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イツカ キミハ イッタep.88

「あー、すみません。車線、間違えました。ここ右折レーンだ。少し遠回りしまーす」

運転は口ほどにものを言う。いや、運転の様子と車内のお喋りで、よそゆきの顔から一気にその人の素が分かるとでも言おうか…。

対面で会うのが二回目のSさんの運転する車の助手席に乗ったときのこと。空港から一緒の目的地までの30分、初めて見る横顔と、たわいもない話から彼の興味関心が分かり、その後、一気に仕事がしやすくなった。
そのSさん、28歳男性から聴いた話である。

「車の運転、好き?」

毎回、初めて車の助手席に乗る際に、運転手にそう質問する。理由は、助手席に座る以上、安全義務を伴い、最大限の注意を払う責任があるからだ。

この最初の問いに、大方の運転手はイエスと答えるが、最近、車を自分で保有していない若手からは、ノーという声を聴くこともある。
その場合、運転の頻度や目的、好まない理由の本音を聴くようにしている。そして、そんな中、運転してくれることに感謝を伝え、「これからの道中、きみの話を何でも聴くよ」、「心配なことがあったら、遠慮なく言ってください」と伝えて、肩の荷を降ろしてあげる。人の命を預かる運転は、また、初めて向かう目的地への運転は、緊張するものだと思うから。仕事でなら、尚更…。

Sさんの回答はどうだったかと言うと「イエスでもノーでもない」だった。
理由は、秋田県出身で車が無いと自由に行動できなかったので、好きか嫌いかではなく、生活する上で欠かせないものだったからだそうだ。冬の雪道の運転や東京へ遊びに行く際の長距離運転などはあまり好まなかったとも話してくれた。

「そうだよね、わかるよ」

うん、うんと頷きながらそう合いの手を入れてすぐ、Sさんが「でも…」とかぶせてきた。

「この間、長距離運転中にヒッチハイカーを乗せてみたんです」

「えっ?ヒッチハイカーって、あの道端で親指立ててる人のことだよね」

私はヒッチハイクしている人に遭遇したことは無いけれど、米国の映画か何かで観だシーンを思い出して訊いた。

「そうです、あれです。僕が乗せたのは、30代後半の男性で日本周遊を何十回もしているという人でした。生活自体がヒッチハイカーと言っていたから、プロなんでしょうね」

聞けば、実家の秋田から山形へ抜けて行く途中で出会い、山形までで良いというので、助手席に乗せたそうだ。ヒッチハイクしている人に会ったのも乗せたのも初めてというSさんに、その動機を尋ねた。

「実は、直前で仕事でヘマやっちゃって。落ち込んでいたんです。原因は、俺にあるのは分かってた、反省もしていた。そんな時にヒッチハイカーが目の前に現れて、なんつーか、人助け?みたいなことすれば、いい事があるんじゃないか、って、急に思っちゃって…。気づけば、車、道端に停めていたんです。笑っちゃいますよね?こんな不純な動機」

Sさんはハンドルにグッと胸を近づけて、道の先を見つめてそう言った。

「でも見ず知らずの人、乗せてどうだった?」

私は静かに先を促した。

「それが、その人と話して、俺、なんてちっぽけなんだろう…、なに悩んでたんだろう、と思っちゃって。気づけば、人助けどころか、俺自身が救われてたんです」

Sさんは、ほんとのことを言うと、ひとりで長距離運転するのが退屈で、ただ単に話し相手が欲しかったと教えてくれた。失敗話を笑い飛ばしてくれるような相手を探していた、とも。

ところが、自分の話しをするまでもなく、相手の話が面白く、示唆に富んでいた。いかに自分が上澄みしか見ていなくて、世の中を支えている多くの仕事と、それに関わる人を知らないのかを思い知ったと言う。

「なんか、ヒッチハイカーを降ろしてから暫く、起業したくなったんですよね」

はにかんだ横顔に向かって、心の中だけで
「いやいや、きみはまだ何者にもなってないから」と呟く。商社勤務の人当たりの良いSさんなら、これからいくらだって大きく翔ける。

車が目的地に到着して、駐車場に車を停めながら、Sさんが最後にこう言った。

「この話、会社の誰にも話してないんですよ。話したら、スッキリしました。ありがとうございました」

これからも、いい仕事しましょう。
そして、人に、出逢いましょうね。
人生が変わってしまうくらいの、
大きな夢に向かって…

車から降りると、冷んやりとした空気が辺りを包み、遠くの山は少しずつ紅葉が進んでいるように見えた。大きく伸びをしたSさんに礼を言い、プラタナスの大きな枯葉を踏みながら道を急いだ。自身の若き日を思い出しながら…。

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