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「封印」 第十三章 軍船



 南で、その影は溢れ出した。木々の下を這い進み、島々の間を縫い上がり、水平線を超え、人間を含む全ての生ある生き物の血と体液の中に啜り沈み込み、その恐怖はたどり着いた。世界の果て、忘却の彼方、太古の歴史の片隅に置き去りにされたはずの闇の残骸が、帝国有史史上最悪の悲劇に移り変わる発端は、一人の兵士だった。

 南耀から帰還した軍船。その軍船は水平線から突如出現した。事前通達は入っていなかった。
「軍船の追加情報。エイナン島の反乱鎮圧に向かった南燿軍のものと判別。帰還予定は2週間後。乗船リストにダムナグ社関係者あり」
 響き続ける無線。 集結した警官達と、一同に軍船を指差す住民達。
「付近を封鎖し、警戒して接近。現場監督者の指示を厳守せよ」
 エテューは岬に急行した最初の警官達の一人だった。しかし、最速で急行したエテュー達の前にはすでに、最重装備で展開する軍が岬を封鎖し、対生物兵器防護服に身を包んだダムナグ社の小隊が船に突入した。
「やけに早いな」
「何だこれ…」
 その匂い。内臓と気管を同時に抉り取るような異臭と、船を染める赤黒い異色。
「血か?」
 双眼鏡を抱える相棒は呟いた。彼の目は、血で錆びた船の甲板に移った。
「野次馬を退けろ!」
 部隊が出て来た。一人の兵士が彼らにより運び出されてきた。船から運び出された兵士は、すでに臨死状態にあった。エテューは、他の警官達と共に、その兵士の顔を見ながら、部隊の先頭に立ち、住民をかき分け、道を作ろうと試みた。
 運び出される兵士の数は一人ではなかった。兵士だけでなく、軍服に身を包んだ男女、乞食のようなボロ切れをまとった痩せた南耀原住民もいた。エテューら警官隊の間を通る全員が異臭を放っていた。
「下がれ! 見世物じゃないぞ!」
 魚市に漂う生臭い匂いなどの許容範囲をはるかに超えた匂いと、本能的に全身の毛を逆立てるような原始的な寒気が、あの軍船からどんどん広がってくる。その場から離れるべきであることは明確なのに、引き寄せられるように、観衆の数は膨れ上がる。
 漁師、海女、掃除屋、解体屋、運転手、記者そして応援の警官達。
 銃声が響いた。背後からだった。
「相棒!」
 エテューは相棒を振り返った。相棒の横部隊員の喉に、兵士が噛み付いていた。相棒はその顎を引き剥がしながら、片手で銃を首に突き付けていた。噛み付かれている隊員は顎を押し返しながら、すでに銃を心臓に向けて何度も撃っていた。
 悲鳴と共に、拡散する野次馬達。
 走り回る人間に押し倒されながら、エテューは銃を取り、立ちあがった。相棒が倒れた。その上で、白目をむいて、唾液を垂ら兵士の顎を銃で叩き割った。兵士は仰け反り、エテューと警官と部隊はその兵士を地面に引きずり倒した。
「エテュー、下がれ!」
 相棒がエテューを引き倒した。兵士の額に部隊が銃口を押し付けた。銃声と共に兵士の動きは止まった。部隊はすぐに、喉を噛まれた同胞に銃口を向け、引き金を引いた。
「接触者を逃すな!」
 背後の、防護服のくぐもった声。エテューと相棒に銃が向けられた瞬間、軍船側からさらに多くの、無数の銃声が轟いた。
「相棒!」
 船から影が溢れ出した。今度こそ、周囲の人間の壁が崩れ去った。部隊と防護服の人間達は一斉にその船に向かって銃を撃った。
 エテューは相棒の腕を抱え、人混みをかき分けてパトカーまで戻った。
「大丈夫か?」
「大丈夫だ」
「血出てるぞ」
「あの部隊のやつの血だよ!」
 相棒は散弾銃を取った。エテューはその側面をカバーしようと動いた。
 エテューの脇腹に誰かがぶち当たった。
 その誰かの口が、自分の胸に食いついた。ものすごい力が、エテューの顔と腕を引っ掻いた。牙がベストから抜け、エテューの首に伸びた。その牙と口を相棒が蹴り飛ばし、頭を銃弾が吹き飛ばした。
「立て!」
 その手を取るも、防護服を着た男の銃口がこちらに向いた。
「接触者だ!」
「待…!!!」
 銃声。相棒の背中から血が吹き出した。真っ赤に染まる視界。遠くなる聴覚とパトカーにぶつかる背中。相棒の頭に数発撃ち込み、自分に向けられる銃口。
「後ろだ!」
 自分ではない誰かが叫んだ。振り返る防護服の兵士の顔面に、屈強な警官が飛びついた。アスファルトを撃ち抜く銃弾と、押し倒される兵士達の向こうで、感染者であふれかえった船が重心の崩れでひっくり返った。
 拳銃を拾い、エテューは逃げ惑う野次馬の足を躱し、背後に迫った、笑顔の警官の頭を撃った。
 そしてエテューは走った。
 全速力で、その場にいた者達全員が走っていた。
 防護服を着ていた兵士達も警官も野次馬も記者達も自分も全力で、港から逃げた。

