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【viva不登校】第5話 「腹痛」の先にあったもの 続

「担任」とは如何なるものか

「担任」、それは子供たちにとってそれはどのような存在なのか?自分が子供の頃のことを思い出す。記憶に残るのは、小学校時代に出会った3人の先生である。以降少し自分の記憶をたどることにする。

まず、1人目、1年生の時の担任、名前は「M田先生」。歳の頃は60歳を超えたあたりの女性。

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自分には「お婆ちゃん」にしか見えなかった。

彼女には色々なことを教わった。「勉強の仕方」「挨拶の仕方」「友達との関わり方」とにかく、たくさん教わった。中でも記憶に鮮明に残っているのは、「文字を書くこと」「数字を扱うこと」、この2つである。自分は当時、この2つに強い関心を持っていた。「文字を書くこと」は「日記」になり、「数字を扱うこと」は「九九」になった。毎日一生懸命それをやり、先生に見せた。先生はそのことを評価してくれた。「間違い」があろうがなかろうが、そのことを認めてくれた。それがとても嬉しく、自分の誇りでもあった。先生から学んだこと、それは「自信は宝」ということだ。

2人目、3年生の時の担任、名前は「T端先生」。歳の頃は40歳を超えたあたりの男性。

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「ハゲ」ていた。見事に「ハゲ」ていた。鮮やかに「ハゲ」ていた。残念ながらその「ハゲ」が印象的で以上も以下もなく、それ以外に記憶がなく、申し訳ない。「ハゲ」で私の40年弱の記憶にとどまっているのだからすごい。先生から学んだこと、それは「ハゲは個性」ということだ。

最後に3人目、6年生の時の担任、名前は「F澤先生」。歳の頃は40歳を超えたあたりの男性。

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背が高く、大柄でいつもスーツを着ていた。ダンディだった。子供心に、他学級の女性の先生といい仲になっているだろうと邪推を抱くほどだった。話を戻すと、彼からはとにかく厳しく指導を受けた。日々の言動、学業の成果、など。あまり多くを語ることはなく寡黙な人だった。ただし、ある一線を越えると、教室全体に彼の怒号が鳴り響くことがあった。その理由はシンプルだ。「嘘をつく」ということだ。結果はどうあれその過程に「嘘」があった場合には容赦なく我々を叱ってくれた。とても怖かった。ただし同時に尊敬の念を抱いていたことも覚えている。先生から学んだこと、それは「正直に生きる」ということだ。 

今、振り返れば、私にとっての担任は、「道標」だったのだ。そのころは想い及ばなかった。今はそう思う。

今の学校「現場」

時代は大きく変化した。少子高齢化、経済鈍化、ネットの台頭、など、それに伴い現場も変化が迫られてきた。働き方改革への適応、個人情報保護への配慮、パワーハラスメントへの対応、教育現場は本当に大変だ。先生方には頭が下がる。この環境自体を大きく変えることは難しい。大切なことは、こういった環境の中でも、先生(教師)の本分を見失わないことではないだろうか。私は、こう思う。先生は「子供の未来のために存在する」ものであると。少し言い過ぎかもしれないが、そう思う。前述の教育現場の環境を思えばその苦労はよく分かる。ただし、「子供の未来」は、先生方の日々の一挙手一投足に込められた想いに、大きな影響を受けるのだ。「魔法」を掛けられるか、「呪文」を掛けられるか。

今の先生方はどんな「道標」になっているのだろうか。

息子が「不登校」になって以来、学校に行く頻度が少なく見積もっても10倍増えた。その中で、上記の想いを先生方と共有している。先生方も良く分かってくださっている。共に進んでいきたい。

そして、

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気づけば、息子の学校にいる「ハゲ」頭の先生の後を目線で追う自分がいる。もしかしたら「T端先生」との想い出を追い求めているのだろうか。だけれどもやはり「ハゲ」頭しか思い出すことはできない。そんな自分も悪くない。

viva不登校。



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