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【viva不登校】人から見たら小さな一歩、されど彼の中では大きなジャンプ

先日、私と妻にとってはとても大きな出来事があった。それは中学2年生の息子が、コロナ禍を経て初めて迎える「バス遠足」であった。

息子は乗り物に長く乗ることを極端に嫌っていた。不登校期間であった小学校5年から6年生までの間は、家族で行く近距離の車移動ですら嫌がっていた。理由は明白で、車酔いをすることだ。もう少し突っ込んで話をすれば、家の車であれば多少彼の気も晴れる。なぜなら車酔いしたときに、自分のペースで車を止めることもできる。

しかしこれが公共の交通機関や集団行動における移動であれば話は別だ。彼の中で車酔いが起きたときにどうすることもできないと言う不安があったのだろう。であるから学校行事などでバスや電車で移動することを極端に嫌がった。そもそも小学校は後半言ってはいないのだが笑。

中学に上り自分のペースで学校に行くようになり、部活動にも自ら参加をし、親としては彼が楽しんでいる姿が誇らしかった。毎日に不安がないと言えば嘘になるが、彼が一歩一歩成長している姿が嬉しかった。

前置きが長くなったが、そんな中彼の鬼門である「バス遠足」が迫ってきた。極端に不安を口にする事はなかったが、やはり日が近づくにつれて、大丈夫だろうか?と言う言葉を口にするようになった。

我々夫婦は息子に対し常々「無理に不安を乗り越えろなんて言わないよ、もし不安な気持ちが強くなれば当日バスに乗る直前でもいいから、先生にやっぱり気持ち悪くなりそうだから帰ってもいいですか。そう伝えればいいよ、とにかくリラックスしてその日を迎えなさい。」と伝えていた。

当然そのことも担任の先生には伝えており、先生からも快諾をいただく、そういった体制も整えつつ。

さて当日の朝、朝4時に起き、朝5時には友達とともに元気よく学校に向かった。妻とは「朝6時にバスに乗り込むから、そこで学校から連絡がなければ後は彼が楽しんでくるだけだね。」と話をし、時を待った。結果としては夕方まで一切連絡がなく、彼は元気に夕方帰ってきた。

車酔いの事などは一切聞かず、夕飯の際には、今日の遠足での出来事を彼から聞いた。普段は口が重たい彼だが、今日はやはり饒舌でいろいろなことを話してくれた。

人から見れば単なる車酔いの話なのかもしれないが、我々夫婦としてみれば、不登校の期間、バスや電車に乗れない彼を見て、この先の彼の生活を案じたことも当然あった。もちろんこのnoteを見てもらえばわかるが、息子に起きる事は何でも楽しもうと決めていた、バスや電車に乗れなければネットで学校に参加すればいい、位に笑って過ごしていた。とは言えやはり、自らバスに乗り今日この日の遠足を楽しめた彼を心から誇りに思い、彼の心の中の大きな1歩に心から賛辞を送りたいと、そう思う。

viva不登校。


ここまでお読みくださりありがとうございます。基本的に「褒められ」「乗せられ」「おだてられ」ぐんぐん伸びる私です。皆さんのリアクションに勇気百倍です。重ねてありがとうございます。