見出し画像

篠崎誠監督特集@アテネ・フランセ文化センター 2/5(土) 新しい物語と続く物語。

篠崎誠監督の新作短編が上映されるうえに
「共想」と「SHARING」も再上映!
ということで、コロナ大暴走のなか、こっそり観に行ってきました。

画像1

画像2

--------------------------------------------------------------------------------------

新作短編映画。

「きみの面影をいまだ夢みる」
(I’m still dreaming of your face 改題)

篠崎誠監督は『死を書いて生を撮る』
そんな方のように思えました。
そしてこの新作短編は、観る人それぞれに渡された
『自分のための物語』のような気がしました。

11分の作品の内容を、詳細に語るわけにはいかないので
代わりに自分語りをさせていただきます。

今年の1月1日に、ミュージシャンのF氏が急逝されたと
1月5日に知りました。51歳でした。
ザックリと目の前が遮断されて真っ黒になったような衝撃でした。
じっさいには、数年前から脳内の深刻な病気を抱えていて
それを少数にしか話さず活動を続けていたのだそうです。


わたしは四国から東京へと引っ越せるようになったとき、ダラダラして
すぐやらない気がしたので「F氏の東京のライヴの日までに東京に住む」
という目標を立てて、奮闘して、それを実現させました。
F氏は、わたしにとっての『始まりの日』でもあるのです。
京都へと活動の拠点を移しても、京都へとライヴを観に行きました。

F氏は音楽だけでなく、ツイッターを毎日していたので
もはや『自分の日々のなかにすっぽりとおさまっている人』でした。

「おはようさん」そしてコミカルな文面が、早朝の4時とかに
ツイートされる。それをみて癒される。
こちらが逆に夜更かしで起きていたので
「Fさんが起きた、え、もうそんな時間?そろそろ寝なきゃ」とか。
そういう日常が続いていました。ずっと、ずっと。

彼の遺した音楽は不変です。
だけど......もう「おはよう」は、言ってくれない。みれない......。
そのことにも、まだ心の整理がついていません。
コロナ鬱も冬鬱もあるのでしょうが、食べ物をうまく消化できず
体重が3キロ落ちました。

アテネ・フランセ文化センター内で、開場待ちしていたときも
「わたしはまだFさんのことで、ショックを受けたままなんだろうな......」
そんなことを考えていました。


そこへ、この短編です。
『1ヶ月が経ったね、待ってたよ』
映画そのものに、そう言われたような気持ちでした。

敢えて聞き取り辛くしている朗読の言葉、ひとつひとつが
むしろ、わたしへと向かってくるようでした。
すべてが自分に言われているようでした。

だけどそれは『わたしにとって』であり、
観る人それぞれが、それぞれの想いを誰かを
思い浮かべるのだと思えました。

『それで良し』なのです。


--------------------------------------------------------------------------------------

「共想」

観るたびに観点が変わります。
一度も同じように感じたことがないです。

このところ迷い続ける日々なので......。
( 自分は生きる価値もない人間だと思い詰めるほど )
善美と演劇講師の先生との会話が、以前より身に染みたり。
そして作中の詩の『今夜のお祭り』が、死者を見送るような......。
数えきれないほどの人々の行列の魂の灯りをみているような......。
そんな気がしました。 

現在「銀河鉄道の夜」を、モチーフにして創作しているのですが
あのお話しは『友達とお別れするための旅』です。
「共想」は『友達と再会するための旅』なのではないかな?
そんな気がしました。


--------------------------------------------------------------------------------------

「SHARING」

いまわたしたちは『大災害における人の心の変動』
そのなかで闘っている......。
それを深く考える時間ともなりました。
そして新作の短編を観た後だったからこそ、
亡くした者との距離が、やりきれなさが、
更なる誠実さを増して迫ってきました。

わたしたちは震災後であり、同時に震災前を、常に生きている。
それとはまた違った、世界中にあふれる大災害と闘う日々で
映画を観ることさえ命がけです。
※これから2週間、クラスターにならないようにと
懸命に対策して生きる覚悟で観に行きました。

そういうときだからこそ、観れてよかったとも言えます。


--------------------------------------------------------------------------------------

今回のイベントは、短編映画の作中の桜から「SHARING」の桜へと
終わっていきました。

満開の桜というのは年に一度で。
それって1年ぐるりと回ったということで。

桜が見れるって『1年、生きれた。生き抜けた。まだ生きてる』
そういう『目印』なんじゃないかな?って、感じられました。

桜が咲くころ、わたしは、世界は、どうなってるんだろう?

それは、そのときがこなければわかりません。
だからいまは.....
『それで良し』です。


--------------------------------------------------------------------------------------

宇多田ヒカルさん「桜流し」を聴きながら。
2022年2月8日......はや

画像3