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婚活敗北おじさんの叫び


以前よりも暇が減って、Twitterを見る時間もまた少なくなってきたが、ネットのあちこちにいるTwitter婚活敗北おじさんの怨嗟だけは週1ペースで流れてくる気がする。

フォロー範囲は全く変わっていないはずだが、1.2年前よりも遥かに多くの婚活敗北おじさんの怨嗟が流れてくる。
追いかけているわけでも、反応をしているわけでもないのに。
Twitterのアルゴリズムが大きく変わった影響だろうか。
広告形態の変化で、以前よりもマッチングアプリが前面に押し出されるようになった結果、各々が本人でも気付かぬうちに焦り始めたのだろうか。これらは遅効毒だ。
やらずに後悔するよりやって後悔する。といった挑戦型思考は誇るべき事だと思う。進めば2つ。


男性が傷付いた婚活話。女性が傷付いた婚活話。それらを聞くとどちらかに肩入れしたくなるのが心理だと感じているが、あくまで自由恋愛市場の中に身を投じた事で起きた案件だという点は常に念頭に置いておきたい。
ただ、安易にお互い様とも声をかけ難い。
未婚の自分はこれに関して上から物を語れる立場ではないが。いや本当に。


"空回りする弱者男性"こと、婚活敗北おじさんという立場の発信が、これほどまでに拡散されやすいのは、未婚男性が同調しやすい対象であり、未婚女性が苦言を呈しやすい対象でもあり、既婚両性が優越を感じやすい対象だからなのかもしれない。


そもそも、Twitterと婚活は少し相性が悪いようにも感じる。
じゃあ相性が良いものってなんだよという話ではあるし、見合いやマッチングアプリ、婚活パーティ等もそれぞれ違ったメリットとデメリットが存在するだけの問題だと思うけども。

価値観の合う相手を見つける目的においてTwitterは最上のツールに思えるが、あまりにも双方の思想やプライベートが明け透けになってしまっている点は無視できない。
過去ツイートなどを検索しようものなら、未成年飲酒イキリ、万引き自慢、経験人数自慢、性癖、元恋人のエピソード、差別発言。
探そうと思えばなんでも出てきてしまう。犯罪行為はしていないとはいえ、このnoteもそうなるだろう。

異性のことを「女」「男」と呼んでいる様子も探せるので地雷チェッカーとしてTwitterは有効か。
異性のことを「女」「男」と呼んだ数だけ人は罪を重ねるらしい。(これは婚活市場に限らない)
肉食生物の飼育で人一倍殺生の罪を重ねているはずのトモロウだが、「女」と呼ぶケースはかなり稀で、BLEACHの雛森桃を「おもしれー女」、たまごっちのゲームの主人公を「たまごっちの女」と呼ぶくらいなのだと先程知った。何故。
後者は墓地で採集を行った際に見つけたもの。フォロワーから「たまごっちの女」だと同定していただいた。
「たまごっちの女」て。

※現在、無料期間は終わっています


そういえば、小学生の頃から基本は「女性」と呼んでいた。クラスメートは「女子」で固定だったが。
幼い頃から厳格な社交場への出席が多かったからかもしれないし、そう呼ぶ事で特に不和が起きなかったからかもしれない。
いつの間にか紳士淑女達に嗜みを教えられていたというのは大いにありえる。
「男」「女」が出てくる会話の多くは、学術的なものでなければ乱暴な断言の話だったり、分断的な話だったりもする。それらは意図的に避けていた。
その理由は何故だろう。品位を感じなかったから?
そのうち、もう少し掘り下げておきたい。







Twitterは日常的な呟きの中から「あ、ちょっと嫌だな」と感じる発言も目に付きやすい、非常に。
同級生や同僚、隣人よりもはるかに価値観の違いが目に付きやすい。
交際中の相手ならば双方の意見を交換して擦り合わせが行われていくが、フォロワーというネット隣人にそれを行うのは厚かましすぎる。


思想を"徒然なるままに"開陳してしまうnoteもまた、婚活とは相性が悪いように感じる。(そもそもその方面では婚活の経過報告ツールとしての使われ方が主な気はする)

たとえ婚活に興味が無いとしても、少なくとも思想開陳型noteは"モテない"の道を突き進むとは思う。
更新の数が増える度に、知りたくないor相容れない思想とぶつかってしまう確率が上がるから。どう考えても。




「いや(笑)。自分、モテたくてやってるわけじゃないんで(笑)」



という、バンドマンの言い訳をコピペしたような弁明と弱者男性短歌を書いて今日は締めます。



いずれ自分もそこへ行くだろう。





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