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真珠のきらめき 第4章 花盛りの街

(前章までのあらすじ ~ 石田は、交通事故で子供がひかれたらしいのを見て、運転に気を引き締める。傷ついた野鳥を保護し、同行した運転手の佐藤から若い頃の悪行を聞かされる。きつい言葉使いのバイト嬢に驚く。山間部の人たちに不快感を抱く。狩猟団体の関係者の宴会に警察と共に出席する。通勤途上で気になる女性にラブレターを渡す。自然保護員の小田に、かいぼりと川魚料理の食事に招かれる。小田は30歳過ぎで未婚の息子を心配している。石田は職場の若者たちとテニスの合宿に行き、バイト嬢春子の見せた太ももに心が動く。ラブレターを渡した女性とは電話で話したが、良い返事はもらえず、失望して見送る。)

 この頃、周囲の人々は石田の結婚について、時々口にする。まだ29だから焦ることはないと言う人もいる。反対に、もう29だから焦った方がいいと言う人もいる。石田自身は、30才前後の今の年齢が結婚するにはちょうどいい年頃かもしれないと思う。
 ある日、地元のひとりの友人が結婚相手を紹介する会社の話を持ってきた。昔ながらの見合いの仲人役をコンピューターを使って行う会社だった。
「実は悪いんだけど、石田の名前を使って説明パンフレットを取り寄せたから……。申し訳ない」 
 友人は笑いながら、2,3度頷いた。
 長い付き合いだったが、石田は悪友の勝手な行動を戒めた。相談せずに友人の名前を使ってしまう。この人間はそういうことをするんだと思って驚いた。気分を害したが、一方で話の内容に興味は示した。
 その後、石田のところには、会社から何度も入会を勧める電話がかかってきた。石田は迷って、答えを留保していた。結婚相手をさがすのに、わざわざ金を出すことがためらわれた。
 しかし、毎日の職場通いはどうかというと、気に入った女性に出会う機会はあまりない。通勤途上で見つけた銀行員の女性は、先日、ラブレターを出したが、出会っても、その先がうまく進んでいかない。先の見込みもない。
職場ではどうかというと、適齢期の女性の数は少ない。誰かに気が向いても、人目が気になって声をかける気になれない。職場の人間関係は窮屈に感じられる。
 バイト嬢のひとりは、器量は少し良くても、生意気で恋愛感情は湧かない。恋愛どころか、佐藤のような古老の変な人物がいて、ありふれた話題で難癖をつけてきて、対応に困ってしまう。適当な交際相手、結婚相手が見つかりそうもない。
 大学の卒業で別れた昭子は、旅行先で、その幻影を相手にするような縁遠い関係になってしまっている。もはや再会の見込みもない。
 考えた末、東京の都心にある、その会社に、説明を聞きに行くと答えた。

 駅前の繁華街を抜け、人出が減って静かになった通りに、そのビルは建っていた。
 石田は、案内された部屋のソファに座った。ビルの林立する、窓外の都会の風景を眺めながら、担当者の来るのを待った。面会した中年の女性は、上品な態度で応対した。説明も丁寧で手際よく、強引に入会を勧める様子はなかった。
 その会社が組織する会の会員は、同業の他社に比べて質が良いということだった。担当者はその点に自信を持っているようだった。学歴や家庭環境などが一定の基準にある男女は、一般的に相性がよい。同じ価値観を持っている場合が多く、後は性格や人柄で相手を決めれば、うまく行くことが多いという理屈だった。
 入会に際して、ある程度の資格がもうけられていた。男性は、学歴は大卒以上で、安定した職業に就いていて、年齢は24才から37才まで、婚姻歴は初婚というものだった。一方、女性には、短大卒以上、20才から32才まで、同じく初婚という条件が付けられていた。
 会員は自分の条件を登録し、コンピューターがすべての会員のデータを分析して、適当と思われる相手を紹介するシステムになっていた。
 毎月、紹介される相手の数は、データだけで送られてくるものが3名、経歴書と写真が送られてくるものが3名で、合計6名だった。その中から好みの相手を選び、歓談したい希望を会社に伝える。相手も希望した時、場所と時間を決めて2人で会う。
 歓談の後、今後交際を継続するか見送るか、会社を通して相手に返事をする。交際が順調に進めば、めでたく成婚となる。途中で気が変われば、自分からその意思表示をする。
 石田は、その場で入会の手続きをとった。入会したからと言って、このシステムに拘泥する必要もない。結婚相手を見つける一つの方法として、このシステムを利用しようと思った。
 友人の勝手な行動に、最初は不愉快な気持ちだった。ところが結果的に、好奇心を示して入会したのは友人ではなく石田の方だった。

