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メリークリスマス・トモロウ
30日連続更新となりました。
意外とできるものですね。
苦しみながらも楽しんで続けられました。
少し前に竹内まりやの「すてきなホリデイ」を購入した。クリスマスシーズンのケンタッキーCMソングなので知らない人は本当に少ないはず。
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この曲は日本のクリスマスを代表する1つとなった。
自分はこれが好きだからわざわざ買っているが、本当に嫌いな人がそれなりの数いる事は想像に難くない。
CMで流れている部分だけならまだしも、フルで聴くと歌われているものがあまりにも「幸せたる家庭像」すぎて、嫌でも劣等感を刺激されてしまうだろうし、「生きる事とはこうであれ」と言われているような気さえしてしまうだろう。(2001年リリースなのでヒット曲のそうした空気感は当然だが)
以下に歌詞サイトを貼っておく。
自分がこの曲を好きな理由は本当に大した事がなくて、シーズン到来の風物詩になっているからというもの。
クリスマスに関する事はほぼ全て祭り事として楽しんでいるというだけの理由。
そんな自分でも、クリスマスにケンタッキーを食べる事はあまりない。
実家では毎年モスチキンだったし、恋人宅では毎回ターキーかチキンを丸鳥のまま焼いていた。
一度だけ食べた年があった気がするが、予約してても激混みするので近年は特にケンタッキーを避けているかもしれない。
でも普段はたまに食べるので許してほしい。あの空間とCMが好きだから。
・モスチキンは部位が単一なので公平な食べ物だ。
衣の質感も含めてケンタッキーより好きだと言う人もそれなりにいる。
スーパーやコンビニのチキンで済ませるのは、何か負けた気がする。
しかし、そこにしか無い風情があって負けを楽しめる気もするし、食べてみると実際に美味しかった。
これらはある種の逆張りだろうか。
・「クリスマスなのに◯◯をする。」という逆張りは、今や何処もガチガチに舗装されていて珍しくなくなっている。
歩道も車道も、ご親切にガードレールも設置されている。
もしくは、「クリスマスなのに◯◯」といったお題にそれぞれのアイデンティティを載せれば自動で運んでもらえる水平型エスカレーターかもしれない。
SNSの普及もあって、時代はここまで「逆張り」をテンプレートで舗装していて、「それもクリスマスの楽しみ方だよね」と勝手に包み込んでくる。
自分はそれも一つの乙だと感じているが、普通に不愉快な人の方が多いだろう。
逆張りする意味が無くなってしまう。
はみ出し者のクリスマス、今後はどうなっていくのだろう。
逆張りではなく、我が道を通すタイプの人はあまりそれらを気にせずに楽しんでいる印象だ。そうありたい。
・某日、前倒しで行ったクリスマスパーティのために10種類以上料理を作った。同時進行が忙しすぎて何を作ったのかは全然覚えていない。
共に楽しんだ人がSNSに写真を上げているのを見る、もしくは扱った食材に今後触れた瞬間にようやく思い出せるだろう。
ターキー(orチキン)の焼き方なんか分かんねぇよ…と言いながら、食材に手を触れると突如脳内で情報の洪水が起こったかのように過去の調理法を思い出す。
毎年これをやってる。いい加減普通に覚えていたい。
トイザらス日本1号店でのクリスマスの思い出記事も再掲しておきます。
どうか、良き1日を。
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