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「GIFTFUL」は贈り物への後悔や罪悪感を優しく包んでくれた

今日、GiftXがソーシャルギフト「GIFTFUL」をリリースした。このサービスを先行で利用させてもらって、ギフトを贈る・贈られる両方の体験をさせていただいた。贈った物も贈られた物もお酒という点に、自分の「らしさ」が出ているなと思う(笑)。

僕は贈り物が苦手だ。唯一欠かさずにいる贈り物は、実家の山形に帰省するとき、母へお菓子を買っていくことくらいだろう。元来面倒くさがりの僕にとって、贈り物をするというのはすさまじくハードルの高い行為なのだ。

そもそも、相手の好きなモノがよく分かっていない(いきなり理由がひどすぎる)。よしんば相手の好きなモノがなんとなくイメージできているとしても、自分が何を選べばいいのかすごく悩んでしまう。仮にお酒好きといったって、僕のお酒好きと相手のお酒好きの範囲が合っているのか分からない。

こうしたハードルを乗り越えたとしても、買った後にメッセージを添えたり、郵送先の住所を調べたり、相手に贈り物を届けるための日取りを考えたりと、やるべきことはたくさんある。

いざ贈り物をするという時、それが相手に喜ばれるかという不安が、渡す直前まで続く。食べ物じゃなくて手元に残る贈り物だったとしたら、ずっとその家で使ってもらえるかも心配だ。いや、邪魔なら全然捨ててもらってもいいのだけど、そうすると「せっかくもらったものを捨ててしまった」という相手の後悔を生んでしまうかも。

とまあ、言い訳がましいことをたくさん書いてはいるものの、結局は贈り物にまつわる面倒くささに勝てず、36歳になってしまった。

こんなことをダラダラ書いておきながら、贈り物をしたい気持ちはちゃんとあるのだ。日々の感謝を伝えたい、人生の節目や門出を祝いたい。コロナ禍で会う頻度がガクっと落ちた人への想いを、贈り物という形で表現したい。でも、どうしても面倒くさくてできずにいた。

そんな時、GiftXがリリースする「GIFTFUL」を先行利用する機会をいただいて、共同創業者のいいたかさんからのギフトをいただいた。もらったのは、僕の大好きなビールだ。Far Yeast Brewingの、和の食卓に映えるというコンセプトのビール「馨和 KAGUA」。ちなみに今、こちらを飲みながらnoteを書いている。

画像左の「Saison」が特に好き

ギフトを選択するとリンクが発行されて、それを相手に送る。リンク先では商品と一緒にギフトカードも付いていて、相手からのメッセージが読める。これがとても嬉しい。まじりっけなしのいいたかさんからの感謝の言葉を、5分くらいずっと眺めて胸がいっぱいになった。

贈られたギフトカードは、アカウントを作るとマイページで履歴からいつでも見ることができる。今も仕事に疲れると、いいたかさんからのメッセージカードを読んでニヤニヤしている。少しキモイかもしれない。

贈られた商品に対して、住所を入力するのは受け取り手だ。こちらが相手の所在を知らなくていい。LINEでリンクを送るだけでいいから、すさまじく楽ちんだ。

そして、相手はリンク先のギフトを見て、(選んだギフトの価格内で)商品を自由に「選び直せる」。僕はこの機能に感動した。

何が感動したって、こっちが選んだ物を相手が渋々受け取る必要がないという点だ。ビール好きにビールを贈って、そのまま受理されたら嬉しいし、今はそういう気分じゃないからと、まったく別の物が選ばれてもいい。

選択権はあくまで受け取る側にあり、向こうが本当に欲しい物を選べるという点に、すごく安心感を覚えた。だって、こちらからのギフトに対して、相手は本当に欲しいものを選んでくれたのだから。こっちが考えた贈り物を、相手はなかば押し付けられるように受け取らなくていいのだから。

選び直しをしたら贈る側にも通知があるのだけれど、それも面白いと思った。僕は友達にビールを贈って、彼はそのまま受け取ってくれたが、別の商品を選んだ場合、そこからいろんなコミュニケーションが生まれると感じたから。

もしもビールではなくブランド豚のセットを選んだのなら、「酒より肉か!」と冗談交じりの会話ができるかもしれない。スイーツを選んだら家族で食べるのかと想像し、いいなあと思うかもしれない(友達は既婚者で、僕は独身だ。独身だ)

この「選び直し」という機能が、僕が人に物を贈れなかった原因の大部分を解決してしまったのだ。ギフトを贈る・受け取るという一連の行為が、ものすごく便利になったと感じた。

一方で、「GIFTFUL」はこうした贈り物の悩みを解決して、便利さをプラスしているだけではない。贈り物を相手が選び直せるだけなら、カタログギフトでもいいし、そっちのほうが楽ちんかもしれない。でも「GIFTFUL」は、「こっちで相手のことを思ってギフトを考える」という、ひと手間の手順をユーザーに踏ませる。いや、あえてこうしたひと手間を残していると言っていいかもしれない。

このひと手間に、贈り物でこちらが伝えたい感謝、親愛の情、友好の証といったもろもろの感情をこめられるのだ。

ギフトカードを書くのだってそうだ。手書きではないけれど、相手を思いメッセージをしたためるというのは、LINEなどのチャットとは違う緊張感がある。どんなことを書こうか悩む時間は、ギフトを贈る相手のことだけを考えている。その時間を確保するということ自体が、とてつもなく特別で得がたいものだと感じた。

デジタルで行われるひと手間は、長らく僕が「贈り物」という行為に対して行っていた言い訳や、そこはかとなく抱いていた後悔・罪悪感のような想いを、優しく包んでくれているように感じた。

贈る・贈られるという体験が僕のなかでアップデートされたおかげで、気づけば「GIFTFUL」で贈り物をしたい人のリストが出来上がっていた。GWは破産しない程度に、いろんな人に贈り物ラッシュをしようと思う。まずは母親にスイーツを贈ろう。デジタルがとんと苦手な人なので、一緒に会話しながら商品を選んでもらおうと思う。そう考えると、休日が楽しくなってきた。

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