 12月の雪の降る寒い日、石田は都心の一流ホテルに出かけた。
 それが、相談所の紹介した初めての見合いの待ち合わせ場所だった。地下鉄の入り口を出て、雪で白くなった町の風景や灰色の空を見上げた。傘を広げたが、雪の粒は風に巻かれてズボンの裾にまとわりついてきた。
 石田は北関東の小さな町に住んでいた。一方、相談所から見合い相手として紹介されるのは、南関東の大都市の女性が多かった。少し遠いと感じたが、離れた場所に住んでいる女性の方が、気兼ねしなくてよいかもしれないと思い返した。時々、都会に出るのも気分転換になる。

 レストランに入ると、受付の従業員が予め決められた席に案内した。1人で座っていると、後から待ち人が現れた。恵子という名前だった。
 恵子は経歴書と写真で紹介された会員だった。恵子からの希望を石田が承諾した。
「こんにちは」
「初めまして」
 2人はあいさつして頭を下げた。
 離れた席にも、同じような見合いのカップルが二、三組座っていた。今日は、見合いを運営する会社がレストランの座を借り切って、予約しているらしかった。
 町中の喫茶店と違って、隣の席の話し声が聞こえてこない、贅沢な空間に思えた。仲介人がいないせいで、相手と向かい合って気軽に歓談することができた。気をつかう必要のない、その紹介の仕方が石田には気に入った。
 恵子は石田の正面に座っている。恵子の背景には、ビルの窓の向こうに、緑に包まれた大きな町の公園が見える。降り続く白い雪が、視界の先に薄い膜を作っている。そのぼんやりとした膜が町の全体におおい被さっている。
 恵子は25五才で、都内の生命保険会社に勤めていた。波の器量で、庶民的で気さくで、明るい性格らしく、よくしゃべった。自分の母親が石田と同じ県の出身だったことが、恵子に石田と会う気持ちを起こさせたらしかった。父親は高卒で、革製品の卸し業を自営でやっていた。

 話しているうちに、恵子の会員期間は、もうすぐ終わろうとしていることが分かった。何度か見合いを経験しているらしかった。会話の滑らかな進め方や落ち着いた様子は、石田には見合いのベテランのようにも思えた。石田は終始、自分が試され、観察されているような気がして、居心地が悪かった。
 歓談が終わり、2人でエレベーターに乗った。
 1階に下りてビルから外に出る時、石田は芝居を終えた役者のような気分で言った。
「今日は、生まれて初めての見合いだったんですよ。親戚とか、職場の上司の持ってくる話は、みんな断ってたから……」
「そうだったんですか」
 石田は白状するように言った。
「緊張しました」
 恵子はそれに対して、苦笑いしながら冷めた言葉を返した。
「段々慣れてきますよ」
 恵子にとっては、石田は次から次へと通り過ぎていく男たちの中の1人らしかった。
 恵子は通りで傘を広げると、頭を下げて石田の前から立ち去り、都会の雑踏の中に消えていった。

