科学的には正しいです。また、mRNAワクチンだから危険であるといったわけでもなく、インフルエンザワクチンも副作用がありますし、それが世間には見えていないだけです。

mRNAワクチンが心筋炎をおこすことの合理的な説明が可能である

ワクチンが出る辺りから心筋炎になる傾向が指摘されてました。以前「モデルナアーム」が話題になりましたが、mRNAワクチンは内部で炎症を起こします。ワクチンが感染を擬似的に起こしているからです。

そのmRNAワクチンが極稀に腕の筋肉を超えて心臓なり他の細胞まで届くことが原理的におきます。心臓で同じ様な炎症を起こせば心筋炎になります。

科学的な事実

科学的な観点からは「ワクチン自体は効果が高いが副作用もあるし、副作用についての合理的な説明も可能である」がワクチンの正しい見解で、それ以上でもそれ以下でもない。

医学的な観点

科学としては「ワクチンは副作用はあるけど効く」という事実のみです。そこからコロナウイルスの性質などを考慮しながら観点から医学的な判断を見ましょう。

隔離とワクチンがほとんど唯一の対策である

症状にたいしての対処療法はいろいろあれど、「感染症拡大防止」としては隔離して物理的な距離を置くことと、ワクチンや集団感染による抗体生成くらいしか対策はありません。

ワクチンがなければ永遠に隔離されるしか、自然に任せて感染するしか手段がない、つまりロックダウンが永遠に続くというのは考慮に入れる必要があります。

コロナウイルスにワクチンは効率が悪い

コロナウイルスはその変異スピードが早いのが特徴で、現に〇〇株というよくわからない変異種が3年野間に大量発生しました。これはこれらの変異に対して毎度ワクチンを作る必要があることを意味します。

当時から「ブレイクスルー感染」といったワクチン打っても感染する事例が多く見られました。

つまり、ワクチンはコロナウイルスには効率が悪い。というか、永遠のイタチゴッコです。

ワクチンの副反応 

コロナワクチンとインフルエンザワクチンを比較すると副反応が多くの人でおきました。元々体調が悪い人が亡くなるには十分すぎる副反応ですし、副作用の心筋炎でなくなった人も一定数いる。

ワクチンが一定度の効果かあったのでしょうが、元々のコロナの重症化率が1%くらいですので、現状の値をもって「もしワクチンが無かったら死者はどれくらいか」を定量的評価しないと本当に意味があったのかわかりません。

毒性の弱毒化vsワクチンによる感染減少

ウイルス自体も半分生物なので自己増幅のために感染します。宿主を殺したら増幅できないので、淘汰圧みたいなのが働きやがて弱毒化していきます。

経年で弱毒化するのかワクチンによってなのかわかりませんが、弱毒化による被害減少なのか、ワクチンの効果なのかは詳細な分析が必要です。

医学的な観点のまとめ

ワクチンは感染拡大の人間が打てるほとんど唯一の解決策であるという意味で正しいが、コロナウイルスにはその特性によって効果が一般的なイメージよりは決定的ではなかった。

ワクチンの副反応リスク大きく、リスクとメリット二対して慎重な評価が必要であった。

また、コロナウイルスに対してワクチンに効果があったかどうかは定量的で慎重な評価が必要である。 

ということです。

医学のデータはかなりデータ分析にバイアスを入れやすく、慎重な評価が必要なのは言うまでもありません。

政治的な観点

医学的にもよくわからない状態でおきたパンデミックでしたので政治も混乱して仕方ない。

その結果責任は後日当然受けるとして、政治としてはその判断をした際にどのようなリスクを認識していて、誰のどの不利益をとって誰のどの利益を取ったのか?の判断の正当性が問題になってきます。

情報が明らかになった過程を考慮すると、時系列の関係が必要になり評価はかなり複雑ですので詳細な判断と評価はしませんが、ポイントを述べていきます。

副作用のリスクヘッジ

ワクチンには多かれ少なかれ副作用が存在します。高熱もそうですし、承認前から心筋炎の報告もかなり上がっていましたが、これらの懸念にも関わらず例外的に素早くワクチンが承認されました。それ故当時はお医者さんも安全性に関して否定的なコメントを残してしました。

つまり、そこまで安全が担保されていないことを承知の上で国の様々な承認プロセスをすっ飛ばして見切り発車しています。

当時は「何が何でも解決策がほしい」というのが実情でしたのである程度のリスクは仕方ないですが、そのリスクが顕在化した際のプロセスや決定権はどうであったのか?

情報の恣意性

「ワクチンは製薬会社の陰謀」を唱える方がいらっしゃいますが、製薬会社も営利企業なので当然都合の悪いことは表立って言いせません。

一方であまりに「受売り」だったということも否めせん。

例えば「副作用」という単語は多くの人が「悪い印象」を持っているので、どう考えても副作用である接種に伴う発熱を「副反応」と読んで中立的な印象にしました。その態度に批判的な声はいつの間にか消えて「副反応と副作用は別です」というコンセンサスを作ってしまった。

これらは誰がどのような情報を元に行ったのか?このあたりはツイッターファイルでも明らかになっているようにかなりの情報統制があったのでしょう。

つまり「情報量を恣意的に操作している」ことは明らかなんですが、その意図と正統な根拠はなんなのか?

経済vs国民の安全

経済活動ももちろん大事ですが、その主体である国民が疲弊すると経済活動も停滞します。その国民をどれだけ守ろうとしたのか?彼らが守ろうとした国民は誰か?

経済活動と引き換えにどれくらいの犠牲者を想定していたのか?

ワクチンの副作用でどれくらいの犠牲者を想定していたのか?

正直これらの判断をする能力は専門家が必要なんですが、専門家が本当に信頼にたる専門家なのか?

誰がどうジャッジするのか?

政治は先にも行ったように「判断の問題」です。なので反ワクチンもワクチンという科学的、医学的な事実に反することを言わなければ「正解のないこと」ですでそもそも議論に意味はない。

ですので時系列ごとの「情報の正確性」、「情報の不確実性」、「情報源の信頼性」と「目的の正統性と合理性」をひたすら突き合わせて行くしか方法はない。

これについても丹念な聞き取り調査が必要です。最終的には回顧録やインタビューを経てやっと評価されるものです。政治的なところの評価は当分は闇の中です。

というわけでそもそも論として結果についての議論はあまり意味がありません。色々思うことがある人はプロセスの合理性や情報の時系列を丹念に読み解いてその政策決定の是非について議論していきましょう。

というのが個人的な見解です。

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