 バハイ最大の駅、中央シマクラ駅ホームで、アンサングとイウェンは合流した。
 地下中央ホームは人でごった返していた。その中で代表秘書を見つけるのは簡単だった。銃を持った護衛を前にした時、どんなに人混みが密でも、人々は隙間を見つけて道を開けた。更に護衛達は警官5名に先導されていた。代表秘書は、護衛に守られる典型的な人間像そのものの、西栄系の、色白で痩せた中年の神経質そうなスーツ男。
 アンサングとイウェンは人混みに紛れて尾行した。
 電車もホームと同じくらい混んでいた。代表秘書達が身をねじ込む前に、電車の扉が閉じた。
 代表秘書は周囲を見渡し続けた。
 アンサンングとイウェンは券売機の裏に身を隠した。イウェンの視線が動いた。
 ホームの東側で階段を、5人の男達が降りてきた。秘書が声をあげた。男達が素早く列を広げた。警官達の手が腰に伸びた。
 銃弾がその胸を撃った。
 逃げ惑う乗客達。倒れた警官の下敷きになる秘書。
 電車が動き出した。
「行くぞ」
 人混みの中、イウェンが走り出た。アンサングもそれを追って銃を抜いた。
「一人は残せよ」
 護衛と反乱軍の銃撃戦で、彼らと周囲の人間はどんどん倒れていく。
 防弾ベストに救われた警官の一人が、人混みに隠れながら銃を抜いた。生き残った3人が、容赦無く、その警官の頭に銃を向けた。
アンサングは券売機と時刻表の背後から、3人組の真横に回り込んだ。
 アンサングに気づいた男の頭を撃ち抜く。「止まれ!!!」
 生き残った男達がこちらを振り返った直後、
イウェンの手が真横から伸びて銃を叩き落とし、床に投げ下ろした。残りの一人の胸を警官が撃った。
 直後、その警官の首と、イウェンが取り押さえた男の胸から血が吹き出た。
 機銃掃射。二人組。
 反対側のホーム。間一髪、イウェンが秘書の襟首を掴み、券売機の影に転がり込んだ。
 アンサングも掃射に押し返されながら、弾倉を入れ替えた。イウェンがダムナグを券売機に叩きつけた。彼の護衛が転がり込む。
「公安だ、援護しろ」
 無線を抱え、震えたまま、護衛は答えない。イウェンはアンサングを小突いた。
「援護しろ」
「どこ行くんだ?」
 イウェンが指差すのは、電車。
「行け。頼むから一人は残せよ」
 加速する電車。走り出すイウェン。ホームで撃たれる最後の警官。アンサングが援護射撃する間に、イウェンがホームを蹴った。
 アンサングは再度前へ出た。一人が掃射する直前に、水栓の影に隠れる。その隙に、もう一人の反乱軍兵がこちらに近づくのが一瞬見えた。
 電車が発進し、その上のイウェンの姿が見えなくなった。
 直後、別の銃声が敵の方向から聞こえた。遅れて呻き声も響いた。券売機から出ると、一人が首から血を流して倒れ、もう一人は手と足を撃ち抜かれてホームに転がっていた。リボルバーを再装填するイウェンの傍ら、アンサングは手錠をその生存者に嵌め、手の銃槍にネクタイを結びつけた。
「どけ」
 イウェンが銃を向けた。伏せ、振り返る。
 銃声。
 反乱軍兵士が一人、倒れた。しかしその横を、代表秘書を連れて、別の兵士達がホームの外に消えた。その中に、顔に傷のある、女の顔が見えた。
「シエラか…」
 秘書の護衛はナイフで丁寧に首を切られて殺されていた。
「上出来だな」
 イウェンを見上げる。
「追うぞ」
 頷き、立つ。水道の影で、子供が自分を見上げた。細かく震えるその全身とは対照的に、その足元で倒れる女は全く動かなくなっていた。
「…大丈夫だよ」
 銃撃に巻き込まれた市民達の間をまたいで、二人は駅を出た。
 駅を出てすぐに、コウプスから連絡が入った。
「駅北口迎えの三階建商業ビル屋上。すぐに来い」
「ダムナグを取られた。追跡する」
「いや、諦めろ。こっちに来た方がいい。今すぐだ」
 そこで、アンサングは立ち止まった。イウェンと目が合った。二人は地面を見た。周りも高層ビルを見上げた。周りの人々もそうしていた。
 一瞬、周りが静かだった。
 街が震えていた。

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