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イツカ キミハ イッタep.89

「女湯」の赤い暖簾に手をかけたところで身体がぐらんと揺れた。引戸は昔ながらの木枠で磨りガラスがはめられている。そのガラスがガタガタと音を立て始めると、急に大きな横揺れに襲われ、壁に手を当て立っているのが精一杯な状態となった。

「逃げなきゃ」

バスタオルで頭を覆い、急いで廊下を下ろうとしたところ、さっき歩いてきた道の先がない。目の前は白い壁で塞がれていた。

「なに?どういうこと?」

地震を受け、鉄製の非常用扉が作動したのだった。銀色のバングル状の取手を回して、フロントに向かう廊下を進むと、さっきまで綺麗に生けられていた花瓶が倒れて割れており、壁にかけられていた大きな額縁の絵が落ちてガラスが粉々に廊下に散らばっていた。

自身の足元を見る。

温泉に入るため、部屋で靴下を脱いできたためビニールスリッパの中は裸足だ。
気をつけながら先を急ぐと、また大きな地震が来た。すると、前方から浴衣姿の背の高い男性がこちらへ向かってきた。

「女湯は、もう誰も中にいませんでしたか?」

「あ…ごめんなさい。脱衣所まで行ってないので、中に人がいるかはわかりません」

自身が逃げることに精一杯で、「その先」にいた人のことを思いやれなかったことを恥じながら言った。

「フロントに伝えて確認してもらいますから」

踵を返して男性は廊下を走り抜けていった。

2024年1月1日、16時過ぎの能登半島を震源とする地震はその南に繋がる新潟沿岸域まで影響した。
正月、新潟の湯宿でのんびり過ごそうと、高齢の両親を連れて、15時40分にチェックインしたばかりだった私は、日本海からはだいぶ離れた山里の旅館にいた。

300年以上前に開湯した歴史ある地とはいえ、建物は鉄筋コンクリートのため倒壊することはなかろうと、ロビーに一度集まってから、宿の案内で再び部屋に戻ったのが16時15分。それから何度か横揺れを感じた。

解いた荷物を再びカバンに納め、ハンガーに一度かけたコートを取り出して膝に置いた。停電していないので暖房の効いた部屋の中では着ることはないが、それでもいつ何があるかわからない。
廊下で大声がしたので顔を出すと、隣の部屋から大勢の人が出てきて、次に脚立を持って入る宿のスタッフの姿があった。天井から壁伝いに廊下まで黒いシミが広がっている。漏水だ。
耳を澄ますと、切れ間なく水の流れる音が聞こえてきた。

暫くして全室に宿のスタッフが安否と設備の確認に周ってきて、掃除機片手に被害が大きい部屋を中心に片付け始めた。その間に、枕元の頭上にかけてあった絵画を下ろしたり、転がった飾りの花瓶をもとに戻したり、倒れてきたテレビを床の上に起こしたりと、出来ることはやってみたが、他にやれることもなく、TVから流れる地震速報をただ見つめ続けた。自身のいる場所の確定値が震度5強だったと知って、昨年訪れた珠洲市の被害が心配になった。

18時、揺れは収まったようなので気を落ち着かせるために、少しでも湯に浸かろうと大浴場に行った。本来無色透明なはずの湯が白く濁っている。しかも、かなり濃度が濃いぬるぬるとした泉質であった。後から宿側も原因不明で成分調査も出来ていないことから、入浴禁止としたことを知らされた。
(その源泉が復活するのに、丸1日かかった)

18時30分、予定どおり夕食が用意された。内容はきちんとしたお正月料理が並べられた。想定外の事態であっても、平常どおりお膳を用意してくださり、申し訳ないような気持ちでいただいた。聞けば、正月期間は店が閉まるので、元々宿側で調達、用意していた食材があるため心配要らないのだと言う。しかし、それも電気、ガス、水道のインフラが使えてこそ。雪に包まれた上越・北陸地方で暖房や煮炊きが出来なくなることは、生命の危機となる。深夜も続く余震に怯えながら、元旦の夜を明かした。

2024年1月2日、晴天だった。この日ロビーは帰宅を急ぐ人でごった返しており、10時のチェックアウト時間前に多くの宿泊客が宿を後にした。結果的に、地震以降キャンセルが相次ぎ、予約の2/3が交通手段が無かったり、心理的な理由を挙げて予約取消しの依頼を行った。

それを聞いて、元々連泊の予定だった私は1月3日まで滞在しようと決めた。両親も予定通り1月4日まで滞在すると言った。
なんの力もなく、装備もしていない私たちにとって宿へ唯一出来ることが「予定どおり宿泊し、予定どおりの宿泊費をお支払いする」ことだと思ったのだ。

こんな非常事態に、なぜいつまで温泉にいたんだ、と咎める人がいるかもしれない。 
声を出さずとも、この正月に寛ぐだなんて不謹慎だと思われる人もいるかもしれない。

もちろん地震が気になって、芯からゆっくりと浸かることも、度重なる災害情報を見聞きし、心落ち着かないこともあった。

それでも、今、自分が出来ることは何かと考えたうえで、ここに留まり、この地震で経験したことを記しておくが必要だと判断したことには少し自信を持っている。

旅先で地震に遭った教訓メモ
・宿の部屋から大浴場まででも靴下は履く
・入浴者や脱衣所、周囲に声をかける
・非常口、避難経路の確認
・部屋に居た場合、すぐに入口の扉を開ける
・TV、冷蔵庫、倒れるものから身を避ける
・天井、壁掛け等、頭上や壁にも気を配る
・部屋間の連絡は携帯ではなく部屋内線電話を使う
・勝手な単独行動はせず宿の指示に従う
・貴重品、薬など必要なものは1箇所にまとめておく
・500ccペットボトルの飲み物は持っていく

地震は自宅や行き慣れた場所以外のところで遭遇することだってある。
能登半島で被災された方に想いを寄せながら、地震への備えを今一度心に刻んだ正月となった。

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