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塩 適量1

レシピ本の「塩 適量」あれは大変な課題だ。多少の差で味の振り幅が大きく変わってしまうであろう塩加減、各自に任せすぎだ。

私の場合、作るものが大抵「薄味」である。薄味が好きなところもあるけれど、基本的にビビりな性格というところにも関係するとは思う。
よく旦那は「もう少し濃くてもいいかなぁ」と優しく軌道修正をかけてくれてはいた。恐らく私の塩の味付けはどこか遠ーくの蜃気楼を見ているような掴みづらいものだと思う。

薄々わかっていながらもビビりな私は、やはり少しずつしか塩は足せず、仕舞いには「料理はあったかいうちに!新鮮なうちに!」という私の中での美味しさ優先順位から味付けは半ば途中で終了する。

ただそんな私が薄味脱出を目標にトライした日、味付けではないサブポイントでの「塩加減」でも結果出し抜かれてしまう。

ブリの照り焼き。塩をまぶして30分漬け込み、水で洗い流した後、調理するというもの。塩をまぶすことで、魚の生臭さが消えて照り焼きのタレも混ざりやすくなるとのことだったが、このまぶした量がよくなかったのだろう。出来上がりはベースの塩気がずっとついてくるような味だった。ここに塩がいる、いや気にならないだろう、いややっぱりいる、を繰り返しながら完食した。
ブリに満遍なく塩をまぶしてあげよう、臭みをとってあげよう、という珍しい私の親切心がお節介という形だったのだろうか。

確かに私はたまにやらないことをやるといつも裏目に出る。
朝早く出社しセコムを呼んでしまう。親切心で職場の先輩のゴミを捨ててあげたとき、持ち主の大切にストックしていたゴミ袋を捨てしまう。意を決したメールの文末に「宜しくお願いします 宜しくお願いします」と2度打つ。

そして、そもそもだが私には塩の持つ力が見えていない。気を利かせたつもりが、小さなこいつらからは「チガウヨー」とお言葉がある。塩の持つ力を見なければ。