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価値観合い女(んにょ)、欲しいンゴ‼️😁



以前書いた記事が毎日数十人から見られており、記事への反応の通知も度々来る。
Twitter婚活のタグが付いているからだろう。
該当記事は最後にリンクを貼る。



note以外も含めたTwitter婚活の記事をいくつか覗くと「価値観の合う異性に出会いたい」という内容で埋め尽くされている。

「価値観の合う異性に出会いたい」
「そんな相手と結婚したい」

それらは、高望みと呼ばれてしまう場合もある高スペックな相手を求める目標から数段階下げた妥協的目標設定であるというのが一般的な世論だ。
当然の如く、その目標に向かって動く人達の言動や行動は千差万別で、妥協的目標だとしてもあらゆる努力を惜しまない人もいれば、妥協的であるが故にその目標が「あんな事いいな」「できたらいいな」「空を自由に飛びたいな」といった形を持たない夢物語や緩い空想と同列になんとなく語られているケースも多い。
特に後者は計画を立てる事や、傾向と対策を考察する事が苦手なのか、ただ悩むだけで終わってしまっている様に見えた人が散見された。
がむしゃらにバットの素振りだけをしながら「野球が上手くならない」と嘆く人の姿が重なった。
なるべくは、自分の欲求が「空想」なのか「明確な目標」なのかは早い段階で区切りをつけて話を進めておくべきだとは思う。

ただ、安易に自責論も持ち出せない。
生まれ持ったスペックが低いとどうしようもない部分は必ずある。
そもそも、「価値観」という概念自体が、ルックスや能力の評価によって外部から与えられ続けてきた刺激の集合体に過ぎないため、どれだけアップデートをしても頭打ちになる瞬間が来る。それが低い位置で終わってしまう場合もある。
それらの蓄積は、「価値観の合う相手」の多くが「同じレベルの人間」と評される事にも繋がってしまう。
本当に仕方のない話ではあるが。




冒頭で述べた「価値観の合う異性に出会いたい」と書かれた記事たちに再び目をやる。
何もおかしい事は書いていない、ほとんどの人類が抱える根源的かつ普遍的な欲求だ。
それなのに、浮浪者の住まいが並ぶ道を歩いている時と同じ心のざわめきを感じる。
そのざわめきの理由は、この人生において「いつ何時、自分がそこに居てもおかしくない」と感じているからなのだと思う。未来の自分を眺めているような感覚があるからなのだと思う。

その不安が明確に強まった時こそ、人が婚活のバトルフィールドに足を踏み入れる瞬間なのかもしれない。
その不安を埋められるものは、パートナーから得る安心しかないと身を以て知った瞬間なのかもしれない。

恐らくは、実際にその通りなのだろう。
いつかの日に、この記事を再び読み返せる自信がない。




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