 2,3週間後、恵子は自分の方から断ってきた。
 見合いをすれば、相手との交際を始めるか見送るか、返事を出すことになる。たった一つの断りの返事によって、その相手とはもはや会うことはなくなってしまう。石田は恵子に強いこだわりは感じなかった。しかし、初めて見合いした女性だったせいで印象深く思い出に残り、一抹の寂しさを感じた。
 石田は恵子との短い時間を思い出した。見合いの最中に、2人は表面上は平然を装いながら、内心では肝心な問題を巡って、頭を働かせているように思われた。相手との交際を希望するか見送るか。その選択の答えは、別れてから決めることもあるし、会っている最中に見つけてしまうこともある。和やかな会話のやりとりの背後には、男女の冷静な心理戦が繰り広げられているように思えた。
 その後、相手との歓談の機会は思ったほど成立しなかった。好ましいと思える異性とは、早く会いたいと考えて希望を出した。しかし、先方が気乗りしない場合は、その件は見送りになった。また、その反対の立場になることもあった。

 2月の初旬、相談所の紹介する二番目の女性と駅で待ち合わせた。データだけの紹介で、由美子という名の女性からの希望を、今回も石田が承諾した。
 由美子は25才で、ひとりっ子で短大を出ていた。私立大学病院で医療事務をしていた。父親は自営業で、メリヤス関係の仕事をしていた。学歴は石田の父親と同じように、尋常高等小学校卒業だった。
 駅前であいさつを交わした後、バスに乗って座席に並んですわった。近くの有名なテーマパークに着くまでの間、肩を並べて車窓の風景を眺めた。テーマパークでは、午前中から夕方まで遊んできた。初対面の相手と無邪気に娯楽施設で時間を過ごすことが、奇妙に感じられた。
 由美子は真面目そうだった。体は太めで、髪は後ろで自然にまとめ、よくしゃべった。
 器量がそれほど良くないことは譲っても、一つ気になることがあった。近くで話している時に、口臭が漂ってきた。石田はそれに気付いた時、顔には出さずに心の中で眉をひそめた。口臭そのものよりも、口臭で相手の男性を不快にさせていることに気付かない、由美子の無頓着さに失望した。
 石田は由美子との交際は見送り、その旨を会社に通知した。

 このデートの数日後、都心の一流ホテルで、この会が主催したパーティーに初めて参加した。
 会場の入り口で、各参加者に、会社の作成したそれぞれの名刺が手渡された。歓談する相手にそれを手渡し、名前と会員番号を知らせることになっていた。
 会場の天井からは、豪華なシャンデリアが垂れ下がっている。じゅうたん敷きの大広間が目の間に広がっている。参加者は男女五十名ずつ、年齢層は二十四、五才が中心の立食パーティーだった。
 パーティーでは、男性は背広かスーツで、ネクタイ着用が原則だった。タキシードを着てくる者もいた。女性は普通のスーツの人もいたが、フォーマルドレスやイブニングドレスを着込んで、めかし込んでくる人もいた。
 会員たちは、各テーブルに男女同数で交互に立つ。司会者の指示に従って、男性会員が歩いてテーブルの周りを回る。女性たちと順番に会話を交えていく。一巡り終わると、男性会員は新しい女性会員が待つ次のテーブルに移動する。パーティーの後で、自分が交際したいと思う相手の名前と会員番号を会に伝える。
 会員たちの会話の内容は、とりとめのない、よくある質問と返答が多かった。
「どうして、この会に入ったんですか?」
「どこに住んでるんですか?」
「どんな仕事をしてるんですか?」
「休日は、どうやって過ごしてるんですか?」
「趣味は何ですか?」
「旅行なんか、行きますか?」 
 1人1人と話す時間は、5,6分と短いが、1回に20人近い女性会員と知り合ってしまう。石田は会話を交わしたそれぞれの女性の印象を、会から渡された用紙にメモしていった。
「ゴルフが好きなんです」
 そう言う白いドレスを着た派手な女性もいた。石田はその女性と話している最中に、あることに気がついて、気まずい思いをした。その女性は一度、経歴書と写真の紹介で石田を希望してきたが、石田はそれを断ってしまっていた。女性はそのことは口にしなかったが、恐らく気づいていただろうと石田は思った。
 実際に会ってみると、書類で見たのとは違って、少し好ましい印象があった。石田は複雑な思いを味わった。
「私は持てないですから……」
 別の女性は、そう言って自分を卑下した。石田は、その女性は自分からそう言うことでますます自分の魅力をなくしてしまっているような気がした。
「最近、姉を亡くしたんです」
 ある女性はそう言った。石田は、最初少し同情心を覚えた。その後で、シャンデリアの照明を浴びたこんな華やかな場で、そんなことをわざわざ言わなくてもいいような気がした。しかし、そのことが、その女性が早く結婚することに意味を感じて、この会に入って、このパーティーに参加した理由の一つなのかもしれないと想像した。女性は石田と話しているうちに、こう言った。
「理想が高そうに見えますけど……。面食いなんでしょ? 」
 女性は身内の死とは別に、目の前の結婚相手探しに心を砕いているようだった。
 決められたテーブルで歓談が終わると、自分のテーブルを離れて、話のできなかった好みの相手と接触できるフリータイムになった。
 石田は、50人の女性のうち5人くらいを、容姿が魅力的だと感じた。しかし、その女性たちの周りには、他の男性がすでに群がっていた。どうやら男性会員は面食いの人が多いようだった。結局、好みの女性たちと話をする機会は得られず、そのうちパーティーは終わってしまった。
 それでも、初めてのパーティーで贅沢な気分に浸り、その場の雰囲気を大いに楽しんだ。世間一般を見渡して、今の自分は恵まれたひとときを味わっていると感じた。
 自宅に戻って2,3人に交際の希望を出した。
 最後に話した女性は、承諾の返事をよこした。しかし、その後連絡を取り合っても、なかなか会うことができなかった。そのうち、相手はそれほど自分に会いたくないのかもしれないと感じ始めた。お互いに、他の会員の紹介を継続して受けている。
 結局3ヶ月後に、石田の方から断った。

