イツカ キミハ イッタ ep.33
「富士山が見える」〜その誘い文句はあらがうことのできない魅力を楯に、人が思わぬ行動を起こすきっかけとなり得る。
行動制限のない連休最終日、箱根湯本はこの自由をまだまだ満喫しようとする多くの人たちで溢れていた。
東京からロマンスカー一本で行ける箱根は、今も昔も日帰りでサクッと愉しめる温泉場として人気が高い。
連休後半を箱根宮城野の小さな温泉宿で、温泉と読書ざんまいを決め込んで過ごしていた私には駅前商店街の賑わいも、名物の蕎麦屋の行列も無縁だった。
混雑を避けて、山奥に籠っていたのだからと、チェックアウト時間ギリギリまでゆっくり過ごして、どこにも寄らず真っ直ぐ帰ろうと思っていた。
フロントでキーを返す際、天気が良いのに3日間も外出しなかったことを不思議に思ったらしい宿の女将さんから領収書と共に一枚の地図を手渡された。
「頂上からは富士山も見えるんですよ」
えっ?富士山?
箱根の夏を象徴する大文字焼が山腹に燃える明星ヶ岳は知っていたが、女将が指した地図の先には「明神ヶ岳」と書いてある。
足柄にある金時山にも縦走できることでも人気が高い山だという紹介があった。
「ここ(宿)からなら1.5時間ほどで着きますよ。健脚な方なら、今から出てもお昼は山頂で富士山を眺めながらの昼食が取れるのでは?」
そんな気軽にハイキングでもするような気分で登っても良いのだろうか?
最近旅行用に使っている登山用リュックには薄手コートの代わりにと持参したGORE-TEXのジャンパーやヨガ用のスパッツが入れてあった。そして、休日どの街でも見掛けるような運動靴を履いてきていた。
ロビーには眩しすぎるほどの陽光が射し込み、大きな一枚窓から見える新緑と針葉樹のパッチワークが色濃く映し出されていた。
一本道で標識もしっかりしており、連休中は登山者も多いと聞き、遭難するリスクは無さそうだと踏んで、すぐに着替えることにした。
少なくとも春秋、年に2回は登山をしているので山登り超初心者という訳ではない。しかし、登る際には綿密な予定を立てて行動しているので、このような急な行動変容を取る機会はまずなかった。
何が行動に駆り立てたかと言えば、「富士山が見える」という一言に尽きる。本当に見えるかはさておき、山道より頂上を目指した。
明神平の別荘地の横を通り、暫くすると、一気にゴロゴロとした足場の悪い大きな石が転がる登山道に入る。
途中でストック代わりになりそうな、太くてしっかりとした枝を拾い、崖を降る際に先に地面へ着地させるようにしながら、アップダウンを繰り返すこと2時間弱。
とうとう明神ヶ岳山頂へ到着した。
尾根を歩きながら、徐々に高度を上げていくと霧が現れ、それまで見えていた強羅付近の観光地の眺めを覆い尽くした。
「なぁんだ、ここまで来て富士山、見えないのか」
10人以上が視界ゼロの山頂休憩所で思い思いに食事を摂っている。
パン、バナナ、お弁当にカップ麺…。
自分もリュックから、朝食の残りご飯で握ってくれた女将の塩むすびを取り出した。
こんなときも、ある。
何かにほだされて、急な行動をとっても思うような結果を見ないことが…。
いつもの登山用のスパッツではなく、場違いなくらい派手な、ヨガ用スパッツ姿の自分を改めて見て可笑しくなった。
正午を少し回ったところで下山した。
この時間に登ってくる登山者と挨拶を交わしながら、道を譲る。
ちょうど狭い道のすれ違いで、道の端で待とうと身体を斜めにして樹々に背中を向けたときだった。
「あっ、海!」
視界の先に、なだらかな弧を描いた相模湾が一望できた。遠くは江ノ島まで見える。
登りのときは足下ばかり眺めて歩いていたため気づかなかった。振り返ることもなかった。
『箱根の山奥から海を眺める』
それが今回の登山でのサプライズとなった。
今度は装備して、金時山まで縦走しよう。
下山した頃、自分の中に沸いてきた思いは、登る目的が富士山を見ることではなくなっていた。
こういうことが、人生でもままある。
登山をすると、いつも忘れかけていた何かを思い起こさせてくれる。
だから、また人は山を目指すのかもしれない。
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