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ココ デハナイ ドコカep.2

自分が良かれと思ってしたことが、相手にとっては迷惑極まりないことだったのではないか、と後から思い返すことがある。
過ぎたことだし、忘れようと思っていても、頭の片隅に、浜に打ち上げられたどこの国のものかもわからない破れたビニール袋が砂に埋もれているのを見つけたときみたいな居心地の悪さが、いつまでも残る。

特に予定があったわけではないが、パソコン越しの空がどこまでも青く見えたので、急遽休みを取って近所を散策することにした。

芒種、まもなく梅雨入りとなるだろうことを予想しながら、つかの間の湿度の低いカラッとした青空の下を、日傘を差して歩く。時折吹く風が前髪を後ろになびかせると、「ハワイの椰子の木の下にいるみたい」などと思ってみたりする。ハワイだけでなく、南国の地に行ったのは10年以上前のことなのに、気持ちの良かった時の記憶というのも、居心地の悪さと同じくらい忘れないものなのだな、と妙に納得する。

気づけば、あの神社の鳥居の前に立っていた。

先月の豪雨の後、台風一過のごとく清々しい空気に包まれ散歩に出掛けたときに立ち寄った以来。
あの日は、参道の石畳の窪みに幾つか小さな水溜まりが残っていた。

足下を濡らさないように慎重に歩き、参拝後くるりと振り返り一礼をしたときに、ソレを見つけた。
地面に目をやったらソレがウネウネと動いていたので、見つけたというより、目が離せなくなった。強い陽射しの下で、水分のカケラも残っていないアスファルトの上に、みずみずしい皮膚を光らせたミミズが踊っていた。

生きているミミズを見たのは、何十年ぶりだろう。昨夜の豪雨で喜んで地上に這い出たところ、思いの外、早く快晴となり、近くの水分が蒸発した中、行き場を失くしてしまったかのように見えた。

死んで干からびたミミズは昔よく見かけたが、最近はその姿を見ることもなかった。そのミミズが私の前でぬらぬらとした体をうねらせながら「どこへ行ったら良いものか?」と頭をもたげているのだ。
見過ごすことなどできるわけなかった。

しゃがみこんで、近くの藪から小枝を拾い、ミミズの身体のちょうど真ん中あたりに枝を差し込むと、グイッと引き揚げた。一瞬、身体からキラキラとした液が地面との間に透明な糸を掛けた。

「どうしよう」

辺りを見回したが、炎天下の乾いた道路以外に、ミミズが好みそうな土のある場所は無かった。仕方なく慎重に神社の脇の藪まで行って、まだしっとりと濡れていそうな茶色の地面にそっと落とした。

「神様、私はミミズ助けをしました。どうか、この先よいことがありますように」

再び境内の方角に向かってペコリと頭を下げて、自身の善き行ないを、ちゃっかりと報告した。

気分良く帰ろうとした、その時、アスファルトの上を小さな黒の点々が列をなしているのを見つけた。

蟻だった。藪のほうに向かっていたので、慌てて小枝を落とした先を探した。ミミズの上に蟻が乗って、触覚を左右に振りつつ、仲間を呼んでいるかのように見えた。

「イケナイ、このままでは食べられてしまう…」

ミミズは肌色からオレンジがかった身体を左右にうねうねとさせながら、蟻を振り落とし、透明な糸を這わせつつ、アスファルトの道路へ移動しようとしていた。

土の地面から、アスファルトまで2メートル近くの距離があった。

もしかして…。

このミミズは藪の中から這い出て、蟻から逃れて鳥居の前まできたのに、運悪く、善い行ないをして自分の願いを叶えてもらおうだなんて邪な考えを持った人間に遭遇してしまい、再び振り出しに戻ってしまったことを嘆いているのではないか。

私はしばし逡巡した。

どうすべきか。
何をしても、このミミズは死から逃れられない。(ようにその時、私は感じた)

アスファルトに戻したら、人に踏まれるか、干からびるのは時間の問題だろう。

土の地面に置いたら、蟻の連中から囲まれて、すぐに巣に持っていかれて食べられるだろう。

折衷案として、藪のなかの土から離れた枯葉の重なりの上に置いた。
ここなら、身体がすぐ乾くこともないし、葉の間に身を隠すこともできる。(隠す習性があるのかどうかは知らないが)

やれやれ、これ以上は私にはどうしようもできない。そんなことを独言ながら、神社を後にした。

ココデハナイ ドコカで生きていてくれることを願いながら。

そして今月、鳥居の前でしゃがみこみ、ミミズがいないか辺りを探した。

見つかるはずもない。
見つからなくていい。
ひとまず、干からびたソレを目にしなかったことに、安堵した。

それからである。

「良かれ」と行動する前に、一呼吸置いて考えるようになったのは。

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