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”受けいれる”と”甘やかす”は違う

わたし、自分に厳しく、人にも厳しいタイプの人間なんです。

これまでの人生、できないこととか苦手なことがあれば、それをできるようにするためにたっくさん努力してきたので、基本的に「努力すればだれでもそれなりにできるようになる」って思ってるし、「できるできないじゃなくて、結局やるかやらないかだろ!」と思ってる熱血タイプなんですよねぇ^_^笑

「できませんでした」とか言われると「甘えだろ!やろうと思えばやれるだろ!」って思っちゃうし、「もともとできる人は良いね~」とか言われると「は??裏で死ぬほど努力してんだわ!元々できるみたいな言い方するな!!」とか思っちゃうんですよ(怖)

そんな人間なので、サボっちゃう人とかの気持ちはよく分からないし、期限守れない人とか約束守れない人とかには割と厳しい態度をとることも多かったわけです。

でもね。24年生きてきて気づいたんですよ。
厳しく言って改善される人なんていない、ということに(笑)

むしろ、穏やかな態度で対応したほうが、結局取り組んでくれたりするのよね。まさに北風と太陽。。

「やらなかった」という事実に対して頭ごなしに怒るんじゃなくて、相手と丁寧なコミュニケーションをとりながら「なんでできなかったのか」「どうすればできるようになるか」を一つ一つ解決していって、歩幅を合わせながら前向きに進んでいけるようにするのが、結局一番いい結果につながることが多いな、と気づいてきました。

それを実体験として気づくことが増えてから、怒る前にまずは一呼吸おいて、相手を理解しようとするコミュニケーションをするようにしています。

あと、「やらない・できない」ことを「ただの怠惰」として決めつけちゃダメなんだなというのも気づきもあったり。

「生まれつき怠惰な人間」ってきっとそんないなくて、何するにもみんな最初はそれなりに熱意とかを持って入ってきてるわけで、そんな中でモチベが下がって頑張れない・サボっちゃうっていうのは、その本人の性格的要因だけじゃなくて、環境要因も少なからずあるはずで。

(例えば入社するときはやる気に満ち溢れて入ってきたけど、入ってみたら叱られてばかりでやる気を失って、仕事をさぼるようになってしまった…とかってよくあると思うんですけど、その場合は、「叱られてばかりの職場」という環境要因を解決せずに本人を叱ったところで、根本的な解決にはならないなと思うようになったわけです。)

本人を怠惰にさせてしまってる要因を探って理解して取り除いていかない限り、その人を責め続けても結局何も変わらないどころか、むしろ責められた人はどんどんふさぎ込んで頑張れなくなっちゃうんだろな、と思うようになったんですね。

自分の価値観だけで「この人は怠惰な人間!」と決めつけて否定しちゃうのは、自分にとっても相手にとってもいいことないから、ちゃんとその相手について理解することを怠っちゃだめだなと思い始めたわけです。

とはいえ、もちろん自分の余裕がないときは、イラっときてしまう時も多いんだけど(笑)、でも結局イラっとした態度をとるとめちゃくちゃ自己嫌悪に陥るから、やっぱり自分のためにも、イラっとした気持ちを感じたら一呼吸おいて、”イラ”を治めてからコミュニケーションをとることが大切ですよね。

なんかこれまで私は、こうやってサボっちゃう人を受け入れるような態度って、「甘やかす」ことになるんじゃないか、ってずっと思ってたのよ。

どんな事情であれ「サボってる」という事実は確かにあって、他の人もみんないろんな事情がある中でちゃんと真面目にやってるんだから、それを許して甘やかしたら、その人にとってもいいことなくない?って思ってたのよね。

で、今もそれは基本的に間違ってないと思う(真面目にやってる人が報われるべきだと思ってるのは変わらない)んだけど、でも最近は、「受け入れると甘やかすは違うな」ということにも気づいてきたんですね。

「受け入れる」というのは、「サボるのもしゃーないよね!OK!」ってことじゃなくて、「なぜサボっちゃうのか」を一緒にコミュニケーションとりながら見つけていって、相手のこと自体をよく理解したうえで、解決方法を探していく過程を意味するんだなと思ったわけよ。

「サボった」という結果を受け入れるんじゃなくて、「なぜサボってしまったのか」の過程を考えながら、その人自身を受け入れることが大切、というか。。

むしろ「サボった」という結果を頭ごなしに怒って否定することの方が、甘やかしてるのかもしれないな、って思ったりもする。

そうすると、「怒られるだけで済む」「怒られるのを我慢すれば済む」っていう学習をしちゃって、「ちゃんと頑張る」ことから逃げ続けちゃう人もいるんだなってことに気づいたんですよね。

だから、まぁ面倒ではあるけど、逐一その人に向き合っていく過程というのは、特に自分が組織の中心になるときは大切にしていかなきゃな、と思うようになったんです。

「ダメ!」じゃなくて「どうすればいいかな?」を壁打ちしながら一緒に考えていくことが、結局はその人にとっても、自分にとっても、組織全体にとってもポジティブな結果になると思えるようになりました。

私は他人の内側の深い部分とかに正直あんまり関心が持てなくて、その人自身を掘り下げていくコミュニケーションとか得意じゃないのよ。

実際、そうやって人の内側に向き合うときって、その過程で傷ついたりすることもあるから、できることなら浅瀬でちゃぷちゃぷ生きていきたいタイプの人間なんだけど(笑)

でも、それを恐れている限りは、ちゃんと組織を活性化させるリーダーにはなれないな、と最近思っています。

もちろんすぐに人の心にズカズカ踏み入ってくるようなコミュニケーションをしてくる人は私も苦手だし、決してそうはなりたくないけど、でももう少し相手の内側に興味をもって、なにかあればその部分を見せてもらえるくらいの信頼関係を普段から築けるようにはしときたいなと思うわけです。

特に子どもとか若者にはそういう向き合い方をしたいなと思いますね。
頭ごなしに否定するんじゃなくて、「なぜか」を一緒にゆっくり紐解いていくコミュニケーションを怠らないようにしたい。

大人になればもう自己責任だし、割と結果が全てだからそれはそれでいいけど、子どもはまだ「サボっちゃう自分」に慣れちゃうには早すぎるし、それで怒られてただただ自己肯定感が下がる、みたいなのは本当によくないと思うから。

逃げずに丁寧なコミュニケーションを重ねて、相手を「受け入れる」ってことを今後もちゃんと続けていきたいなと思いますね。

私、人とのコミュニケーションは得意な方だと自負しているのよ。誰とでも話せるし、人前で話すのも好きだし。

でも、カウンセリングとかコーチングみたいな形での深いコミュニケーションは経験も浅いし苦手意識が強いから、そこもちゃんと磨いていけたらコミュニケーション力は格段にアップするよな~と感じているので、2023は相手を理解するコミュニケーションを頑張ろうと思います(^^)v

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