 石田は思った。この会は、買い手と売り手の欲望が交錯する一種の市場だ。相談所の会員、結婚相手という名の商品が売られている。商品にはそれぞれの特色があり、見方によっては優良可と格付けできる。先手必勝の法則も働いている。
 そんな中で、自分という商品には、どの程度の値が付けられているのか。それは、どの程度の需要を引き起こすのか。どの程度の規模で流通するのか。そういうことを、石田は以前から知りたいと思っていた。
 パーティーは、それを体験できる良い機会になった。データの紹介では、相手の正体がよく見えない。しかし、パーティー会場では、自分が狙う的の姿も、その的を狙って時には争う敵の姿も、一目瞭然で確かめられる。
 その後、少しずつ経験を重ねるうちに、石田には、会員たちの配置と自分の位置がぼんやりと分かってきた。ここは、南関東の大都市圏で繰り広げられる、比較的高学歴の見合いの場だ。自分の肩書きは、高品質、高価格とまでは行かないまでも、他に比べて見劣りするものではなさそうだ。

 3月の下旬、都心のホテルで行われたパーティーに、石田はまた出席した。
 都内の一流の私立大学を出ていて、スポーツスタジオに通っているという、少し魅力的な女性がいた。しかし、真面目で神経質で、表情に落ち着きがなく無愛想に見えた。
「パーティーは初めてなんです」
 不愛想に見える理由は、緊張感のせいかもしれなかった。石田は、自分も初めての時は、その場で相手にどういう風に対応していいか分からなかった体験を思い出した。
 ゆるやかな長いスカートをはいていた女性は、丸顔の美人だったが、遊び人風だった。スカートを引きずるような歩き方をした。
 素朴で実直に見えるピアノの先生がいた。
 石田の隣の県に住んでいて、背が高くてロングヘアで、つけ睫毛をしている女性もいた。
 小学生の時から、都内の有名な私立女子大の付属校に通っていた女性もいた。目が細くて、真面目そうで、物事をはっきり言う性格に思えた。
 石田は後日、1人希望した。丸顔の美人だったが、返事はノーだった。
 先方からは、3人が希望してきた。ピアノの先生、隣の県の女性と女子大の付属校の女性だった。石田はその気がなくて、3人とも断った。



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