大人なんていないはなし


ひええ、おひさしぶりです

せめて月1では更新しようと思いつつ、気づけば8月になっていました


けど、私にとって実は更新頻度が下がることはいいことだということに気づいたんだよね(笑)

というのも、わたしはどうやらストレスを感じて心がもやもやしてる時にnoteを言語化用に書く習性があるみたいで、なので書いていないってことはストレスがないってことなんですね、幸。


実際この2か月は自分の時間をしっかりとって自分と向き合って自分を大切にして、すごくストレスフリーに過ごすことができてました

とはいえ、かなり忙しく怒涛の2か月を生きてきたのですが、今回はやっと時間ができたので、ずっと書きたかったことを書こうと思います。


わたくし先日、22歳の誕生日を迎えたんです。おめでたい^_^


そこでね、わたし、思ったんです。

「大人なんていないんだなぁ」と。笑


22歳って、大人じゃないですかもう。

少なくとも小さいときに考えていた「22歳」はめっちゃ大人だった。


でも、今実際自分はその22歳になったわけです。

で、私はここ数年で自分の精神年齢と実年齢が追い付いたとは思っているんだけど、自分が「大人」だ、という実感はまだあまりないんだよね


もちろん社会に出ればそれなりに「大人」って実感とか自覚は沸くのかもしれないけど、でも結局のところ自分が思う「大人」になれることなんてないんじゃないかな、って思ったんです


つまり、「大人」って子供の時に自分たちが作った幻想なんじゃないか、って思ったんだよね


ほんとは大人なんてものは存在しなくて、年を重ねても自分のいたらないところは消えなくて、そのいたらないところを自覚するたびに「自分はまだまだ子供だな」とおもう。


人間そうやって、だれもなり得ない「大人」っていう見えない虚像に自分を当てはめようとしてるだけなんじゃないかなぁ、なんて感じたのよ


どんなに外面がよくてスマートに見える人でも、家ではわがまま放題だとか、

どんなに口先ではすごそうなことを言ってても、中身が全然伴ってないとか、

そんな人ばっかじゃん、むしろ(笑)


そういう「大人」の仮面をかぶった人が社会を回してる

ほんとは大人じゃないのに、社会的に「大人」と定義づけられてしまった人が、大人としてふるまって、社会を動かしてる


そう思うと、社会ってめっちゃもろいなぁって思うのよ


子供の時は、「大人」が絶対で、絶対正しくて、間違えないものだと思ってた


けどそんなの幻想で、大人と言われる年齢になった今わかるけど、大人だってめちゃくちゃ間違えるし、なんなら大人の方がひん曲がった間違い侵しがちなのよ


だからね、なにかに身をゆだねるのって、めっちゃ危ないなって思った


大人に見える人とか、企業とか団体とか、そういうのだけに身をゆだねて、頼って、自分の人生をそこに預けることがすごい怖いことに思えてきたのよ


だって、だれも「正解」なんてわからないし、みんな人生一回目の大人赤ちゃんのくせに、大人ぶって偉そうに正しそうなこと言ってるだけなんだもん


結局は、信じられるものは自分しかなくて、自分が安心できる確固たる軸がないと、「大人」のお面をかぶった大人じゃない人たちに流されちゃうんだろうなって思った


なのでね、22歳は、自分でちゃんと考えて、自分の手で自分の人生をちゃんと作っていきたいなって思います


大人なんていないってことに気づくと、社会の見方が大きく変わるね

結局頼れる何でも知ってる大人なんていないんだから、自分で自分を安心させていけるくらいの力をつけていかないとなって思った


1人じゃ生きてけないけど、1人でも生きてけるくらい実のある人間にならないと、たぶん「大人」の虚像に裏切られて人生詰むなと思ったので、いろいろ頑張ってみます

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?