つくる、つながる、つづく。

「はーい、ではチェックインはじめましょう」

あるときは夕暮れ、あるときは陽の降り注ぐ午前10時、はたまたほっと一息つく夕食後のひととき。パソコンを開くと、そこには「食」でつながった、まだ見ぬ仲間の笑顔があふれている。チェックイン=互いの簡単な自己紹介をしながら、今日もわくわくする時間がはじまる。

自粛期間で一気に増えたオンラインコンテンツの中で、ご縁あってご紹介いただいたオンライン料理会がたまらなく楽しい。つくるメニューはその時々のリクエストに応じて、皮からつくる餃子であったり、スコーンだったり、はたまた本格四川麻婆豆腐にチャレンジ、なんていう日もある。講師役の食のプロがいる時もあれば、そのメニューがたまらなく好き、という有志によるレクチャー、さらにお題のメニューをそれぞれが黙々とつくる「自主練」の回も。

お膳立てされた料理教室とは異なり、進行はその場の流れに応じて運営メンバーを中心に行う。メンバーの多くは仕事を持ち、プライベートな時間の中で企画を立て、レシピを作り、イベントをアナウンスしてくださる。参加者も慌ただしい日常の合間の参加、調理中の材料が欠けている、調理器具が足りない、なんてコメントもしょっちゅうで、その度に誰かがその問いに答えて会話がつづいてゆく。

「正解はないから」

この会でよく聞く、この言葉が大好きだ。

初回こそ几帳面に材料と調理器具を揃えてのぞんだけれど、2回目以降は「なんとかなる」という漠然とした、でも揺らぎようのない安心感をもって参加できるのが、この会のすごいところ。どんな意見もアイデアも否定しないことから生まれる話の広がりが、なんて面白いんだろうと気づかされる。

たとえば。

梅酒づくりをしたいね、という話がどうせなら休耕地になっている農園の梅を購入して支援しては、とのアイデアにつながる。誰かが、休耕地ってどうして問題なの?と疑問を呈すれば、休耕地がうむ野生生物の被害、地域経済への影響を丁寧に解説してくれる人がいる。梅を買って、梅仕事をする(←わたしはここから参加)ただそれだけの行為が、もしかしたら、ほんのわずかでもどこかのだれかの助けになるかもしれない。他にも方法はないだろうか、それぞれが考え始める。(詳しくはこちら

別の会では、ピタパンをこねながら、生地の厚さは何ミリがベストかを真剣に議論する。結論が出ないときは、実験だ、とばかりにさまざまな厚さの生地を焼き比べて実況中継してくれるツワモノがいる。では私は冷凍保存が美味しくできるかやってみる、と挙手する人がいて、後日その結果がグループでシェアされていく。

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このつながって、つづいていく感じ。これがたまらなく面白い。

つくる、つながる、つづく。

ここで生まれる循環は、なんて心地いいのだろう。

オンラインだからこそ、参加者は日本全国、北海道から沖縄まで。ドイツやスウェーデンといった海外組も時空を超えて参加していて、こちらは早朝の朝ごはんづくりのつもりが、向こうは日付の変わる夜中だったりする。各地のスーパー事情なんていうのも面白くて、スウェーデンではコーンフレークの一番小さい箱が450g(大容量!)と知ったのは、ついこの間のことだ。

いまもリアルタイムで「ヴィーガン食から地球環境を考えよう」「そもそもお家時間って?家庭をマネジメントしてみる」なんて興味深い企画が目白押しだ。ついつい、自分もこんなことをしてみたい!と妄想欲が刺激されてしまうところ、これまた「妄想は正義だから」のひとことでどんなアイデアも受け止めてくれる度量の広さ。こんなにも気持ちよく発言できる場所って、なかなか、ない。

約2時間弱の間、画面を通じて同じ時に同じものをつくり、食べる。つながる場所は、それぞれの自宅のキッチン。

そこから広がる世界は、自由で、無限で、もう目が離せない。


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