ゆるゆる読む京極杞陽 #08 昭和17年

『くくたち』下巻は、上巻から約1年を空けて昭和22年4月に刊行されました。昭和17年から昭和20年の句が収録されています。


昭和17年(1942年)の収録句数は78句。

スキーヤーちよつとしやがんですべり去る
やつてみせくれしスケートジャンプかな

京極杞陽『くくたち』下 昭和17年の句より

俳句に描かれる人と作中主体の関係性がじんわり伝わってくる。

1句目のスキーヤーと作中主体はたまたますれ違っただけの薄い関係かもしれない。にもかかわらず、雪山で同じ時間を過ごす「同志」感がある。一方、2句目のスケーターと作中主体の間には演者と観客のような関係が生まれている。

スキーヤーもスケーターも技術のある人なのだろう。余裕がありそうだ。

青山の墓地の空なる花火かな

同上

朴訥とした語り口が印象に残る。「空」は省けるが、一句に要素を詰め込まない良さもあると感じた。

戦時下なので大規模な花火大会ではないことが想像される。

子を失はれたる松彩子君へ先生より「白露の三つと聞けばなほあはれ」といふ短冊をことづかり、松彩子君の店先にてそれを渡す
白露の句の短冊をふるへ持つ

同上

俳人の人生だ、と思う。

俳句の言葉や師弟の関係性が深い悲しみに寄り添うために力を発揮した場面でありながら、逆にそれらをもってしても力の及ばないものがあることを身をもって体験した場面と捉えることもできるだろう。〈ふるへ持つ〉という表現には後者の側への傾きを感じる。

粟津松彩子は後に〈白露に逆縁の児のやどるかと〉という句を残している。「ホトトギス」平成13年2月号の巻頭を飾った。約60年後のことである。

鷹匠
鷹の性憶ゆるままを語りくれ

同上

最後に気になる句を挙げた。〈憶ゆるままに〉がどうも面白い。

鷹匠が鷹の性質を語っているなら、それは話者の記憶というより事実そのものと受け取ることだってできただろう。ところが、この句では語りの事実性が少し低く見積もられている。

情緒的な人だったのだろうか。それともちょっとおぼつかない喋り方だったのだろうか。


『くくたち(上・下)』は東京四季出版編『現代一〇〇名句集④』で読んでいます。引用は新字体です。