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器用貧乏の呪縛

私、基本どんなことも”それなりに”できるんです。

負けず嫌い精神がすごくて、自分ができないものは悔しくて死ぬ気で努力して、何とか人並みにできるようにしてきた。

そんな子供時代を過ごしてきたから、最初は穴ぼこだらけの不器用人間だったけど、大人になった今、なんでもそれなりにそつなくこなせる器用人間になってきたんです。

そう聞くと、なんだか聞こえがいいでしょ?
むしろ「なんだよ自慢かよ」って思うでしょ?

でも、実は今の私はこの自分の「器用さ」に、割と深刻に悩んでるのよ。
器用さというより、「器用貧乏さ」かな。

なんでも8割をたたき出せる。
そっちの方が、なにかと評価されやすいじゃない。

だからそれに順応できるようにいろんな力をつけて、そつなくそれっぽくなんでもできるようにしてきた。

でも、その代わりに尖っているところがないのよ。

がむしゃらに何かに向き合ったり、全力でぶつかったり、そういうのって効率よく生きるためのノイズになるから、なるべくぶつからないように、失敗しないように、うま~く生きてる。

そんな自分に気づいて、かなり戸惑ってるのよね。

というのも、私、大学時代はかなり(痛いほど)尖ってたというか、効率も世間体も何も気にしてなくて、傷つくことも笑われることも恐れずに、夢中になってやりたいことに向かってたのよ。

自分に不向きだと思うものは全部切り捨てて、自分に向いてるところに特化した人間になってた。
(だから大学を退学しかけたりもしたんですよね。。大学は自分にとって邪魔だと本気で思っていたハタチの夏。。)

でもね。
社会に出て1年半たって、どんどん自分のその尖っている部分が摩擦でこすられていって、まんまるになって、無個性人間になっちゃってる気がするんです。

なんでもそれなりにできる、けど、これといった強みがない、面白みがない人間。代替可能な人間。

自分をたまにそんな風に感じるのよ。
今の自分、なんだか機械みたいだなって。

自分の好きな土地に住めて、初めての一人暮らしですごい自由な生活できて、友達ともたくさん遊んで、仕事も去年と比べるとストレス少なめで、お金はあんまないけどまぁ暮らしていけるレベルではある。

客観的に見たら自分はすごく幸せだし、主観的に見ても自分はそれなりに幸せなはずなのに、なんか、満たされない。

これでいいの?
ってずっと思ってる。

たぶんそれは、高校大学で、傷だらけになりながらがむしゃらに走ってきた自分がどこかで「自分の理想形」だと思ってるところがあるからなんだと思うのよね。

まぁでも、高校とか大学とかって、短距離走な日々だったから、とにかく無我夢中に走ってぶつかって傷ついて生きてて、それで楽しかったんだけど、でも社会って長距離走だから、そんなことしてたら身が持たないよね。そんなのはわかってるんだけど。

でも、そうやって「そんなもんだよね、社会って」って、社会になじもうとしてる自分に、内側の過激で武闘派な自分が、「ダメだよ!!身を滅ぼすまでがむしゃらに生きるのがワタシでしょ!!」って小さく叫んでるのよ。

社会は長距離走だとか、そんな一般論くそくらえ!!
もう無理!ってなるまで全力で短距離で走り続ければいいじゃない!

私がそつなくうま~く生きてけば生きてくほど、こうやって武闘派なワタシが抗議してくる感じがします(笑)

もちろん、そつなく器用に生きていくことは、自分が24年間死ぬほど努力して勝ち取った能力だと思ってるから、全然それ自体が悪いこととは思ってないんだけど。

でも、今の環境が、そつなく器用に生きることが評価されずに、むしろ否定されることが多いこともあって、なんだか自分の器用貧乏さに自信を無くしてしまっているんですね。


そんなこんなで、自分の器用貧乏でそれなりな毎日に悶々としているときに見つけた記事がこれ。

この記事、まじで電撃が走るレベルに自分にぶっ刺さりました。

上手に回避してそれなりに幸せを感じるんだけど、あなたの情熱が『なんか違う!!』と叫ぶわけ。

情熱の女は“それなり”なんかじゃ満足しないんですよ。

80点じゃダメなわけ。100点じゃなきゃイヤなのよ。

器用さも情熱もコミュ力の高さもあなたが女性性がめちゃくちゃ豊かなことを示してるんだけど、だからこそ、もっと本気で生きたい!もっと情熱的に生きたい!って根っこでは望んでるわけ。

でも、その一方で、今まで回避してきた傷がいろいろあるとさ、やっぱり触れたくないところがいろいろあるし、本気で生きるなら向き合わんきゃいけないことがあるし、でも、今更感もあるし、上手に隠してるからどこに傷があるかも分かんないし、そこでどうしていいのか分かんなくなるのよね。

器用さで問題を回避し、情熱がそれを快く思ってない、っていう長所がぶつかっちゃってる感じかなあ。

だから、なんかモヤモヤするんだと思うんよね。
https://nemotohiroyuki.jp/everyday-psychology/44144
要するにですね、、、その人が100%自分を出して生きられる人生ってのをずーっと考えてるんです。

“それなりに幸せ”で満足できないってことは“それなり”は嫌いな人なんです。

だから、もっと本気でもっと情熱を燃やせる生き方を望んでいらっしゃるわけで、長所である器用さをそこに活かすにはどうしたらいいのか?を考えるんです。

でも、器用なゆえに過去の傷を回避するだけでなく、その傷が邪魔してチャレンジすることを邪魔しているのです。
https://nemotohiroyuki.jp/everyday-psychology/44144

はい。おっしゃる通りでございます^_^

私、「それなり」って言葉キライなの!
現状に満足したことなんて一度もない!
100点取るために誰よりも努力してきた人間なの!

だけど、いつの間にか、全教科8割で満足してるワタシ。
つまらない、無個性な、透明な、代替可能なワタシ。
ハァ~~~~~~~。

毎年誕生日が来るたびに抱負を掲げてて、21歳の自分(人生で3番目に生き生きしてた時)は、「現実に流されない!」って言ってたの。

これから就活が始まる年になるけど、ぜったい現実になんか流されないもんね!私はいつまでも夢を追って、理想を現実にしてやるんだ!!

本気でそう思って、がむしゃらにやりたいことやりまくってた。

だけど、今はどうだろう。
「それなり」というぬるま湯につかって生きてる気がしてる。

かつて天才だった俺たちへ
神童だった貴方へ
似たような形に整えられて
見る影も無い
Creepy Nuts「かつて天才だった俺たちへ」

この歌詞が痛いほど染み渡る。

昔は無敵で最強で天才だったはずの自分が、似たような形に整えられて、無個性になってる。

そんな自分が、そんな毎日が、ひどくつまらないんだけど、でも新しい何かを始める元気もない。

社会に出てから約500日。ずっとそんな悶々とした日々を過ごしています。

いい加減ぬけださなきゃいけないね。

そのためには、一回どーんと海外でも行って「やっべーーーーーワクワクするぅぅぅぅ」っていう劇薬級の刺激を受けなきゃいけないかも。。

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